戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃 ・52 (林ひろたけ)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
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引き揚げ列車の中で 学生同盟の人達・4
春日村入片倉は、蓼科山の北麓に南北に長くのびた幅五百メートルほどの谷間の東側に張り付くような村だった。朝日があがると谷間の西側の山と家並みを照らした。南にはお椀を伏せたような蓼科山が見えた。真っ赤やまっ黄色に色づいた山が明るくなると東側の崖の麓にある林家にもおそい朝日が差してきた。晋司の生まれた家は、話に聞いているより大きかった。間口が一七間奥行きが六間もある、二階屋だった。白塗りの土蔵が表に二つ裏に一つ、三つもあった。その上、周りは白壁の土塀に囲まれて大きな門がありお城のような家だった。晋司の曾祖父が任侠の世界にも関わったという伝えがあったように土塀には銃眼があった。
「これが内地の秋よ」。ハナは由美と洋武を門の外に連れだし、子ども達に自分のことのように自慢した。ハナにとっても満州に嫁にいって以来、二〇数年ぶりの内地だった。真っ赤に色づいた山にまだら模様で黄色に色づいた山々は、朝鮮では見ることはなかった。
一日休んだだけで、六日には由美と洋武は晋司に連れられて春日村立国民学校にむかった。南にある蓼科山を背中にして、学校までの三キロの道のりは疲れた体にはつらかった。一年ぶりに学校に行くという感慨はなかった。
私たち姉弟は、学籍簿も通知表も持っていなかった。職員室の片隅にある校長先生の机の前で、晋司と校長先生とが私たちを何学年に転入するか言い合っていた。
晋司はそれぞれ進級を求めた。「特に洋武は男の子でもあるので落第させるのは可哀想だ」と強調した。
校長先生はほっそりとした凡帳面な感じの先生だった。順安の小島校長先生のように神経質の感じのする先生だった。「来年から学制がかわって新制中学まで義務教育になるので姉さんの方は六年生になるのが一番よいのです。今まで国民学校といっていたのを昔のように小学校と名前も変わります」。「弟さんも一年以内ならともかく、一年三ケ月も学校にいっていないので原級にとどまることにしてほしい」。
洋武はそばから口を出した。「僕ね。教育勅語も天皇…四代もみんな暗記できるよ」。校長先生は少しびっくりした顔をし、顎に手をやって少し考えていた。それから 「いま、民主主義になったから、あれは覚えなくてもよいのです」 と応えた。晋司は 「洋武の奴がいらんこというから校長先生は、やっぱりこの子は遅れている思ったらしい」 と後々までその一言を気にしていた。しかし、私にはそれが原因で原級にとどまったとは思えなかった。
結局、洋武は四年生、由美は六年生に原級どまりになった。教頭先生に連れられて教室に向かった。春日村国民学校の四年生は、まだ男女別々のクラスで男子組は五十名ほどだった。もう一クラス女性だけのクラスがあった。生まれて初めての大きな教室だった。担任の先生は病気で長期欠勤だった。教頭先生は 「今度、朝鮮から転校になった林君です」 と紹介した。誰かが 「先生、林は三名もいる。名前を教えてほしい」 といった。「入片倉ずら」 と部落の名前を言った。入片倉から林姓の子供が三人来ていて私は四人目だった。私は 「ひろたけさん」と呼ばれることになった。「教科書をあげますからきてください」 と先生につれられて、職員室の隣の図書室兼保健室のようなところに連れられて行った。そこには由美姉さんがもう来ていた。何種類かの教科書は、それぞれ大きな一枚の紙だった。女の先生が 「こうして折り目にしたがって折るのよ。教科書の印刷が間に合わないので印刷が出来しだいこうして配給になるの」 と洋武の分を折ってくれた。教科書は一冊になっておらず、ページが途中で切れていた。
それでも私たち姉弟にとって一年三ケ月ぶりの教科書だった。