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  • [No.15589] 今日は何の日・8月3日 投稿者:   投稿日:2010/08/03(Tue) 05:37
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    みなさん、今日は
    今日は何の日、8月3日
    はちみつの日
    全日本はちみつ協同組合と日本養蜂はちみつ協会が1985(昭和60)年に制定。
    「はち(8)みつ(3)」の語呂合せ。

    ハサミの日
    美容家で山野学苑創設者の山野愛子さんが、「針供養」に倣って「ハサミ供養」を提唱し、1978(昭和53)年から実施。「は(8)さみ(3)」の語呂合せ。使えなくなった鋏の供養が行われる。

    1927(昭和2)年 東京・神宮球場で第1回全国都市対抗野球大会が開催

    1949(昭和24)年 北海道の夕張炭鉱でガス爆発。死傷者14人

    1989(平成元)年 大学短大への女子の進学率が史上最高の36.8%になり男子を上回る

    2009(平成21)年初の裁判員制度を適用した裁判が東京地裁で実施

    今日の誕生日の花:ニチニチソウ
    花言葉:楽しい思い出、友情
    今日の一句:大事より小事重んじ日々草    伊丹三樹彦

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.15588] 信州飯田殺人奔流 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/02(Mon) 19:54
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    推理小説です。

    私はここ数年
    長野県のローカル線に乗るよう心がけて
    たいていの路線は乗りましたが
    まだ飯田線には乗っていません。
    来年には乗るつもりです。

    というわけで
    「信州飯田殺人奔流」を読みました。
    元善光寺という寺のある元善光寺駅
    あの信州信濃の善光寺は
    ここから移されたようです。

     元善光寺ー伊那上郷ー下山村ー天竜峡

    飯田線はソースカツ丼で有名ですね。
    ソースカツ丼は福井が発祥の地とか。
    北陸・長野・新潟そして福島県でも食べられます。

    この本は推理小説なので
    これから読む人のために
    かんじんなことは書けません。
    長野県のことや飯田線のことはよく書かれていて
    観光旅行をする人には参考になりそうです。


    [No.15587] Re: ご注進、ご注進! 投稿者:   投稿日:2010/08/02(Mon) 17:14
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    男爵 さん、みなさん、こんばんは。

     サンケイは一面で「闘牛は文化か動物虐待か」と大見出しで1ページを当てていました。

    フランスのアルルやニームでまだ闘牛を続けているフランスでは、ショックを隠せないようです。スペインはカタルーニアの条例が可決されるとすぐ、新聞紙上に『フランスでも禁止すべきか』というアンケートが載り、結果は禁止すべきが57,18%、すべきでないが42.82%で、前者が後者を約14%上回っていました。

     しかしニームには闘牛の長い伝統があり、ニーム市は今回の禁止条例にこと寄せて、声明を発しています。その中で闘牛は、地中海世界に長の年月受け継がれた文化である。こういうものを権力で禁止するのは間違っている、など述べています。★またサッカーなどが優遇され、闘牛が冷や飯を食わされるのは、マッタクもって不公平であるともいっています。

     ニーム市当局は、上述したように声明をだし、闘牛は文化であると叫んでいますが、アンケートでは上述の結果が出ています。さらにフランスには、動物愛護で有名なB.B.ことブリジッド・バルドーという、コワ〜イおばんさんががいます。

     ニーム市のアレーナは、その売り上げに対し、19.6%という重い消費税を課され、観覧料も、1席21ユーロと云う格安値段でやっているが、ほかのアレーナや劇場で、果たしてこんな料金でやっているところがあるか、そのうえ市は年間35万ユーロにも上る課徴金を取り立てているなど不満を述べています。

     一方、サッカークラブは逆に、市から色々な形で助成金を受け、そのうえチケットまで買ってもらっている。

     そこで一部マスコミのいうように、世の中にあわせろというなら、何処から見ても公平にやって貰いたい紋だと、憤慨しています。

     椰子の木につながれたワニと云う一風変わった市章をもち、デニム発祥の地ニーム市では、9月の16、17、18の3日間、闘牛興行を敢行する模様なので、南仏方面に旅行される方は、かの地のアレーナを訪れてみてはいかが?ひょっとすると、それが見納めになるかも。

     


    [No.15586] 長谷川洋子:サザエさんの東京物語 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/02(Mon) 13:07
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    長谷川町子は真ん中で、上の姉がまり子で、下の妹が洋子である。

    著者洋子が女学校時代では裁縫が苦手で
    姉まり子に縫ってもらった夏休みの課題のベビー服のことで
    職員室に呼ばれ説教された。
    そのあとで、数学の先生に慰められた。
    そして「教頭先生もね、長谷川さんは生まれたまま大きくなったような人で真っ直ぐな気性のところがいいって。いわば野蛮人のような子だけど、そこが美点だから、損なわないでほしいって言ってらしたわ。よかったわね」と言ってあわただしく去っていった。
    さすがに著者も野蛮人と言われて他に言葉はなかったのかと思うが、問題児を励まそうとしてくれた温情は感謝したのだった。

    何かに気を取られると夢中になって、他のことは目にも耳にも入らなくなる人がいるが、
    町子姉もその一人で、本人は「類(たぐい)まれな集中力」と主張している。
    その集中力のおかげで何度もスリに会ったし、映画館の中では膝にのせていたハンドバッグを持っていかれた。
     芸術家や学者はたしかに集中力があったほうがよい作品ができるが
     他のことは注意の外になってしまうから、もの忘れをしたり、不始末が出てくる。
     ニュートンがゆで卵をつくろうとして時計をゆててしまった故事なども、この「類(たぐい)まれな集中力」の例であろう。 

    三姉妹で結婚して子持ちなのは著者だけであったが
    その著者も35歳の夫と死別している。夫はがんであった。
    若いときのがんのため、がんの猛威をつぶさに見た著者たち
    とくに町子姉はそのときから、がん恐怖症になった。
    「もし私ががんになったら自殺するからね。治る見込みもないのに、あんなに苦しめられるなんて我慢できないわ」と宣告した。

    ところが、町子姉はがんになってしまった。
    毎日四時頃に新聞社のオートバイが原稿を取りにくる。
    スランプになって、できばえがよくなくても、どんなに気に入らない作品であっても
    一枚はしあげて渡さないといけない。
    それは大変なストレスであった。ストレスで胃が痛んだ。
    いつもとは様子が違うと感じた著者は、かかりつけの医師に再検査してもらった。
    そして
    医師から、本人には内緒でといって、がんであることを著者に告げた。

    医師は癌研に紹介状を書くというが、「がん」の字は患者にショックを与えると思った著者は
    ツテを求めて、東京女子医大で手術をするよう動く。
    さて
    東京女子医大でレントゲン写真を見た先生は
    「たしかにマーゲン・キャンサーだね」といいながら
    周りの若い医師たちに示す。
     これを読んだ私は、あれあれ、マーゲンはドイツ語で胃のことだ。
     キャンサーは英語で癌のことだ。ドイツ語+英語だ。
     そう思ったのでした。

    三姉妹を女手ひとつで育てた母親は、士族という誇りが人生のバックボーンになっているのか
    しっかり者だった。
    しかし、七十代後半になって痴呆が進み娘たちの見分けもつかなくなった。
    隣町にまで遠征して、お巡りさんに連れられて帰ってくることが度々となった。
    夜中、家の中を徘徊して台所でガスをつけたり、マッチをすって屑篭に捨てたりするようになって、娘たちも母親を施設に預けることを考える。

    まり子姉が知人から八王子のほうの大きな病院では、痴呆老人のためのホームも併設されていると聞いてきて、
    設備が整っていて評判もよいという噂もあるから、相談の結果そこに母を入院させることにした。

    ところが、評判とは大違い。見舞に行く度に母の顔つきが険しくなり
    はじめのうちこそ廊下を歩き回っていたが、二週間ほどで寝たきりになり、いつ行っても眠ってばかりいるようになった。
    あるとき隣の患者から「長谷川さんは一日中手足をベッドに縛りつけられているんですよ。それで食事も拒否するし、点滴も暴れて受けないので、だんだん衰弱してこられて心配でねぇ」と聞かされる。
    家族が見舞いに来るときは一階から連絡があり、すぐ紐を解いて手足を自由にするらしい。

    結局、姉妹たちが相談して、家族にとってかかりつけのような病院に転院させることにした。
    さて、八王子の病院に転院を申し出ると
    「とんでもない、あの状態で運んだら途中で何が起こるかわからない。命の保証はできませんよ」と脅かされたという。
    二ヶ月足らずの入院ですっかり足腰の弱った母親は、一人で歩けないほどであったが、新しい病院では顔の表情も柔和になり七年間暖かい看護を受けて91歳で亡くなったという。
     患者本人と施設との相性もあるが、虐待まがいのことがある世界なのだろう。他人事ではない。


    [No.15585] 今日は何の日・8月2日 投稿者:   投稿日:2010/08/02(Mon) 05:32
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    みなさん、今日は
    今日は何の日、8月2日
    学制発布記念日
    1872(明治5)年、太政官布告で「学制」が発布され、近代的な教育制度が確立した。
    当時は下等小学4年間、高等小学4年間の4・4制だったが、数度の変遷を経て1947(昭和22)年に現行の小学6年間、中学3年間となった。

    パンツの日
    下着メーカーの磯貝布帛工業(現在のイソカイ)が1984(昭和59)年に、自社ブランド『シルビー802』の商品名に因んで制定。後に、トランクスメーカーのオグランも「パン(8)ツ(2)」の語呂合せでこの日を記念日とした。
    女性が本命の男性にこっそりパンツをプレゼントする日。

    ホコ天記念日
    1970(昭和45)年、銀座・新宿等で初めて歩行者天国が実施された。
    警視庁が、「人間性を取り戻す政策」として週末の銀座・新宿・池袋・浅草で自動車の交通を遮断して歩行者天国を実施した。

    ハーブの日
    ハーブを使った化粧品を販売している会社・コスメハーブが制定。
    「ハ(8)ーブ(2)」の語呂合せ。

    博多人形の日
    博多人形の生産者の組合が中心となって制定。
    「は(8)かたに(2)んぎょう」の語呂合せ。

    1928(昭和3)年 アムステルダム五輪の三段跳びで織田幹雄が優勝。日本人初の金メダル

    1980(昭和55)年 イタリアのボローニャ駅で大爆発。死者84人。極右団体NARが犯行声明

    1990(平成2)年 イラク軍が突如クウェートに侵攻し全土を制圧。翌年1月に湾岸戦争が勃発

    今日の誕生日の花:サギソウ
    花言葉:心の強さ
    今日の一句:鷺草のそよげば翔つと思ひけり   河野南畦

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.15584] これぞ名人 投稿者:   投稿日:2010/08/01(Sun) 21:07
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     きょうの一句ではないが、きょうの一枚は、やっぱりこれ。

    http://you.leparisien.fr/conso-passions/2010/07/25/decouvrez-la-photo-de-la-semaine-2682.html

     撮影者はある日、パリの観光名所サクレ・クール寺院の石段にすわって休んでいた。そばに街灯があり、そこで若者がひとり、余念なくサッカーのドリブルをやっているのに気付いた。

     とつぜん彼はするするとこの街灯によじ登り、両手で器具に掴まりながら相変わらずドリブルを続けたという。この男には、重力の作用などまるで関係ないように見えたと云う。

     


    [No.15583] 8月・メロウ伝承館便り 投稿者:   投稿日:2010/08/01(Sun) 09:09
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     8月も暑そうですね。
     さて、今月も、メロウ伝承館からのご報告とお願いです。

     1.7月の投稿から

       7月も、いろいろ意義深い投稿を頂戴しております。


      『実録・個人の昭和史』


       ・羽生の鍛冶屋

        先月からの「つづき」です。
     
        羽生だけでなく、日本各地の「刃物屋」さんの歴史と現状も語られています。


       ・疎開児童から21世紀への伝言

        こちらも、つづきです。

       なかでも下記の記事が印象に残りました。

       「父親からの手紙」

        父親が疎開先のこどもへ毎日送っていた手紙です。
        単なる現況報告ではなく、
        ああいう混乱の時代に、こどもの学問の進め方にまで
        細かい注意を払い、指導を続けておられたのは感動しました。
        わが子を励ます内容が主体ですが、ときには、父親のホンネも聞こえてきます。

       「祖母の覚悟」

        横浜大空襲(1945/5/29)の日、
        家じゅう燃え盛る火の海のなかで
        体がご不自由だったご母堂をおぶって逃げようとしている息子に
        「お前はこれから子供たちを育てなければならない。
        私のことはもう良い。一刻も早く逃げなさい」とおっしゃって
        正座して両手を前に合わせ、「南無妙法蓮華経」と声を出して唱え始めた。
        ―――という記事でした。
        今のシニアに「いざ」というときに
        それだけの行動がとれるのかと聞かれているようで、ドキッとしました。


     ・兄の眠る国

       先月からのつづきです。
       印象に残ったことはーーー

       兵士のなかにはパプアニューギニアで飢えと病気に苦しみながら、
       日本の歌を教えるなど地元の子供たちの教育に力を入れらた方がありました。
       当時、この学校で教わった8歳のマイケル・ソマレ少年が現在この国の首相だそうです。


     ・戦前の入学試験

       戦前の、主として高等専門学校の入学試験問題の一部と、出題された先生方の講評です。
       当時の先生方がどんな方向を目指しておられたか、その一端がわかります。


     2.トピックス

      2007年に、伝承館に出していだだいた「明治の大学卒業アルバム」について
      松本筑摩高等学校放送部のメンバーが
      NHK杯全国高校放送コンテストに出品するビデオへ転載させてほしいとの依頼がありました。
      投稿者、ザックスさんがご承諾の回答を送って下さいました。
      そのビデオがコンテスト全国大会で見事、準優勝に輝きました。
      いいお話ですのでご紹介いたします。

       
     3.一度、ぜひお読みください。

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       登録などしていただかなくても、どなたでもご覧いただけます。


     4.掲載・転載させていただく記録を探しています

       全国各地で、それぞれ戦前・戦中・戦後の記録を保存しておられると思います。
       自分史、町内会報、社内報、地域のミニコミ紙などに掲載されたもの    
       ウェブサイト・ブログなどからの転載をお待ちしています。
       公開し、末永く保存させていただきます。


     どうぞ、今月も、メロウ伝承館をよろしくお願い申し上げます。


    [No.15582] しいや みつのり漫画版:誰も独りでは生きられない 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/01(Sun) 08:26
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    漫画版 誰も独りでは生きられない
    作画しいや みつのり 
    彼は赤塚不二夫のアシスタントをつとめた。
    この漫画の雰囲気はどこか「釣りバカ日誌」の北見けんいちの漫画と似ている。
    北見けんいちも赤塚不二夫のアシスタントだった。
    赤塚不二夫の影響を感じないが、しいや みつのり と 北見けんいち の
    漫画の雰囲気が似ているということは、やはり赤塚不二夫の影響があるのだろうか。

    今年のように、暑い熊谷の夏、著者は涼を求めて図書館に行き「誰も独りでは生きられない」を読む。
    感激して、出版社の了解のもと、漫画版を描くことになる。

    ここでは家族の話を紹介するが、他にも恩師の話など、心に残る話が多い。

         ○     ○
    梨の味
    これまでの人生で影響を受けた人や言葉は
    と聞かれれば普通誰もが教育者とか偉人を思い起こそうとするのではないか。
    しかし私はふと考えた。
    最も影響を受けた人はと聞かれれば
    母を除いてはこたえられないのだ。
    いや母を除いて考えてはいけないのだという気持ちになる。
    母について思い出すことはたくさんあるが
    ここに一つだけ記したい。
    昭和26年のころ
    ある日我が家のちゃぶ台に梨が載っていた。
    母が皮を剥き
    一個を四等分に切って皿に盛っていた。
    母と父そして私と弟
    四人家族である。
    私はその時
    七歳だったかと思う。
    弟は三つ年下。
    その梨は二十世紀とも呼称されていた。
    鳥取県産で有名な果実であるのは子供の私でも知っていた。
    私の家は鳥取県から遠く離れていた
    小さな貧しい村だった。
    地場産業の一つである瓦製造工場に私の両親は勤めていた。
    その傍ら小さな畑を耕して自らの家で食する程度の野菜を育てていた
    つつましい生活であった。
    梨は桃やバナナなどと共に
    贅沢な食品だった。
    我が家では
    それらは一年に一回しか食べられなかった。
    暑い日差しが残る午後だった。
    丸い型のちゃぶ台の真ん中
    ありふれた水色の陶磁器の皿に
    四切れの白い果肉の梨
    見るからに水々しかった。
    その日も
    私は少しでも大きいと見える一切れを選び指で掴んでかじった。
    予想した通りの旨さだった。
    次に弟が掴んだ。
    弟はすぐ家の外へ遊びに行ってしまった。
    次に父が食べた。
    皿の上に一個残った。
    私は自分の分はたちまち食べ終わったが
    残っている一個から目が離せなかった。
    勿論その一個は母が食べるものとわかっていた。
    私は何気なく梨の一切れから目を離して母を見た。
    いや母は先程から私を見続けていたのだ。
    七歳の長男がどんな表情をしてどんな仕草で
    果物一切れを食べるのか見守っていたのだ。
    そうして母はすべてを察知していたのだ。
    食べていいよ
    母は微笑というより
    さらに人には気付かれないくらいの静かな笑みを見せて言った。
    私は驚いた。
    母ちゃんだって食べたい筈なのに
    いいのくれるの
    私は心の中で大きな声を上げていた。
    私は咄嗟に考えていた。
    母は酒などは嫌いで甘いものが好きなのだ。
    この梨だって食べたいに決まっている。
    それなのに子供に食べよと言っている。
    いま食べないと
    もしかしたら来年まで食べられないかもしれない。
    それなのに自分は食べなくていいという。
    なんて心が大きいのだろう。
    私は心が震えるような思いでその梨を食べた。
    そして食べている途中もさらに食べ終わっても
    子供心に考え続けていた。
    母ちゃんは
    自分が食べてもいいものを
    ひとに譲った。
    なんていう凄い行いだ
    心が大きい。
    子供には真似できない
    あの時私は
    これが母親の我が子への愛情なんだ
    という具合には感じなかった。
    そうではなく
    とにかく大人は心が大きいとばかり思い感心もしていた。
    巷間
    人間は結局自分が一番かわいいものなのだなどと言われる。
    こんなことを聞くと
    私は母が譲ってくれた梨の一切れを思い起こすのだ。
    自己中心の人間
    自分勝手な人間ばかり
    世にあふれている
    と見えてしまうことがある。
    いやそんなことはない
    などと私は胸の中で自問自答を繰り返している。

       ○    ○
    空襲とお守り
    昭和二十年七月一日
    熊本大空襲は当時中学一年生だった私にとって
    忘れられない体験として鮮明によみがえってくる。
    母に起こされて
    まだよく目覚めていなかった私も
    次第にいよいよ恐れていた事態が起きているのだと
    ことの重大さがわかってきた。
    枕元にたたんでおいた衣服を手に取ると
    母に急がされて蚊帳の外にでた。
    母と姉は素早く蚊帳をはずして
    その中に使っていた夜具を放り込み
    一纏めにすると
    私と弟を急き立てながら
    一番近い通りに作られた防空壕に避難させた。
    連絡するまで
    その場から動かないようにな
    そう言うと母は姉と二人で家の方へ戻って行った。
    家に留まって消火活動をするつもりでいたようだ。
    真っ暗な防空壕の中に小学五年生の弟と二人の外には
    人のいる気配はなく
    隣近所の人々もまだ来ていなかった。
    やがて地面を震わすような大編隊と思われる爆音が
    長い間続き過ぎ去るとまた慌てふためく人々の悲鳴が起こった。
    次から次へと人々の走り去る足音と
    引き攣ったような叫び声を聞きながら
    母たちは何をしているのか
    このままでは取り残されて逃げ遅れてしまうのてはないか
    という不安に怯えながら私と弟は
    暗闇の中にしゃがみこんで震えていた。
    やがて姉が来て防空壕の入口から
    まだここは大丈夫
    後で裏の防空壕に移るからこのままここに居てね
    と意外に冷静な声で言った。
    私と弟は怖いと訴えた。
    お守りさんをしっかりと握っていなさい
    そう言うと姉はまた行ってしまった。
    私はお守りさんのことなどすっすり忘れていたので
    それに気づくと
    首から提げていたお守りさんを手に握り締めた。
    そうしていると不思議なことに
    御仏の大きなお加護を受けているような安心感を覚えることができた。
    この時ほどお守りさんが有難いと感じたことはない。
    そして弟が泣いているのに気がついた。
    弟はお守りさんをなくしたと言う。
    学校で相撲をして遊んだ時に外して紛失したということだ。
    僕にも握らせて
    手を伸ばしてくる弟に対して
    私はお守りをなくした弟を責めてお守りを握らせてやれずにいた。
    弟は益々声を上げて泣き出した。
    しばらくして姉が来た。
    明らかに先程よりも緊迫した口調で
    裏の防空壕に移ることを告げた。
    弟は泣きながらお守りさんを失って持っていないことを姉に訴えた。
    弟の訴えを聞くとはいこれを持っていきなさい
    と姉は自分の身に付けていたお守りをはずすと弟の首に掛けてやった。
    私はあっさりとお守りを弟に与える姉の勇気にびっくりした。
    姉は私より三つ上で高等女学校の三年生だった。
    私と弟は姉に連れられて走って裏の防空壕に避難した。
    ほとんど同時に住居の床下の壕に避難していた同じ隣組の二家族の三、四人が
    駆け込んできた。
    防空壕の天井が地響きして土砂が降ってきた。
    入口の扉から横壁の枯れた竹を伝って火が燃え広がってきた。
    壕内に煙が充満して息苦しくなってきた。
    苦しい、たすけてと悲鳴が起こった。
    幸いにも母がバケツに汲んできた僅かな水にタオルを浸して
    地面に這って何とか危機を脱した。
    夜が明けた時赤ん坊を含めた数家族が窒息死や焼死しているのがわかった。
    私の戦争体験はいろいろあったが
    やはり防空壕での出来事が一番心に残っている。
    いまでも弟と会う時
    口にしたことはないが
    心の中では
    すまなかったと謝り自分を恥じている。
    また
    姉には絶対に逆らえない。
    今でも私の卑怯な行為にたいして姉の偉大さに頭が上がらない

    ----------
    もののあふれた現代では、1個の梨を4切れに分けて一家で食べるのが年に一度の
    楽しみというのは理解できないかもしれない。
    ものに不足しているときのほうが、ものの価値とか人間の優しい心がわかるのかもしれない。
    空襲から身を守るはずの防空壕も、そうとはならない例を
    茨城県の吉田正記念館に行ったとき知った。
    吉田正は兵士として大陸に行っていたころ
    日立の実家では、彼の家族は全員防空壕のなかで焼死したという。
    シベリヤから帰ってきた彼は、天涯孤独の身の上となっていた。

    しいや みつのりの絵が
    とてもいいのだけれれど、再現できないのが残念。
    それにしても 赤塚不二夫はいい弟子をもったものだ。


    [No.15581] Re: がんばれ美術館ボランティア 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/01(Sun) 07:54
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    > もしかして、出版社は『淡交社』ではありませんか?(^_-)-☆

    はい
    御指摘の通り
    淡交社 でした。

    唐辛子 紋次郎さんの川村美術館の
    ボランティアのことも載っています。


    [No.15580] 今日は何の日・8月1日 投稿者:   投稿日:2010/08/01(Sun) 05:34
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    みなさん、今日は
    日は何の日、8月1日
    観光の日
    総理府(現在の内閣府)が1965(昭和40)年に制定。

    水の日
    国土庁(現在の国土交通省)が1977(昭和52)年に制定。
    1年を通して8月が一番水を使う量が多い月であることから、その月の最初に節水を呼びかける為にこの日を記念日とした。

    自然環境クリーンデー
    環境庁(現在の環境省)が制定。

    肺の日
    日本呼吸器学会が1999(平成11)年に制定し2000(平成12)年から実施。
    「は(8)い(1)」(肺)の語呂合せ。

    麻雀の日
    全国麻雀業組合総連合会が、健全な娯楽としての麻雀をPRする為に制定。
    「パ(8)イ(1)」(牌)の語呂合せ。

    世界母乳の日
    世界母乳連盟が1992(平成4)年に、世界保健機関(WHO)とユニセフの援助の元に制定。
    子供が母乳で哺乳される権利「母乳権」の普及を図り、母乳による育児を推進する日。

    1894(明治27)年 日本が清国に宣戦布告。日清戦争が開戦

    1898(明治31)年 豊田佐吉が自動織機の特許を取得

    1924(大正13)年 兵庫県西宮市に甲子園球場が完成。この年の干支に因んで命名

    1931(昭和6)年 日本初のオール・トーキー映画『マダムと女房』が封切り

    1936(昭和11)年 第11回オリンピック・ベルリン大会が開幕。この大会で日本人6人が金メダル

    1941(昭和16)年フランクリン・ルーズヴェルト米大統領が日本のインドシナ進駐への制裁として対日石油輸出を全面禁止

    1973(昭和48)年 鉄道弘済会売店が「キヨスク」に改称

    今日の誕生日の花:アサガオ
    花言葉:愛情の絆
    今日の一句:朝顔やつるべとられてもらひ水   千代女

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


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