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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃・44 (林ひろたけ)

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通常 戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃・44 (林ひろたけ)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2008/8/18 7:58
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 ∨〇一八号・2

 「内地よ。日本が見えるよ」。翌朝まだ明るくなっていないとき、ハナがわが家の子ども達をおこしにきた。みんなで甲板にあがるとそこにはいっばいの人たちがいた。
 まだうすぐらかった。遠くにみえた陸地はしづかに近付いてくるようだった。
 「あれが玄界島、こちらが志賀島じゃないかしら」 と順ちゃんのおばさんが指した。やっと島の輪郭が見えると、だれともなしに 「ばんざい。ばんざい」 といいだした。順ちゃんも洋武も大きな声で 「ばんざい」 をさけんだ。
 「順ちゃんね、内地には地震があるんだろう、こわいね」 「うん、でもいつもあるわけじゃないんだよ。ぼくが内地に帰っていたとき、一度これが地震とおばあちゃんに教えてもらったがそのときは電球がぐらぐらゆれただけだったよ」 「そう、でも雨ばっかりふるときがあるのじゃない」
 「うーん。梅雨(つゆ) っていうんだよ。雨がよくふるが晴れるときもあるんだよ」 「そうよかった。ぼくは雨がずーと降って遊びにもでられないかとおもっていたんだよ」。朝鮮には地震はなかった。北朝鮮には梅雨もなかった。
 ハナと菊村のおばさんはこんなぼくたちの会話を聞いていた。
 「順ちゃんの方がお兄ちゃんね。うちの洋武は内地に一度も帰したことはないし、洋武は、川の中で順ちゃんに声をかけてももらわなかったら多分溺れ死んでしまったかもしれないね。生きては帰られなかったね。命の恩人ね」。
 そういって順ちゃんの頭をなでていた。順ちゃんはてれていたが、私は順ちゃんだけほめられるのは不満だった。
 ハナたちは一生懸命に話し合っていた。私たちも母たちの話に聞き耳を立てていた。
 「うちの人ったら。この非常時に天皇陛下のためにならないといって満州に嫁に行ってから二四年間も一度も内地にも帰してくれなかったのよ」。林家の兄弟が内地に一度も帰ったことがないことをおばさんに説明した。
 ハナは「私ね。どうしてこんなひどい目にあうのだろうと何回も考えたのよ。なんにも悪いことをしたわけでもないのに。天皇陛下のいうとおりにしたのよ。ルック一つで帰ってもきっとみんなから馬鹿にされるかもしれない。でも天皇陛下のために従ってきたのだから」。ハナはそんなことをはなしていた。
 「仇を討つの。こんなにたくさんの人を犬死させてよいはずないのじゃないの」と誰かを怒っているように叫んでいた。
 ハナは順安の収容所にいる頃から「たくさん兵隊さんたちが玉砕したり、天皇陛下万歳といって戦死したりして、あの人たちは犬死にだったのでしょうか」とつぶやいていた。「犬死する」というのは戦国時代の戦争で負けた方の武士たちが死ぬと無駄死にだ。今度の戦争でも日本が負けたらたくさんの英霊たちが犬死にになると校長先生から教えられていた。仇討ちの話も、楠正成の仇を討つ息子の正行との「桜井の別れ」などなんども教科書に出ていた。「少年倶楽部」にものっていた。しかし、天皇陛下の仇を討つとはどんなことなのだろうと不思議に思った。
 そのとき菊村のおばさんは突然泣きだしていた。
 「うちの人もね。どうせ朝鮮であんな惨めな死に方をするんだったら、監獄で死んでおけばよかったのよ。うちの人はアカだったのよ。天皇陛下に逆らったといって警察につかまって殴られて顔をこんなに腫らして、ひどい目に遭って」。
 「結核になって刑務所をだされて、朝鮮ににげてきたの。だからね。怒らないないでね。林さんのところはいい人だけど気をつけようねとうちの人と話していたのよ」。
 それは私にとっても順ちゃんにとっても衝撃的なことだった。晋司が保安隊に連れて行かれ顔を腫らして帰ってきたことを思い出した。あのおとなしい優しい小父さんがソ連兵と同じアカだなどなんてどう考えてもわからなかった。
 しかし、ハナは驚かなかった。一呼吸おいて「頭のいいひとはみんな赤くなったのね。私の従姉妹(いとこ)が共産党の大物のところに嫁に行ったの。その人が警察につかまったといって新聞に大きく出てね。うちの人は親類の面汚しだといって私を毎晩殴るのよ。でもね私はどうすることもできないし、あの時はほんとうに困ったわ。」
 ハナはおばさんとさらに話していた。菊村のおばさんは長崎市の人だった。そして菊村の小父さんは愛媛県の出身だった。小父さんの家では二人の結婚に家中が反対だった。
 「私の家は応援してくれたのだけど、愛媛の方は勘当になったの」。私も順ちゃんも「かんどう」という意味がわからなかった。 「家から追い出されたの」小母さんは私のほうを見ながら説明した。
 「こんなとき愛媛にも長崎にも帰れない」
 「でも戦争でこんなひどい目にあったのだから、きっとどちらか受け入れてくれますよ。あなたのお母さんは長崎でしょう」
 「でもね長崎には原子爆弾が落ちたのでしょう。うちは街のなかにあったの。きっと駄目でないかとずっーと思ってきたのよ」
 順ちゃんの小母さんの実家はカソリック教徒の家だった。おばさんの純子という名前もカソリックにちなんだ名前だった。そして、大きな教会が側にあるからアメリカも空襲はしてこないだろうと疎開もしなかった。疎開するところもなかった。しかも長崎の原子爆弾はその教会の上に落ちたのでないだろうか。小母さんはそればかり心配していた。小父さんが朝鮮にきたのも教会の牧師さんの教会のつてを頼って水利組合に就職したからとのことだった。順安にはキリスト教会があり病院もあった。長崎に原爆が落ちた時、小母さんがわざわざわが家にきて、晋司に「長崎はどうなっているのでしょう」としつっこく尋ねていたことを思い出した。
 そして、小父さんの家は士族の出で学校の先生だった。小父さんが、学生時代、戦争に反対して警察につかまると子供が赤くなったことを「天皇陛下に申し訳ない」といって学校の先生も辞めて引退してしまっていた。そして、小父さん一家を絶対に寄せ付けなかったという。ハナは、「昔の人はみんなそうだったのよ。私の従姉が嫁に行った先も、母ひとり子一人で、子どもがアカになって天皇陛下に申し訳ないといって、母親が短刀で自害されたのよ」。「短刀で自害されたって」 おばさんが衝撃を受けたように聞き返していた。
 「私ねそれを聞いて、そこまでしても意思を貫く従姉の主人ってどんなひとだろうかと思ったのよ」。
「戦争ってひどいね。いままでの戦争は兵隊さんが死んだけど、こんどはね国民がみんな死んでしまったのだから」。そんな会話をわたしたちはびっくりして二人の顔をみながら聞いていた。
 「ここが元寇の役のとき神風が吹いたところよ」
 神風が吹いた話は何回もきいていた。「少国民」という雑誌にも  「日本には神風が吹く」とくりかえし教えられてきた。小島校長先生も神風特攻隊が出撃されるようになるといっそう繰り返し「神風が吹くまでがんばろう」とくりかえし朝礼でお話をした。しかし、神風は吹かず、日本は負けてしまった。

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