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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃・39 (林ひろたけ)

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通常 戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃・39 (林ひろたけ)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2008/8/13 9:20
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 マラリヤ熱の発熱とハナの胃痛

 その日も黙々と歩いた。歩かされた。順ちゃん一家はみんなで光夫君の世話を交代で面倒を見た。大村勇一会長のところも大村さんは世話人会の会長さんでなにかとみんなのことを気遣いながら、アツちゃんの面倒も見ていた。アツチャンは体が大きくて小母さんがおんぶするわけにはいかなかった。疲れてくると「おんぶ」というアツちゃんを大村さんは自分のルックを小母さんに渡してアツチャンをおんぶした。それから見ると成人した男が三人もいるわが家はめぐまれていた。
 その日の午後、川にぶつかった。普段は浅い川の様子だったが、雨で川の水は勢いよく流れていた。橋はなかった。大人の一人がまず歩いてジャブジャブと渡っていった。大人の腰ぐらいの深さだった。「さあ、みんな渡ろう」という声でいっせいに川を渡り始めた。私も順ちゃんといっしょに渡ろうとした。しかし、川の勢いに流されて思うように進まないうちにみんなから大きく遅れてしまった。しかも深みに足を取られていた。恐怖が走った。しかし、声を出すことが出来なかった。水が首のところまできてルックが浮き、それに体の自由を失っていた。順ちゃんが大きな声で「おばさん。武ちゃんがたいへん。武ちゃんがおぼれている」。私は大人たちの歩いたところよりかなり川下に流されていた。
 母ハナが必死の顔で戻ってきた。体の小さなハナも川の流れに流されていたが、ともかく私の手を支えて引きずるように引っ張り出した。和雄兄さんももどってきた。びしょぬれになって洋武は対岸まで歩くことが出来た。「順ちゃんありがとう。洋武を助けてくれて」。ハナはそう声をかけたが、順ちゃんの一家も光夫君を中心にたいへんだった。おばさんは川を二回も往復して荷物を渡していた。
 ハナは洋武の額に手をやった。
 「まあ、熱がある。ひどい熱」。ハナは叫んでいた。体温計など誰も持っていなかった。
 ハナは「四〇度近い熱よ」と強調した。洋武は高熱で頭がぼんやりとしていた。「マラリヤよ。きっと」 ハナは恐ろしい顔をした。マラリヤは蚊を媒介とする伝染病だった。それまでもときどき朝鮮ではマラリヤが発生した。だから誰もがマラリヤを知っていた。毎日か一目置きか、同じ時刻に激しいふるえとともに四〇度をこえる高熱が出る。そして、体が衰弱して死を迎える熱帯系の伝染病だった。マラリヤには絶対の特効薬キニーネがあった。しかし、集団にはキニーネをもっている人はいなかった。持っていたにせよ、人にあげる余裕はなかった。
 洋武は川を渡ったところでぐつたりしていた。熱がどんどん上がっていくのが自分にもわかってきた。それでも歩かなければならなかった。一目目は二時間ぐらいの熱に苦しんでともかく終わった。その夜、ハナの腹痛が出てきた。ハナには胃痙攣か胆石痛かわからないが胃痛という持病があった。その持病が洋武のマラリヤと同じ日に出てきた。
 その夜、林家は晋司を中心に輪を作っていた。私は晋司の膝を枕に横になっていた。今まで父の膝に頭をつけて横になるようなことはなかった。ハナは胃の痛みで顔をしかめながら「私をおいていってください。洋武は将来ある身だからなんとしても連れていって。私はもう歩けない」。悲鳴に近い声で晋司に訴えていた。私は熱は醒めていたが疲れた頭で、あの食事を与えられず死んで行った満州からのおばあさんのようにハナが死んで行くのかと身の毛がよだってきた。
 晋司は「心配するな。男が三人もいるのだから集団からはづれても最後までいっしよに歩こう」とハナを励ました。晋司のこの一言は林家の気持ちを一つにした。
 「ぼくたちも背負うよ」。兄たちも答えていた。
 翌日は、朝からハナを晋司がおぶった。兄達が晋司のルックを持った。洋武は午前中は熱がなく疲れた足ではあったが歩きつづけた。和雄もハナを背負った。
 前の日に熱が出た時刻が恐ろしかった。マラリヤには毎日熱がでるのと一日おきに出るものとがあった。一日おきに出ることを期待したが、その日の午後激しい震えを感じた。「ああっ!マラリヤだ」。洋武は毎日熱のでるマラリヤにかかったことを実感した。
 確実に熱は上がってきた。熱が出てきたが洋武はもう誰にもかまってはもらえなかった。少しでも横になりたかった。しかし、横になれば取り残されることははっきりしていた。洋武は知恵を出し、必死に先に向かって走った。
 「元気じゃないか」という声もあった。しかし、集団の隊列から離れて五〇メートルほど先に行くとそこでバタンと倒れて休んだ。隊列が近づいてくるとまた立ち上がって、走った。はじめはそうして進んだが、二、三回目にはもうたちあがれなかった。晋司はその私に向けて杖で激しくたたき「洋武おきろ。置いて行かれたらそのままだぞ」と叫んだ。ハナは父の背中から「そのままでは死んじまうよ」と激しく恐ろしい顔で叱った。洋武にとってその時のハナの悲痛の顔を忘れない。二時間の地獄は続いた。
 熱が出て三日目だった。乗里(りつり)という街にはいった。そこは少し大きな町だった。同時に、日本人の避難民を救済するセンターみたいなものがあった。朝鮮の保安隊やソ連軍の公認ではなかったがトラックの斡旋をしていた。相当な運賃を出さなければならなかったし、運賃はまだお金をもっている人から借りて支払われた。わが家も借金をした組だった。それでも順安組は全員トラックに乗ることができた。

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