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[No.15651]
Re: もっと笑うためのユーモア学入門
投稿者:
投稿日:2010/08/20(Fri) 21:34
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> 十数年前に「国際ユーモア学会」という学会ができ、毎年1回研究発表会を開催している。学会誌も発刊され、文学、言語学、心理学や哲学、社会学、人類学、生理学などの論文も発表されている。
> そう説明する著者の森下伸也は大学教授。
1994年にThe Japan Society for Laughter and Humour Studies、日本語では
「日本笑い学会」として誕生し、先日の第17回総会で森下伸也関西大学教授が第2代
会長に就任しました。今年は関西大学、09年は東北大学、08年は京都外大で総会・
研究発表会をしています。よく「お笑い学会ですか?」と聞かれますが「お」のない
学会です^^
森下さんは社会学者ですが会員には、医師、心理学者、看護師、作業療法士、落語家、など人と接する現場に関わる人が多いのが特色だと思います
定例会では「笑いと健康(癌、認知症、鬱病、・・)」について臨床例の報告があり
人間にとって笑うことの大切さを痛感します
さんらく亭@甲子園 〜日本笑い学会会員No:30-220
[No.15650]
もっと笑うためのユーモア学入門
投稿者:男爵
投稿日:2010/08/20(Fri) 09:52
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十数年前に「国際ユーモア学会」という学会ができ、毎年1回研究発表会を開催している。学会誌も発刊され、文学、言語学、心理学や哲学、社会学、人類学、生理学などの論文も発表されている。
そう説明する著者の森下伸也は大学教授。
笑いとは何か。
それを勉強するために読んだ本であるが
例によって以下にメモする。
笑いはひとつの身体活動である。(デカルト)
笑いは善である。(スピノザ)
笑いは健康によい。(カント)
およそカントの笑ったことなど想像できないが。そう言ったとしたらカントは偉い。
人間だけが笑う動物だ。
犬や猫や馬は笑わない? 猿など笑いそうだけど。
愉快だから笑うのではなく、笑うから愉快になる。
悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ、という言葉がある。それの応用か対応例なのだろう。
悲しいから泣くという現象はある。そして、泣くとまた悲しくなる。
楽しいから笑う。笑うとまた楽しくなる。幸福のスパイラル。
悲しいときに泣かないで、悲劇的な傾向をいったんストップさせ、状態を切り替えるため、わざと笑ったりユーモアを持ってくるのは人間の知恵。
トリックスター
多くの民俗社会では、神話や伝説に、ずるがしこく、怠惰で、欲深く、極端に自己中心的で、とんでもないイタズラをやらかしながら、それでもどこか間がぬけていて、なぜかみんなに愛されるという一風変わった道化的主人公がしばしば登場する。
トリックスターはそのような人物である。
ドイツ民話の人気者ティル・オイレンシュピーゲルやスラップスティック映画の王者マルクス・プラザーズはその例である。
*スラップスティックとは、直訳すると叩く(スラップ)棒(スティック)。アメリカの道化芝居で相手をひっぱたくときに使われた、先がふたつに割れた棒のこと。(音は大きいがあまり痛くない、日本のハリセンみたいなもの)
これが転じて舞台喜劇の芸を指すようになり、動きの多いコメディ映画をそう呼ぶようになった。日本ではよくドタバタ喜劇と訳される。
トリックスターが愛されてきた理由は何か。
それは、彼らがみずからの欲望のおもむくままにやりたい放題のことをする自然児であり、やらなければならないことをやらず、やってはならないことばかりする反抗児だということであろう。
彼らは自然と無秩序の象徴的存在であり、それゆえ社会のさまざまな制約のもとで生きている人間にとって、心の奥底にある根源的自由への願望を満たしてくれる愉快な存在として、憧憬の対象となるのだ。
その意味で彼らは、根源的自由への願望という、社会にとってもっとも危険な破壊的欲望を、代償的に満足させる存在として機能していると言ってよいだろう。
だがそれだけではない。彼らは結局、思いどおりにならず失敗する。その失敗にわれわれは「そんな目にあってもしかたないな」と思い、納得しつつ笑う。その瞬間われわれは、根源的自由の対極をなす社会秩序や社会規範の方向へシフトしている。つまり、トリックスター説話の第二の社会秩序維持機能である。
この他にも、彼らはひとたび逸脱行為によって社会をカオス状態におとしいれたのち、新しい秩序あるいは新しい文化をもたらすという効果が期待される。
さらに
宮廷道化師や愚者の饗宴とカーニバルについてもふれているが詳しく述べることはしません。
ブリューゲルの「謝肉祭と四旬節の喧騒」に見られるように、冷静に観察すると
はめのはずした狂気、陽気さ、猥雑さ、哄笑、エネルギーなどが感じられるが、その背景にある必然性といったものがあるのだろう。
笑いとは何か、その回答のひとつがこの本であるが、あたっているような、しかし、これがすべてでないような、あるいはもっと端的に本質をあらわす言葉がないのか等の感想をもった。
[No.15649]
今日は何の日・8月20日
投稿者:
投稿日:2010/08/20(Fri) 05:37
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みなさん、今日は
今日は何の日、8月20日
交通信号の日,三色信号設置の日
1931(昭和6)年、銀座の尾張町交差点(現在の銀座4丁目交差点)・京橋交差点などに、日本初の3色灯の自動信号機が設置された。
NHK創立記念日
1926(大正15)年、社団法人日本放送協会(NHK)が設立された。
蚊の日
1897(明治30)年、イギリスの細菌学者ロナルド・ロスが、羽斑蚊類の蚊の胃の中からマラリアの原虫を発見した。
1945(昭和20)年 敗戦に伴い3年8か月ぶりに燈火管制を解除。信書検閲を廃止
1968(昭和43)年 ソ連・東欧軍がチェコスロバキアに侵入し、民主化運動「プラハの春」を圧殺
1977(昭和52)年 アメリカで無人惑星探査機「ヴォイジャー2号」打上げ
1988(昭和63)年 イラン・イラク戦争の停戦協定が発効
1991(平成3)年エストニアがソビエト連邦からの分離独立を宣言
2007(平成19)年チャイナエアライン機が那覇空港着陸後に爆発・炎上。火災が広がる前に全員脱出し、機体全焼するも死者なし
今日の誕生日の花:センニチコウ
花言葉:変わらぬ愛情、不朽
今日の一句:てにをはを省き物言ふ残暑かな 戸恒東人
出典は今日は何の日、毎日が記念日
http://nnh.to/
及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
[No.15648]
Re: 今日は何の日・8月18日
投稿者:
投稿日:2010/08/19(Thu) 19:30
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ぷわらさん、こんにちは。
> 松山商業のピッチャー、健気にがんばってて応援してました。
> いまごろどうしてるかなあ・・・
その井上明さんは新聞記者(主催のA新聞社)です
いつだったか雑誌で因縁の太田・井上対談があり興味深かったです
> 近鉄に入団しましたよね、たしか。
> アイドルも普通のオッサン。
> 諸行無常ですねえ。
太田幸司さんは近鉄・阪神・巨人と転々としましたが高校野球で
燃え尽きたみたいです
一時は太田胃酸のTVCMに出ていましたよ^^
甲子園での遺産では食えなかったみたい^^;;
さんらく亭@甲子園
[No.15647]
Re: 今日は何の日・8月18日
投稿者:
投稿日:2010/08/19(Thu) 10:46
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さんらく亭さん、こんばんは。
> 松本ではなく松山商業(愛媛)です
きゃー、そうですよね、間違えました。
ごめんなさい、松山のみなさん。
松山商業のピッチャー、健気にがんばってて応援してました。
いまごろどうしてるかなあ・・・
> 太田幸司は野球選手がアイドルになった元祖でしたね
> いまは普通のオッサンでラジオで解説やってます
近鉄に入団しましたよね、たしか。
アイドルも普通のオッサン。
諸行無常ですねえ。
[No.15646]
宗教法人法はどこが問題か
投稿者:男爵
投稿日:2010/08/19(Thu) 09:59
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宗教法人法はどこが問題か
井上順孝編集 弘文堂
宗教法人法について、それぞれの立場で
賛成反対を述べる人たちの意見を整理して紹介しています。
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宗教法人法は
政教分離の原則に違反するのではないか。宗教団体の自治権を大きく侵害するのではないか。
所轄庁には調査権限が与えられていないので、宗教法人の実態を把握できないという説明があるが、実はおかしい。
1951年の宗教法人方制定以来、文化庁からは毎年、宗教法人に対して庶務の概要及び財産目録、あるいは収支計算書の提出が求められていて、法人側は自主的に協力している。だから、財産内容についても文化庁側は実はかなり詳しく実態を把握しているはずと思うが、そのようには言っていない。
法改正は宗教法人運営の透明性を高め、自治能力を高めるのだと言われているが、はたしてそうなるだろうか。むしろ、一方的な国家の介入による法改正というものは、宗教法人と国とか行政の間の信頼関係を損なうのではないかという心配がある。
今回の法改正は例えると、一部の非行生徒が事件を起こして、これは問題だということで学校側が一方的に校則を厳しく改正してしまうようなものではないか。
生徒も大半は真面目な生徒であるから、最近の学校では校則を改正する場合でも、生徒自身に図って生徒に考えさせるというような民主的な手段をとっている学校が多いと思う。しかも、校則を守るのは生徒自身である。生徒が自主的に納得して校則を守ろうというような改正でなければ意味がないと思う。
天谷忠央 中央学術研究所所長
(一部の悪い外国人が密入国したり国内犯罪を犯すからといって、外国人に厳しい法律を作って対応するのがいいのだろうか、と言っているようなもの)
(だいたいの会社や国民は真面目に税金を払っているのだから、厳しいチェックをするのはおかしい。一部の不正な会社や国民のために、厳しい規則を作るのはおかしいと言っているようなもの)
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財務関係書類、備え付け帳簿などの提出義務及び開示の問題である。
これについては、そういう財務書類は、宗教法人のいわゆる「俗」の部分の問題にすぎないのだから、そのようなものを所轄庁に提示したって、あるいは一般信者に開示したって、さしたる問題はないのではないかということが大きな論調になってい。
しかし、財産目録とか貸借対照表、収支計算書などの財産関係書類というものは、確かに数字にすぎず、「俗」なる領域の記載という側面が大きいといえるが、その数字の裏側には必ず「聖」なる領域、すなわち宗教団体の信仰・教義や活動というものが密接に関わっているわけで、そういうようなものを数字で反映しているのがこれらの書類・帳簿なのである。家計簿を見ればその家の生活の実態が一目瞭然になるのとほぼ同じようなことではないか。さらには、これらの書類・帳簿には宗教団体などの信者のプライバシーに関わるような問題もしばしば含まれている。
そのようなものを所轄庁が強制的に提出させる、あるいは信者などに開示することを一律に国家が義務づけるということが、はたして現行の宗教法人法という観点から見ていいのかどうかということが、大変問題になろう。
要は、そういう「俗」なる部分に過ぎないとの口実の下に、「聖」なる部分に対する国家からの干渉、介入の契機になるのではないかということが一番の懸念である。
桐ヶ谷 章 創価大学教授
(聖なる部分と称して、見られたくないもの、見せたくないものがあるようだ。それは何だろう)
(ブライバシーだからといって神社やお寺の建築の際の寄付は公開しているではないか)
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戦後50年たって日本は民主化されたというふうに言われるが、敗戦によって外からもたらされた民主主義というのが、我が国でどのくらい根付いてきたのかが今試されている。社会に存在する集団一つ一つが民主化されるということが、社会全体がトータルに民主化されていく、社会に存在する宗教団体や宗教法人もその例外ではない。だから、ある意味で宗教法人の自己管理、自己規制、自立性の強化ということが、やはり、日本社会全体の民主的な改革の一環であるというふうに私自身は考える。
「どこどこの新聞でのコメントは許すけれども、他では許さない」というワープロでもって大きく書かれたものなどで威かしたり、嘲笑したり、侮蔑した手紙が私のもとに届く。このような手紙をみると、どういう立場で、どういう背景で書いているのかよくわからないが、信教の自由を守るとすれば、表現とか言論活動という、憲法で同じように並んでいる他人の正当な権利については無視して、信教の自由や宗教弾圧の面だけしかみない、このような人にこそ、真の信教の自由を守るために、自由社会・民主主義社会と宗教法人、宗教団体の問題を真正面から問いたいと思っている。
棚村政行 早稲田大学教授
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宗教法人は非課税の恩恵を受けている。公益法人でも、あるいは非収益団体でもいいのだが、非課税の特典を受けている以上、公益活動をやっているということを対外的に公表、操を立てながら、あるいは社会的に認知されるよう努力してほしい。非課税の恩恵を受ける以上、最低限のことをやることがなぜ信教の自由の侵害になるのだろうかと思う。
所轄庁はこれまでサボって何もやってこなかったのは事実だと思うが、少なくとも解散命令の請求権や、あるいは収益事業に対して、要するに目的外活動に対する停止の命令権がある。だけれども、本来やるべきことをこれまで一回もなってこなかったわけである。つまり、認証取り消しや、目的外の収益事業に対する停止命令はこれまで一軒も発動されていない。行政がサボってきたからである。本来ならば、私はいわゆるアンケートをして任意に答えていただくだけではなくて、そういう取消権や停止権限がある所轄庁として、最低限アンケートを出して調査して、出向いて行って調査するぐらいのことはやってもいいと思う。もちろんそれは任意である。任意であるが、やってもよかった。それを今まで行政はしてこなかった。
今回の質問権は、行政庁をサボらせないための法律だと私は認識している。質問権といっても勝手にできるわけじゃない。宗教法人審議会にいちいち問い合わせしなきゃいけないわけである。そんなことをやっているうちに、問題の宗教団体は知るであろう。所轄庁がこういう質問をしたがってることぐらいのことは、いろんなルートで聞かれようとする団体は知ることができるだろう。そういう意味じゃ秘密性も何もない質問権である。宗教団体に対する迫害だという意見がある。私も、権力あるいは政府は性悪説の立場でとらえるべきだと思う。
しかし、少なくとも宗教の迫害というのは、信仰に対する強制及び信仰を理由とする不利益扱い、これがある場合に信教の自由の侵害となるはずである。しかし、今回の法律改正によって信仰を持つことによって強制あるいは不利益があるということにはならないだろうと私は思うが、いかがであろうか。問題は、まだ今後、認証取消しのあり方、あるいは解散請求の際の保全措置のあり方、それから、税制の検討、あるいは無認証基準をこのままでいいのかと、様々な問題があるので、私自身は宗教が大事であればあるほど、大いにここらへんの問題についても議論してほしいと思う。
山口 広 弁護士 全国霊感商法対策弁護士連絡会事務局長
○ △ ○
それぞれの立場での意見ですが
皆さんはどれが妥当だと思いますか。
[No.15645]
Re: 今日は何の日・8月18日
投稿者:
投稿日:2010/08/19(Thu) 08:03
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ぷわらさん、こんにちは。
> これ、三沢高校と松本商業ですよね?
> 太田投手がハンサムだったので大人気でしたけど、私は松本商業もすごくがんばったと思います。
松本ではなく松山商業(愛媛)です
> なつかしいなあ。
> みんな、もうオジサンなんですよね。ははは
太田幸司は野球選手がアイドルになった元祖でしたね
いまは普通のオッサンでラジオで解説やってます
さんらく亭@甲子園
[No.15644]
今日は何の日・8月19日
投稿者:
投稿日:2010/08/19(Thu) 05:40
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みなさん、今日は
今日は何の日、8月19日
バイクの日
総務庁交通対策本部が1989(平成元)年に制定。
「バ(8)イ(1)ク(9)」の語呂合せ。
バイクの安全を考え、バイクによる交通事故の増加を防止するための日。
俳句の日
正岡子規研究家の坪内稔典さんらが提唱し、1991(平成3)年に制定。
「は(8)い(1)く(9)」の語呂合せ。
夏休み中の子供達に俳句に親しんでもらう日。
1929(昭和4)年 ドイツの飛行船「ツェッペリン伯号」が世界周航の途中で日本を親善訪問。霞ヶ浦飛行場に着陸
1965(昭和40)年 佐藤榮作首相が首相として戦後初の沖縄訪問。デモ隊に囲まれ米軍基地に宿泊
1980(昭和55)年 新宿駅西口バスターミナルで京王バスに放火。死者6人、重軽傷19人
1991(平成3)年 8月クーデター。ソ連のヤナーエフ副大統領ら保守派がゴルバチョフ大統領を休養先で軟禁
今日の誕生日の花:ナス
花言葉:つつましい幸福
今日の一句:妻呼ぶに今も愛称茄子の花 辻田克己
出典は今日は何の日、毎日が記念日
http://nnh.to/
及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
[No.15643]
Re: 今日は何の日・8月18日
投稿者:
投稿日:2010/08/19(Thu) 01:40
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KAMEさん、みなさん、こんにちは。
> 1969(昭和44)年 高校野球決勝で延長18回で引き分け。翌日再試合
これ、三沢高校と松本商業ですよね?
太田投手がハンサムだったので大人気でしたけど、私は松本商業もすごくがんばったと思います。
なつかしいなあ。
みんな、もうオジサンなんですよね。ははは
[No.15642]
Re: 里中満智子:タマタマ女
投稿者:男爵
投稿日:2010/08/18(Wed) 22:15
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> 里中満智子は漫画家
> 現在、持統天皇を主人公にした「天上の虹」を執筆中 。
この本の中で
釣り漫画でおなじみの矢口高雄のふるさと、秋田県増田町に
「まんが美術館」ができあがったので、そのオープニングに他の漫画家たちと一緒に行ってきたことを書いている。 (設立1995年当時は増田町であったが、今は合併の結果横手市となった)
オープニングにあたって「手塚治虫・矢口高雄二人展」を開催した。
故手塚治虫の原画、仕事の足跡、矢口高雄の全仕事の内容が展示された。
常設展として、漫画家六十人(その中には著者里中満智子も入っている)の原画と、韓国や台湾などアジアの漫画家たちの原画も展示された。
この本で著者が言いたいのは、漫画家の妻のことである。
オープニングセレモニーには、手塚夫人もかけつけた。
手塚夫人は、「リボンの騎士」のサファイアを思わせる美人で、上品でスマートで
「私は手塚を尊敬し、愛している」というオーラのようなものが、いつも全身からたちのぼっている感じを受けて、夫人に会うと著者はいつも感動する。
漫画家の奥様といっても、当然だがいろんな人がいる。
夫人たちがみな「漫画家の理解者」であってくれれば(漫画家の里中満智子も)うれしい。
だから手塚夫人や矢口夫人を見ていると、ほっとするし、うれしくなる。
でも中には「私は夫の作品なんて興味がないわ。わけのわからない不規則な生活をして、こっちだって苦労するわ。収入が安定していれば、たいていのことは我慢するけれど...」という人もいないわけではない。
漫画家が亡くなると、原稿の山が残る。それは将来の漫画界にとって貴重な宝物になるし、本人の創作の歴史である。
しかし、「どうせ私にはわからない世界だから」と、ゴミあつかいにしたり、いっさい管理せずほったらかしにしておく未亡人もいる。
夫と妻の関係がうまくいっていれば、自然と妻は夫の「歴史」を大切にするようになる。妻に「私には関係ない」と言わせてしまう責任は、夫の愛し方に問題があったせいかもしれない。
愛がなくなれば、夫婦であるが故に他人同士以上にギスギスしてしまう。夫が亡くなれば「捨ててしまって、せいせいした」と言われる運命になる原稿の行方が気にかかる。
ーーーー
このあと
夫が浮気を繰りかえしても、仕事を大切に考える妻もいる。
夫は浮気せず、仕事熱心で、奥さん一筋なんだが、そういう夫の仕事に全然理解を示さない妻もいる。
互いにさめた関係でも、仕事の内容への尊敬の念をいだく妻もいる。
アツアツなんだけど「うちの人、こんなの描いていたの?」という妻もいる。
一口に「愛があれば」「愛がないから」と言えないのが「夫の仕事に対する妻の態度」なのであると結んでいる。
考えてみると太宰治の妻も、他の女と心中され、自分は子どもと残されて
夫の性格破綻者の存在は救いようがないと思っていただろうが、作品については
世間の批評家の批評に対して、太宰のオリジナリティは認めていた。
資料をただ写すだけではなく、太宰の感性による付加的なもの、創作性の存在を主張していた。
また話は変わるが
漫画家が亡くなると、その漫画は永久におしまいになってしまい続きなど考えられないはずだが
生前に漫画家が自分の後継者を指名しておくと、その漫画は生き続ける。
指名された漫画家が後継者として続きを描くのである。
そり例は「のらくろ」の田川水泡に見られる。
同様に、ドラえもんの作者が亡くなったが、アシスタントが漫画家の遺志を継いでドラえもんは不滅である。
昨年亡くなったクレヨンしんちゃんも、遺族と出版社の合意で、作品は受け継ぐ漫画家の手で続きが描かれるという。
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