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[No.15776]
Re: 金沢の治部煮
投稿者:
投稿日:2010/09/18(Sat) 11:03
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男爵さん、みなさん、こんにちは。
流石は何でも来い!の貴殿ですね。
こんか漬けの本命中の本命を(@_@)/ズバリッ!とお知ら 賞賛頂き、
有難いこと、嬉しいです。
一寸褒めすぎのようで(・_・、)テレテレ
話しは変わりますが、戦前は風呂屋の都市でした。
殆どのお宅が自分の家に風呂を設置せず、立派な
広々したお風呂屋が沢山ありました。
で、全国の風呂屋の出身地で一番多いのが石川県
でした。
今は変わって 各家にお風呂が でしょうが、、、
オアシス
>
>
> 長生殿は有名ですね。
> 私も何度か買ってきたことがあります。
>
> ふぐの子糠漬はまだ買ったことがありませんが
> 今回は前向きに行きたいです。
> 奇跡的にふぐの卵巣の毒ぬきをした金沢の名品は、世界文化遺産、ノーベル賞ものですね。
[No.15775]
西條八十
投稿者:男爵
投稿日:2010/09/18(Sat) 08:15
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西條八十の自伝から
これを書いているうちにPCの調子が悪くなったので
とりあえず最少のメモ書きだけしておきます。
竹久夢二と一緒に赤城山のぼりをしたとき、「宵待草」は一番しかないのはものたりないと著者が竹久にいったら、それでは君が二番を作ったらと言われたという。
それで西條八十は「宵待草」の二番の詩をつくったという。この詩は評判がいまいちである。
「東京行進曲」の映画主題歌をつくることを頼まれて、無名の詩人の詩の一節
「青い銀座の瓦斯の灯に粋な年増のすすり泣き」を想い出して
「昔恋しい銀座の柳 仇な年増を誰が知ろ ジャズで踊って、リキュールで更けて 明けりゃ彼女の涙雨」とつくったという。
あとで、中山晋平の意見を聞いて「明けりゃダンサーの涙雨」に変えたという。
四番は最初は
「長い髪してマルクス・ボーイ 今日も抱える『赤い恋』」だったが
これをビクターの文芸部長から官憲がうるさそうだから書き換えよと言われたので
「シネマみましょか、お茶飲みましょか、いっそ小田急で逃げましょか」
と直したという。
霧島昇とミス・コロンビヤが「旅の夜風」の唄を吹き込むとき、世間の噂では
霧島の求婚に対してミス・コロンビヤがなかなかよい返事をしないということだった。
松竹が「愛染かつら」のあとに「純情二重奏」という映画をつくることになり、またも著者に主題歌の作詞を頼む。
唄ができて吹き込みの時、霧島昇と一緒に歌うのは新人女優の高峰三枝子
ところが誰が見ても二人の仲が異常によろしい。スタディオでその空気はみな感じた。
それからまもなく、霧島昇とミス・コロンビヤの結婚発表があり世間をさわがせた。
レコード関係者は、高峰の出現が躊躇していたミス・コロンビヤに決意を促したのだろうと噂したという。
[No.15774]
Re: 日本の中の朝鮮文化
投稿者:男爵
投稿日:2010/09/18(Sat) 06:11
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唐辛子 紋次郎 さん、みなさん、
> > 神社を作ること自体、もう朝鮮の文化をはなれて
> > 日本人としての行為なのではないかと思うのですが。
> 武蔵国の高麗郡の郡司高麗若光をまつった高麗神社はもと郡司が相模国大磯に住んでいたことで住民が徳を讃えて高麗寺を建てたのが始まりのようですね。元は寺(!)だった。
> しかも、高句麗から来た渡来人は、帰る当てのない、唐と新羅の連合軍に追われてきた人々です。神も仏も一緒くたの、移り住んだ土地の習慣に馴染んでもすこしも可笑しくないのでは?ちなみに、渡来した高麗氏のなかには、修験者(!)となったものもいるようです。
どうもそうみたいですね。
仏教あり神道あり土着信仰も道教的要素も。
このなんでもありの性格は日本人特有なものでもなく朝鮮半島の人々にも見られた性格なのでしょうか。 今後のテーマ!
> ところで、東京に狛江ってありますけど、あそこも韓国に関係あるんでしょうかね?
狛江は高麗です。関係はあると書いてあります。
[No.15773]
今日は何の日・9月18日
投稿者:
投稿日:2010/09/18(Sat) 05:41
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みなさん、今日は
今日は何の日,9月18日
かいわれ大根の日
日本かいわれ協会が1986(昭和61)年9月の会合で、無農薬の健康野菜である貝割大根にもっと親しんでもらおうと制定。
9月はこの日を制定した会合が行われた月で、18は8の下に1で貝割大根の形になることから。
1931(昭和6)年、満洲事変が起った。
満洲支配をねらう関東軍が、奉天郊外・柳條湖の南満洲鉄道(満鉄)の線路を爆破した。関東軍は、それが中国国民政府軍の犯行であると報告し、満鉄沿線で行動を起こして数日のうちに満洲南部の要地を占拠した。
アメリカの国防総省
1947年アメリカに陸、海、空、3軍総括する、国防総省が発足した。庁舎が5角型なのでペンタゴンと呼ばれた。
放射性雨が降る
1954年、昭和29年日本海側各地に放射性物資を含んだ雨が降った。
ソ連の核実験の為と判明した。
1966(昭和41)年 フランスの哲学者サルトルと詩人ボーボワールの夫妻が来日
1981(昭和56)年 フランスで死刑廃止法案可決。ギロチンも廃止に
今日の誕生日の花:ゲンノショウコ
花言葉:心の強さ
今日の一句:消してより秋の灯(あかり)と思いけり 永井東門居
出典は今日は何の日、毎日が記念日
http://nnh.to/
及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
[No.15772]
Re: 日本の中の朝鮮文化
投稿者:
投稿日:2010/09/17(Fri) 23:44
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男爵さん、みなさん、
> > 金達寿 日本の中の朝鮮文化 講談社文庫 1983
> この本で不思議に思ったことは「神社」のことです。
> > 大磯の高来神社は高麗神社が変わったもの。
> > 高麗神社で見せてもらった「高麗氏系図」は朝鮮のいわゆる族譜で、千数百年の歴史が続いていることを示す。
> > 初代は高麗王若光で、高麗神社の祭神となっているものである。
> 神社を作ること自体、もう朝鮮の文化をはなれて
> 日本人としての行為なのではないかと思うのですが。
あっしは中公文庫の「日本の朝鮮文化 座談会」というのを読みました。といってもそのごく一部ですが…。(^_-)-☆この本は、キムダルスの著書ではなく、司馬遼太郎と上田正昭、キムダルスの三人による座談会です。
武蔵国の高麗郡の郡司高麗若光をまつった高麗神社はもと郡司が相模国大磯に住んでいたことで住民が徳を讃えて高麗寺を建てたのが始まりのようですね。元は寺(!)だった。
しかも、高句麗から来た渡来人は、帰る当てのない、唐と新羅の連合軍に追われてきた人々です。神も仏も一緒くたの、移り住んだ土地の習慣に馴染んでもすこしも可笑しくないのでは?ちなみに、渡来した高麗氏のなかには、修験者(!)となったものもいるようです。
逆にあっしは、上田先生の話で、宮内庁に韓神がまつられている、というのもショックでした。また、面白いのは、司馬遼太郎が、新羅神だとか高麗神というのは、たいへんご利益があり、参勤交代の殿様がかならず立ち寄ってお参りをするし、戊辰戦役時の薩摩藩士はここでお札まで貰っていったよし。そこで、wikiの高麗神社をみると、ここへお参りした人はみんな総理大臣になっているとか。
たとえば、濱口雄幸、若槻禮次郎、斎藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎などの面々。菅さんはどうか知りませんが、鳩山さんは祖父がなっているからやはりお参りした口かも。もちろん韓国の駐日大使は、きているそうです。
ところで、東京に狛江ってありますけど、あそこも韓国に関係あるんでしょうかね?また、始めは朝鮮半島のひとたちは、尊敬されていたよし。それには、役人とか高度の技術を持った人が多かったからでしょうね。上田先生によると、明治以後はべつとして、7世紀頃までは蕃国意識はなく、むしろ憧憬の気持ちの方が強かったそうです。
[No.15771]
Re: 金沢の治部煮
投稿者:男爵
投稿日:2010/09/17(Fri) 20:49
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オアシスさん こんばんは
> お茶処ですので、お菓子も有名な森八の「長生殿 落雁」(行き詰ったが屋号
> と事業は継続している)始め、生姜煎餅も美味しいです。
長生殿は有名ですね。
私も何度か買ってきたことがあります。
> 忘れてならないのは、こんか漬け(多分小糠が訛ったと思われます)と云って
> 魚の糠漬けです。安いのは 鰯(先日NHKでこれをベースに作ったピザを紹介)
> していました。美味しいのは鰊や鯖です。
ふぐの子糠漬はまだ買ったことがありませんが
今回は前向きに行きたいです。
奇跡的にふぐの卵巣の毒ぬきをした金沢の名品は、世界文化遺産、ノーベル賞ものですね。
[No.15770]
Re: 金沢の治部煮
投稿者:
投稿日:2010/09/17(Fri) 20:38
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男爵さん、全国オフの金沢の名産の丁寧な 紹介 有難うございます。
金沢が本家の発祥?の地、縁故疎開で金沢と松任に1年半ほど居た者として、
墓参も出来るので今回の全国オフは、嬉しい、有難い限りです。
治部煮が久々食べられるのも、有難いことです。
お茶処ですので、お菓子も有名な森八の「長生伝 落雁」(行き詰ったが屋号
と事業は継続している)始め、生姜煎餅も美味しいです。
忘れてならないのは、こんか漬け(多分小糠が訛ったと思われます)と云って
魚の糠漬けです。安いのは 鰯(先日NHKでこれをベースに作ったピザを紹介)
していました。美味しいのは鰊や鯖です。
麩料理でお土産に良いのは「不室屋」の即席お味噌汁など 喜ばれる事請け合い
です。
じぶ煮の名の謂れまで、本当に親切に詳しく記されましたが 地縁深き身として
付けくわえさせて頂きます。
オアシス
> 10月の全国オフは石川県金沢であります。
> そこでの料理に、郷土料理として有名な治部煮(じぶに)が出るというので
> 紹介しましょう。
>
> 輪島塗の浅く平たい椀に、鳥肉料理を和風に盛り込んだもの。
> 鮴(ごり)とともに郷土の味覚を二分するものである。
> じぶ煮の語源については諸説ある。
> ・文禄の役で、豊臣秀吉の兵糧奉行として従軍した岡部治部右衛門が朝鮮から伝えた陣中料理という説
> ・煮る音が、じぶじぶと音がするところからきたという説
> ・寛永年間、キリシタン大名高山右近が加賀藩にお預けになったとき、隠れキリシタン信者の間で密かに試みたポルトガル料理が庶民の味として定着したという説
> ・銭屋五兵衛に代表される豪商たちの密貿易が持ち込んだ生活圏の広さに根ざした料理だという説
>
>
> 参考図書 草川俊:風土の味 富民協会
>
[No.15769]
Re: 戒名は自分でつけよう
投稿者:
投稿日:2010/09/17(Fri) 15:26
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新潟葬祭士さん、こんにちは。
> 戒名とは本来仏門に入った証しで、仏教の戒律を守ることを誓った者に与えられる名前のことです。亡くなった時に付ける名前ではありません。
大変に重要なコメントを有難うございます。いま、自分の葬儀をどうやってもらいたい
かが話題になっています。
ご意見を大いに参考にさせて貰います。
[No.15768]
金沢の治部煮
投稿者:男爵
投稿日:2010/09/17(Fri) 11:22
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10月の全国オフは石川県金沢であります。
そこでの料理に、郷土料理として有名な治部煮(じぶに)が出るというので
紹介しましょう。
輪島塗の浅く平たい椀に、鳥肉料理を和風に盛り込んだもの。
鮴(ごり)とともに郷土の味覚を二分するものである。
じぶ煮の語源については諸説ある。
・文禄の役で、豊臣秀吉の兵糧奉行として従軍した岡部治部右衛門が朝鮮から伝えた陣中料理という説
・煮る音が、じぶじぶと音がするところからきたという説
・寛永年間、キリシタン大名高山右近が加賀藩にお預けになったとき、隠れキリシタン信者の間で密かに試みたポルトガル料理が庶民の味として定着したという説
・銭屋五兵衛に代表される豪商たちの密貿易が持ち込んだ生活圏の広さに根ざした料理だという説
どちらかというと(当時は)日本ばなれした料理である。
地元では、じぶと呼び、煮はつけない。加賀煮ともいう。
もともと渡鳥の通り道にあたる金沢地方では、鶫(つぐみ)のじぶ煮が一般の家庭料理だったが、鶫が禁鳥になってからは、四季を通じて合鴨や鶏を使っている。
加賀特有のすだれ麩、椎茸、豆腐、芹などを煮た後の煮汁へ、薄くそいだ肉に小麦粉をまぶして入れ、じぶじぶと音を立てて煮だったら火を消す。
しばらくそのままにしておき、どろりと柔らかくなったところで、山葵を添えてすすめる。
参考図書 草川俊:風土の味 富民協会
ちなみにこの本には富山県の料理として
イカの鉄砲焼、ホタルイカ(刺身、釜揚げ)、越中バイ
岐阜県の料理では
品漬、朴葉(ほうば)味噌、五平餅
京都府では
酸茎(すぐき)漬、鯖の棒ずし、芋棒
福岡県では
がめ煮、オキウト、あぶってかも(スズメダイの干塩)
などが紹介されている。
[No.15767]
JR全線下車の旅
投稿者:男爵
投稿日:2010/09/17(Fri) 07:37
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横見浩彦:JR全線下車の旅 KKベストセラーズ 2005
この本の著者は、漫画「鉄子の旅」に出てくる旅の案内人として登場した。
著者の鉄道旅体験は昭和53(1978)年 高校一年生の春休み時に国鉄の「乗りつぶし」の旅に出てからスタートする。
以来学校の休みを利用しては乗車距離を延ばしていった。
1978年に宮脇俊三の「時刻表2万キロ」がベストセラーとなり
国鉄も昭和55(1980)年に赤字対策の一環として「いい旅チャレンジ2万キロ」キャンペーンを展開した。
そして「青春18きっぷ」も登場して、全線完乗達成者は数千人とも数千万人ともいわれた。
この著者もとうとう昭和62(1987)年に国鉄路線を全線完乗した。
著者は平成4(1992)年にスキーのため花輪線の安比高原駅を訪れたが
この駅は、昭和63(1988)年に龍ケ森という駅名をリゾート地にちなんで名前を変えたものだった。
ローカル線なので待ち合わせに@時間以上もあって、著者は所在なさに駅を観察しその構造をメモ書きする。
それからローカル線の駅を観察するようになって、その背景の地域の歴史とか駅のつくりなどに目がいくようになる。
こうして観察をするうちに、全国の駅にすべて乗降してみようということを考えたという。
上に紹介した花輪線でも各駅のホームを歩いたり駅舎をみるだけでも、全部の駅にそれをやるとしたら一日ではできない。
山手線のように数分おきに電車が来るなら、次の駅で降りて、あとから来る電車に乗って、もう一つ先の駅で降りてということを繰り返せばよいが
ローカル線によっては一日に3本とか5本しか通らないところがあるから、そういう路線の各駅に降りるのはとてつもなく時間がかかる。
著者はやがて気がついて、折り返しやってくる列車を利用すればもう少し効率よくめぐることができる方法をとるようになった。
たとえば岩泉線では、一日に3本しか列車が走らないが、二つ先の駅に行ってから降りて、そこで折り返してくる別の列車に乗って隣の駅に降りれば、こちらからみると一つ先の駅にも降りられることになる。
それから、次の列車まで時間があるときは、次の駅までの距離が比較的短ければ、次の駅まで歩いて、そこから列車に乗れば、ひとつ駅を達成したことになる。
私ならこんなことはしない。何のためにするのか。記録のためにだけする行為は、とても私向きではない。
私ならそれだけ時間をかけて何かするのなら、もっと他のことをするだろう。
特定の地域の駅とか、そのローカル線の歴史などにふれたいときは、重点的にそこを乗ることがあるかもしれないが、とても全国のローカル線にそういうことをしていられないし、必要もないと思う。
著者はアルバイトをして金をためては、駅付近で野宿をしながら全部の駅のホームに断つことができた。
1992.2.12〜1995.10.20
こうして乗降をしてめぐった全国の駅の中には、当時はあったが廃止された路線や、その駅はもう列車が止まらず駅がなくなったものもある。
反対に利用者の増加で新しくできた駅もある。歴史は毎日作られる。
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