戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃 ・57 (林ひろたけ)
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第四章 戦争はもういやだよ・1
そんな貧しい生活の中でもたった一つの楽しみは、本を読むことだった。でも、その本は自由には手に入らなかった。
一年三カ月にわたる放浪生活のなかで書籍というものにはまったく手にしなかった。本家にあるすべての本を手にして読むようになった。それは俊雄が本家に残していった戦前の本が中心った。戦前の少年クラブや数冊の岩波文庫があるだけだったが、本というものは手当たり次第読みつづけた。学校の図書室にあった本は数は少なかったがほとんど読んでしまった。
そんななか、小学校五年生になった時、旧制の高等学校を卒業して大学にすすむため勉強をしいた白線浪人といわれていた先生の机のうえに「赤とんぼ」という子供むけの雑誌があった。
私はその「赤とんぼ」に魅せられた。とくに連載ものの「ビルマの竪琴」という物語に興味をひいた。ビルマで戦争が終った時、そこにいた兵隊さんたちがみんなで合唱し合いながら励ましあっていた話だった。先生に頼んで古い月遅れの号もふくめて貸してもらい学校で遅くまでかかって読んだ。行方不明になっていた水島上等兵がみんなとわかれてビルマにのこり、戦死した日本兵の骨を集めて供養するという長い手紙を読みきったとき何度も涙を流した。三十八度線を越える時、たくさんの日本人のお年よりや子どもの遺体が放置されていたことを思い出していた。「ぼくも水島上等兵のように、骨を拾いにいこうか」そう思うこともあった。
中学生になる頃、洋武の健康も回復にむかい、徒競走も一等賞をとるようになった。学校の成績も月毎に回復し中学一年生になったとき、級長になっていた。
学校の図書室には二百冊ぐらいしか本はなかったが、それも残らずよむことになった。中学一年になったとき、図書室で新しく購入した少年少女みすず文庫の一冊に「長征三千里」という本をみつけ一気に読んだ。それは自分が朝鮮の山野を七〇里も歩いたという思いがこの本を手にした最大の理由だった。中身は中国の解放闘争の毛沢東や朱徳の物語だった。中国人民が長い圧迫から解放されるためにどんなに苦労して戦ったのかという点も心をうたれた。そして中国共産党が、ソ連兵とちがって規律正しい人民軍軍隊だったことを朝鮮の収容所できいた「パーロ(八路軍=中国共産党軍)はよい」という噂を確認したようでうれしかった。
昭和二十四年(一九四九年)新中国が誕生したことを新聞の決して大きくない記事で読んだとき、洋武の心は複雑だった。毛沢東や朱徳の長い苦闘が実ったことに共感できたが、共産党の政府ができたことに釈然としなかった。「ソ連のような国にならなければいいのだが」。中学生の知識でも政治に関心をもたざるを得なかった。
旧中仙道の宿場町望月には洋武の家から、二里(八キロ)以上もあった。子供たちにとって望月は大都市だった。一年に二・三度歩いて出掛けることがあった。望月には小さな本屋が一軒あった。その本屋の軒先には「改造」とか「リーダースダイジュスト」とか雑誌が並んでいた。その雑誌を立ち読みしている中で「真相」という雑誌に魅かれるものがあった。薄い雑誌だったがグラビヤに「戦争に反対した人たち」の写真が並んでいた。徳田球一や志賀義雄など共産党の幹部の顔写真だった。「あの戦争に反対し、獄中一八年間、不屈にたたかった」という解説記事を丹念に立ち読みした。小遣いのない洋武は、雑誌を買って帰るわけにいかなかった。しかし、洋武はあの戦争に反対した人たちがいたという驚きがあった。 そして菊村の小父さんも生きていたらこうして写真にのるのだろうかそんなことを考えた。わが家は新聞を取っていなかった。ラジオもなかった。本家に行って新聞を読むしかなかったが、「子供の癖に新聞など読みたがるな」と伯父は嫌がった。しかし、私は新聞が好きだった。朝鮮でも国民学校四年生で一通り新聞を読み理解していた。
戦争中、さかんに戦争をあおっていた評論家がいた。その評論家は戦後、一転して左翼の論陣を張っていた。こうした人が嫌いだった。戦争中も左翼だったら許してやるんだが。しばしば洋武はそう思った。
ハナの従姉妹が結婚した相手は、戦争中に「転向」して共産党を辞めてしまっていた。そして右翼になったのではないかと噂されていた。ハナは「私は共産党はきらいだが、途中で節を変わるのも大嫌い」 といっていた。
東条英機首相がピストル自殺に失敗したり、大人達は「いいこといっていても、戦争が終れば、みんないっていたことと違ってしまっている。」大人たちへの不信感が身体中にひろがった。