戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃・10 (林ひろたけ)
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朝鮮人が日本人学校に転校してきた・2
そのころ朝鮮も日本も一体となって戦争を遂行しようと内鮮一体と言うことがくり返し強調されていた。内地と朝鮮は一体だという意味だった。朝鮮のことを鮮と略することが多かった。北朝鮮とか南朝鮮とかはみな北鮮とか南鮮とかいった。そして朝鮮人のことを鮮人といった。朝鮮鉄道は鮮鉄といった。朝鮮のことを 「朝」 と略していうと日本の 「朝廷」 になるので 「鮮」 と略して言うことになっていた。一種の差別用語だったが当時の私たちには、そんなこと知る由もなかった。
イッシドゥジンとは 「一視同仁」 で天皇陛下が朝鮮人も日本人と同じに扱うという意味だった。そのころ朝鮮人とか鮮人とか使わないように学校でいわれ始めていた。とくに 「ヨボなどいってはいけません。内地人も半島人も同じ日本人です」 と強調されるようになった。朝鮮人のことを半島人と呼ぶようになっていた。それは、内地人と朝鮮人との区別をなくすためだと説明された。
朝鮮人にも徴兵が実施されることになっていた。
朝鮮人の子供が日本人学校に入ってきたせいで、「皇国臣民の誓詞 (ちかい)」 というのを朝礼のとき斉唱することになった。普通学校 (朝鮮人だけの国民学校のこと) では、ずっと前から斉唱は行われていたが、それまで日本人国民学校では斉唱はされていなかった。洋武はあまりよく覚えていなかったのでこの 「皇国臣民の誓詞」 は苦手だった。
毎月一日と八日には朝礼があった。また祝日は休みだったが朝だけ学校にでかけて式があった。
朝礼は雨でなければ運動場でおこなわれた。どんな寒い日でも 「戦地の兵隊さんのことを思えばこのくらいの寒さはなんでもない」 と先生はくりかえした。八日の朝礼のときは入学式の時とちがって、教育勅語でなく 「開戦の大詔」 を読んだ。意味はわからなかった。しかし、天皇陛下が戦争をはじめるにあたっての詔勅はくり返しくり返し朝礼でよまれた。五年生以上の子供はみんな暗記をしていた。
朝礼が終ると 「宮城遥拝」 と先生がいうとみんな東の方をむいて天皇陛下のおられる宮城に頭をさげた。
それから引きつづいて皇国臣民の誓いを斉唱した。
「一つ 私どもは大日本帝国の臣民であります。二つ 私どもは心をあわせて天皇陛下に忠義を尽くします。三つ 私どもは忍苦鍛錬して立派な強い国民となります。」
(皇国臣民の誓詞は大人向けにもあった。
一、ワレラハ皇国臣民ナリ。忠誠ヲモッテ君国二報ゼン。
一、ワレラ皇国臣民ハ互イニ信愛協力シ、モッテ団結ヲ固クセン。
一、ワレラ皇国臣民ハ忍苦鍛錬カヲ養ヒ、モツテ皇道ヲ宣揚セン。)
転校してきた朝鮮人のこどもたちは大きな声で立派に斉唱した。
「林君ひとりでいってごらんなさい」。末永先生が洋武を指名した。よく覚えていなかった適当に声をあわせていたので見破られた。「林君だめね。しつかり覚えておいで」。洋武はたいへんな宿題をもらった。
朝鮮人の友達が転入してきたとき、それまで名前で呼びあっていた学校も武ちゃんというのでなく、林君というように姓に君やさんをつけて呼びあうようになった。
「皇国臣民の誓詞」 を朝鮮人が転校してきたばっかりに、覚えさせられて、「暗記していないから」 と怒られて、洋武はこの誓い斉唱をすっかり嫌いになった。
ハナにそのことをいうと 「四等国民が一等国民になるためのおまじないみたいなものよ。椙山君や新井君がはいってきたのでみんなで付き合ってやるのでしょうね。短いからしっかり覚えなさい」といわれた。足がしびれたりするとハナは「しびれしびれどこかに飛んでいけ」と洋武の額におまじないをしてくれた。あのおまじないで椙山君たちも一等国民になれるのだろうかと不思議に思った。
晋司は 「いままで朝鮮人は特別の人を除いて兵隊さんにはなれなかった。四等国民だったからだ。でもいま朝鮮人も皇国臣民になって日本人と同じになって兵隊さんになれるようになった」 と説明した。
そういえば安田さんは体格もよく健康そのものだったが、戦争がはじまっても兵隊さんにはいかなかった。