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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃 ・12 (林ひろたけ)

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通常 戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃 ・12 (林ひろたけ)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2008/7/16 7:41
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 朝鮮人が日本人学校に転校してきた・4

 三年生の初冬に朝学校に出ると 「今日は英霊《えいれい=注》を迎えに行きます。英霊は椙山君の叔父さんです」と先生からいわれた。椙山君は朝から学校がお休みだった。
 順安では 「英霊が帰ってくる」 ことはそれまでなかった。朝鮮人は普通兵隊には行かなかった。
 一方日本人でお父さんが出征すると家族は内地に帰っていった。
 椙山君の叔父さんというのは、満州の軍官学校にすすみ満州軍の将校だった。支那戦線(中国戦線) で名誉の戦死をされた英霊だった。軍官学校は満州にあり、日本の士官学校と同じ系列の学校だった。和雄兄さんも結核にならなければ、幼年学校から士官学校に行くか、それとも軍官学校に進むつもりだったようだった。「満州は五族協和だ」 とよくいっていた。「満州国は、大和民族、朝鮮民族、満州民族、蒙古民族、漢民族の五つの民族がいっしょに国を作っているんだ。軍官学校には日本人だけだけでなく、朝鮮人も蒙古人も入っている」。和雄はよくそう言って教えてくれていた。椙山君のお父さんの一番下の弟が、軍官学校から日本軍の将校になって支那戦線(中国戦線) で戦死したことを先生が教室で説明した。学校あげて順安駅に出迎えに出た。
 駅前にはすでに父晋司が普通学校の青年学校の生徒を率いて駅前広場の駅舎の前にいた。次ぎ
に日本人国民学校の生徒が並んだ。国防婦人会のたすきをかけてハナもそして日本人が並んだ。それに続いて普通学校の生徒達がずっとならんだ。
 「捧げ銃(つつ)!」晋司が大きな声をあげた。サーベルを抜いて、顔の前に上げて右下にサッートと開いた。木銃をもった青年学校の生徒達が銃を顔の前にまっすぐにもちあげた。普通学校の子供たちの 「海ゆかば」 の合唱がはじまった。
 椙山君のお父さんで面長さんが、朝鮮の民族衣装をつけて白い布に包まれた骨牌を抱くようにしてたち、そのあとに梅山君のお兄さんや親族の人達が二十名くらい従った。そのなかに学生服を着た梶山君もいた。
 洋武にとって椙山君がうらやましかった。一族から戦死者を出すことは名誉なことだと教えられていた。林家では晋司も招集されたが、戦死しないで帰ってきていた。俊雄兄さんも高等学校から海軍飛行予備学生に志願したが、健康上の都合で飛行学校には入れなかった。和雄兄さんも幼年学校に体格検査で入学できなかった。「林家は名誉の戦死者はでないのかな」 と残念だった。
 昭和十九年の正月だった。わが家に順ちゃんと椙山君と新井君が集まってオンドルの上で少年倶楽部の付録にあった双六遊びをしていた。
 大東亜戦争がすすみフィリッピンやビルマなど大東亜共栄圏で欧米の勢力が追放されて次々に「独立」 した。東京で大東亜共栄圏の首相会議が盛大に開かれた。双六は、満州、中国 (汪精衛政権) フィリッピン、タイ、ビルマ、インド、日本の七人の首相がそろうと 「あがり」 になった。勝負がつきそうになった頃、椙山君が 「この双六には朝鮮がない」 といいだした。そばで遊びを見ていた和雄兄さんは 「馬鹿なこというな。朝鮮は大日本帝国なんだ。内鮮一体というじやないか。一億一心総突撃というだろう。一億人には日本人だけでなく半島人もはいっているんだ。」とかってなく恐ろしい顔をして怒鳴った。そういえば内鮮一体という言葉があちこちに広がっていた。朝鮮人も兵隊さんに行けるようになった。そして朝鮮人もどんどん官吏に登用されるようになった。 「朝鮮がない」 といった椙山君の気持ちをわからなかっただけでなく、少し馬鹿にした。

注:優れた人の魂

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