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  • [No.15611] パリ、とくにセーヌがおかしい 投稿者:   投稿日:2010/08/09(Mon) 22:52
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    今はどこもかしこも可笑しいことだらけの世の中ですが、フランスはパリ、セーヌがとくにおかしい。

    先日、オーストリアからやってきた貸切観光バスが、無人のまま川に飛び込んだと思ったらそのあとすぐ、砂を山ほどつんだ艀が突然ぶくぶく。

     これで終りかと思えば、つぎは「歩き方」なんかにも必ず出てくるロープントゥ−ル、つまり御馴染み屋根なし観光バスが、7日の土曜日の真昼間、サン・トギュスタン広場(第8区)のロータリーで、運転手がハンドルを切りそこね、石の台のついたおおきなポールに乗り上げ、30人の乗客のうち半数程度が軽傷を負うという事故がおこりました。

     二度あることが三度あったから、いくら何でもと思っていたら、今度は某所で3少年の運転する車が警察の尋問を振り切って逃げ、派手なカーチェイスをやったあと、ついに車を電柱にぶつけ、少年らは車をすてセーヌ川方面に逃走。そのうちの一人はセーヌの川へ飛び込みました。ところが、その少年は泳ぎが出来なかったため忽ちおぼれ、挙句の果てに溺死してしまった、と。

     しかもこれも、前の事件からいくらも経っていない土曜の夜から、日曜の朝にかけての事件でした。ねえ、これだけつづくと迷信ぶかい紋爺は、そこに何か呪いのようなものさえも感じるのです。


    [No.15609] Re: 牧野富太郎「ナンジャモンジャとはどんなもんじゃ」 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/09(Mon) 19:24
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    > 俵浩三:牧野植物図鑑の謎、平凡社新書017

    >  牧野富太郎「日本植物図鑑」大正14年9月24日発行
    >  村越三千男「大植物図鑑」大正14年9月25日発行
    > の二つに注目して、背景にはこれらの本の出版社の競争があり
    > 著者どうしもライバルであったろうと推定している。

    村越三千男は旧制中学校で植物学と絵画を教えていた。

    はじめは二人は協力関係にあった。
    明治39年6月から毎月刊行された「普通植物図譜」は
    牧野富太郎校訂・村越三千男写生図・高柳悦三郎編集(東京博物学研究会・博物図譜発行所)であった。

    村越三千男が主宰する東京博物学研究会は、「普通植物図譜」が好成績をあげたので気をよくし
    「野外植物図譜」をはじめ数冊の本を出した。
    そして「植物図鑑」を出したのだった。
    この「植物図鑑」の初期の版には「校訂者・牧野富太郎、編者・東京博物学研究会、右代表・村越三千男」となっていたのが、後期の版になると「右代表・村越三千男」の部分がなくなっていた。
    ここには専門家としての牧野富太郎の意志が反映していたのではないかと著者は推定する。出版社も牧野富太郎の発言は無視できないものになっていったろうから。

    最初は仲よく図鑑の仕事に協力しあっていた二人だったが、二人とも自尊心も強く相手のあら探しをするようになってライバル関係になっていったらしい。
    村越三千男著「植物大図鑑」には松村任三東大名誉教授など三人の博士が序文を書いている。これらの三人の博士は、牧野富太郎が著書などで批判していた学者であった。
    つまり、牧野富太郎と村越三千男の対立は応援団がついていたようなのである。

    互いにあからさまには非難しないが、間接的に相手を酷評することがあった二人であったが、
    昭和30年になって村越三千男原著、牧野富太郎補筆改訂「原色植物大図鑑」が刊行された。
    これは昭和15年刊行の村越三千男著「内外植物原色大図鑑」の改訂版に相当するものであるが、朝日賞、日本学士院会員、東京都名誉都民、高知県佐川町名誉町民など功成り名を遂げた牧野富太郎にしてみれば、決定的に差のついた村越三千男の図鑑の改訂版を出すことに対して大らかに対応できる気持ちになったのであろう(村越は昭和23年に亡くなっている)。

    この本の著者は千葉大学園芸学部卒業で北海道の短大教授(実はこの短大からの編入生を何人か受け入れ指導してきました)であるが
    牧野富太郎と村越三千男の確執についての推論を二人の植物学者(東大と都立大の名誉教授)に問い合わせると、研究者牧野富太郎に対して村越三千男は学者ではない単なるアマチュアだから、格が違うと言われてしまう。
    しかし、牧野富太郎は村越三千男を批判したであろうという説には反対しなかった。
    多くの植物図鑑を作り、それらは好評であって、世に広く啓蒙活動につとめた村越三千男の業績はそれなりに評価されるべきであろう。


    [No.15608] 牧野富太郎「ナンジャモンジャとはどんなもんじゃ」 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/09(Mon) 09:58
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    俵浩三:牧野植物図鑑の謎、平凡社新書017

    誰よりも植物を愛して
    植物については神様みたいに詳しかった植物学者。
    しかし、大学を卒業していないから東大講師でおわった。
    大学教授よりも植物のことを知っていたから、教授にはうとまれ
    おせじを言うタイプではなかったから、その人生はつらい反面もあった。
    そのような牧野富太郎を庶民の味方として贔屓にする、いわば判官贔屓の日本人も多い。
    よって、永遠の人気の植物学者として伝記の本に扱われることが多い。野口英世と通じる点がある。

    明治初期のころなので、学校制度も整っていないから
    牧野富太郎が受けた教育は当時としてはやむをえない面もある。
    もっとも、学に志ざし(肩書きなど求め)形式を整えようとした者は、大学などに進学し専門の勉強をしたのだろうが。

    東大教授を相手にしてもだめだと思った牧野富太郎は、ロシアの世界的植物学者マキシモヴィッチに直接指導を受けようとした。
    マキシモヴィッチから快諾の返事届いたが、ロシアに行く前にマキシモヴィッチが亡くなったため実現しなかった。

    牧野富太郎は昭和2年に札幌へ行き「マキシモヴィッチ生誕百年記念会」に出席した。
    マキシモヴィッチに直接教えを受けたことのある宮部金吾が北大の植物学教授だったから。
    札幌からの帰りに仙台で発見したササに、愛妻の名前をつけスエコザサと名づけた。

    牧野富太郎は「植物随筆」でもユーモアを披露している。
    「ナンジャモンジャとはどんなもんじゃ、それはこんなもんじゃ」

    この本では
     牧野富太郎「日本植物図鑑」大正14年9月24日発行
     村越三千男「大植物図鑑」大正14年9月25日発行
    の二つに注目して、背景にはこれらの本の出版社の競争があり
    著者どうしもライバルであったろうと推定している。

    まだ途中までしか読んでいないので、続きは後日報告します。


    [No.15607] Re: 越中八尾、恩讐の殺人 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/09(Mon) 07:59
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    訂正
     小節→小説
    でした。


    [No.15606] 今日は何の日・8月9日 投稿者:   投稿日:2010/08/09(Mon) 05:35
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    みなさん、今日は
    今日は何の日、8月9日
    長崎原爆の日,長崎原爆忌
    1945(昭和20)年8月9日午前11時ごろ、米軍のB29爆撃機「ボックスカー」がプルトニウム原爆「ファットマン」を投下し、長崎市松山町の500m上空で爆発した。約7万4千人の市民が死亡、約7万5千人が重軽傷を負った。
    原爆犠牲者慰霊平和祈念式 (長崎市)原爆投下の時刻とされる午前11時2分から1分間黙祷が捧げられる。

    野球の日
    スポーツ用品メーカー・ミズノの直営店・エスポートミズノが制定。
    「や(8)きゅう(9)」の語呂合せと、高校野球の期間中で野球に対する関心が高まる季節であることから。

    ハリ・灸の日
    「はり(8)きゅう(9)」の語呂合せ。

    形状記憶合金の日
    1982(昭和57)年、ベルギーで東北大学のグループが形状記憶合金を発表した。

    パークの日(駐車場の日)
    貸し駐車場管理会社・パーク24が制定。「パー(8)ク(9)」の語呂合せ。
    不正駐車・路上駐車の引き起こす問題について再認識し、できるだけ駐車場に車を停めるように心がける日。

    薬草の日
    沖縄県保健食品開発協同組合が制定。
    「や(8)く(9)そう」の語呂合せ。

    世界の先住民の国際デー(International Day of the World's Indigenous People)
    1994(平成6)年12月23日の国連総会で制定。国際デーの一つ。
    1992(平成4)年、国連人権促進保護小委員会先住民作業部会の第1回会合が開かれた。

    独立記念日 (シンガポール)
    1965(昭和40)年、シンガポールがマレーシア連邦から独立した。

    1946(昭和21)年 第1回国体の夏季大会が宝塚市で開幕

    1947(昭和22)年 「フジヤマのトビウオ」古橋廣之進が400m自由形で4分38秒4の世界新

    1999(平成11)年「国旗国歌法」が8日間のスピード審議で成立

    今日の誕生日の花:ユウスゲ、キスゲ
    花言葉:麗しき姿
    今日の一句:夕管の風あつめては散らしては    黛 執

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています


    [No.15605] 岩波新書から 投稿者:   投稿日:2010/08/08(Sun) 10:52
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    > グールトはベルリンの壁が崩壊したのを見て、ドイツは統一されるだろう、しかし、ドイツはEC統合に熱心でなくなるだろう。それはECの将来によくないことだから、ドイツ統一の動きにブレーキをかけようとしたのである。

    当時のことは日本にいた私は
    ヨーロッパの各国の政治指導者の気持ちはなかなかわからなかったのですが
    「笹本駿二:ベルリンの壁崩れる、岩波新書124」
    にも同様のことが書かれてあります。

    すなわち
    ミッテランもドイツが統一されたら、ドイツはEC統合に熱心でなくなることを
    恐れてひそかに動いたのですが、ゴルバチョフから支持してもらえなかった。
    サッチャーもドイツ統一より先にEC統合だと思っていたのですが
    ヨーロッパは統合の手順ではなかなか足並みがそろわぬうちに
    ドイツ統一のほうが先に進んでしまった。
    はじめはサッチャーも「コールはぼんくら」説を信じていたようですが
    統一に向かってしたたかに確実に実績を上げていったコールを見て
    自分の見込み違いに気がついたようです。

    コールにしてみたら人生の一大仕事にぶつかったので全力を挙げて
    成功させたのでしょう。その結果世界史に名を残すことができたわけです。
    統一後のドイツ国民の(旧西独、旧東独)それぞれの不満があって、コールは権力の座から
    追われましたが、彼の業績は不滅でしょう。


    [No.15604] 東海林さだお:タヌキの丸かじり 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/08(Sun) 09:13
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    丸かじりシリーズ
    読んでいて面白い。
    東海林さだおの文書は口語調で一種説得力がある。
    文章を書くときの参考になる。

    たぬきそばの丼いっぱいに敷きつめられた天かす。
    この天かすがうまい。そばつゆにもあう。
    全く同感。
    しかし、注文を言うとき「たぬき」とは言いずらい。
    なぜか。
    著者はその理由を、「たぬき」というちょっとマヌケな響きがよくないのだという。
    そして、たぬきにはもう一つ、お得感と反対のイメージのお損感があるからという。
    天かすはタダ、という思いがどうしても頭に浮かぶ。
    実際、お総菜系の天ぷら屋では、小さなポリ袋に入れて店頭に並べタダでくれるところもある。

    どのそば屋も、きつねとたぬきは同値段である。
    きつねのほうの油揚げは一枚百二十円はする(2000年当時の値段)。
    半分としても六十円。最低六十円はかかっている。
    それなのに天かすはタダ。タダなのに同値段。
    どう考えても損だ。どう考えてもシャクだ。
    そういう思いがするので、東海林さだおはたぬきそばを注文するときためらうらしい。

    皆さんもそうでしょうか。
    私はたぬきそばもいいが、ついリーズナブルな値段の野菜天ぷらそばを注文します。
    ときとして、テーブルに天かすの器がおいてあって、好きなだけそこからとって
    自分の丼に入れる店もあり、そういうときは自動的にたぬきそばも味わえます。

    そういえば思い出しましたが
    新潟県の栃尾に行ったとき、名物の厚揚げが一枚百六十円でしたね。

    「関西のたぬき」と「関東のたぬき」は全然違うらしい。
    ここで書かれているのは、関東のたぬきのことです。


    [No.15603] 今日は何の日・8月8日 投稿者:   投稿日:2010/08/08(Sun) 05:35
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    みなさん、今日は
    今日は何の日、8月8日
    そろばんの日
    全国珠算教育連盟が1968(昭和43)年に制定。
    そろばんを弾く音「パチ(8)パチ(8)」の語呂合せ。
    そろばんの普及とその優れた機能をアピールする日。

    ヒゲの日
    日本ワーナーランバード(シック)が1978(昭和53)年に制定。
    漢字の「八」が髭の形に似ていることから。

    ひょうたんの日
    全日本愛瓢会が制定。
    数字の「8」がひょうたんの形に似ていることから。

    タコの日
    蛸の足の数が8本であることから。

    笑いの日
    「敬老の日」の実現に中心となった日本不老協会が中心となって発足した「笑いの日を作る会」が1994(平成6)年に制定。
    笑い声「ハ(8)ハ(8)ハ」の語呂合せ。

    白玉の日
    全国穀類工業協同組合が制定。

    デブの日
    大日本肥満者連盟(大ピ連)が1978(昭和53)年に制定。
    「8」の字のふくよかなイメージと、肥満体型こそ水着がよく似合うということから。

    パチンコ供養の日
    パチンコ台メーカーの平和が1994(平成6)年に制定。
    同社が株式公開した日であり、また、玉を弾く音「パチ(8)パチ(8)」の語呂合せと、八が末広がりであることから。パチンコ台に感謝する供養祭が行われる。

    親孝行の日
    親孝行全国推進運動協会が1989(平成元)年に制定。
    「88」が「は(8)は(8)」、「パ(8)パ(8)」と読めることと、「ハチハチ」を並びかえると「ハハ(母)チチ(父)」となることから。

    1786(明治19)年ヨーロッパアルプスの最高峰・モンブランに初登頂

    1900(明治33)年 アメリカで第1回国際ローンテニス選手権大会(デビスカップ)開催

    1945(昭和20)年 ソ連が日本に宣戦布告。通告の数十分後一斉に進撃開始

    1955(昭和30)年 長崎市平和公園で平和祈念像の除幕式

    1967年新宿駅で米軍燃料タンク車と貨車が衝突・炎上。国電1100本が運休

    1973(昭和48)年 金大中事件。金大中・元韓国大統領候補が東京のホテルから拉致。13日にソウルの自宅に戻る

    今日の誕生日の花:トロロアオイ
    花言葉:知られぬ恋
    今日の一句:歩きゐて日暮るるとろろ葵かな   森澄雄

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.15602] Re: 石沢誠司:七夕の紙衣と人形 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/07(Sat) 23:38
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    > 石沢誠司:七夕の紙衣と人形
    > 著者は、長野の出身で京都府立文化芸術会館長

    その後の
    自己フォローです。

    > 仙台の七夕には吹き流しを含む「七つ道具」を飾る伝統がある。
    > とくに原町商店街、荒町商店街、南鍛冶町商店街に仙台の伝統的七夕祭り
    > を偲ぶことができる。
    >  吹流し 織り姫の織糸の象徴
    >  短冊 学問や書の上達を願う
    >  折鶴 祖父母、両親の長寿を願う
    >  紙衣 病気災難から守られるよう祈願、裁縫上達を願う
    >  巾着 節約・貯蓄の心養う
    >  投網 豊漁祈願
    >  屑籠 物の始末、整理、整頓の教え

    本日は仙台に行ってから
    仙石線に乗って原町まで行って素朴な七夕を見てきたのですが
    仙台の一番町などで上記「七つ道具」をおさえて
    七夕飾りをしているということが確認できたので
    わざわざ原町まで行かなくてもよいということがわかって
    帰ってきました。

    > ☆一年前に松本に行ったとき、お城のそばの市立博物館で七夕人形を見ました☆
    > マルチメディア館に写真を載せておきました。
    > http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/07-mm/wforum.cgi?no=13588&reno=no&oya=13588&mode=msgview

    ここでは写真を載せられないので
    マルチメディア館に関連の写真を載せます。


    [No.15601] 越中八尾、恩讐の殺人 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/07(Sat) 07:05
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    石川県の金沢で全国オフがあるから
    石川県や富山県や岐阜県などを舞台にした推理小説を読んでいます。
    この本もその一つです。
    作者の石川真介は第2回鮎川哲也賞の受賞者ですが
    トリックのためのストーリーという感じがしないでもない小節でした。
    この小節のトリックは、作者の勤めている会社ゆえ
    関係者しか知らないことを使って、それが実際あり得そうで
    なるほどと感心しましたが。

    小節はまさに観光サービスで
    事件は八尾で起こり
    魚津、倶利伽羅峠、五箇山、立山、宇奈月、はては信濃大町まで出てくる。
    有峰湖も山奥、行くだけでも大変なところにわざと事件をつくる。
    祖母谷はなんて読むかわかりますか。
     祖母谷(ばばだに) 祖父谷(じじだに)

    最後の舞台は雨晴
    ここは冬に来たことがある。そのときは立山は見えませんでしたが。
    自分の知っている場所が出ると小節の中に入ったような気がすることがあります。


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