戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃 ・17 (林ひろたけ)
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第二章 日本人強制収容所
その日の昼 八月十五日と終戦前後・1
八月十五日の朝、林家は落ち着かない雰囲気と緊張がただよっていた。朝から空は晴れわたり暑い日差しが照りつけ、せみの声が特別にうるさかった。晋司は半ズボン姿だったが「今日の昼にはラジオで重大ニュースがある」と立ったり座ったりしていた。ハナはいつもと違って簡単服といっていたワンピースを着ていた。ハナは通常は和服だったが、夏場には涼しいからといってワンピースを着ることがあった。晋司もハナも落ち着かない様子が子どもの目にもはっきりしていた。
昼のニュースの時間、晋司はラジオを抱きかかえるようにしてラジオを聞いていた。重々しい声がラジオから流れていたが、子供たちには何のことかわからなかった。
晋司はラジオが終わると「負けた。日本は無条件降伏だ。今のは玉音放送だ」と吐き出すように言ったきりだった。玉音放送《注1》というのもはじめて聞いた言葉だった。天皇陛下が直接ラジオで放送したらしかった。
ハナは、昼の食事に手をつけないで涙をだして泣いていた。由美は「戦争に負けたの」といったきり大きな声を出して泣いていた。洋武はひとりだけ昼ご飯を食べていた。
「こんな時よく食べられるね」と由美が怒っていた。しかし、洋武も悲しくなった。校長先生が「アメリカというのは有色人種を奴隷にする国だ。戦争に負けたらみんな奴隷になって親子ばらばらにされて売り飛ばされてしまう」といっていたことを思い出し、アメリカの黒人のように一生奴隷で過ごさないと思うと悲しくなって泣けてきた。「奴隷になったら、りんご泥棒した時、額にリンゴ泥棒と塩酸で焼きをいれられた朝鮮人の子供がいたように子供たちも塩酸かなにかで焼きを入れられるのか」と思った。
「戦争に負けたら女、子どもは惨めだ。戦争には負けたくない」。晋司は自分の軍隊時代を思い返すようによくそう言っていた。どんなに惨めになるかわからなかったが、それでも負けると大変なことはわかった。
「これからどうなるのでしょう」。ハナが聞いた。父も自信なさそうに「朝鮮の北部にはソ連軍が入ってくるようだ」と答えていた。
洋武は「学校に忘れ物をとりにいく」と家をでた。「学校には満州からのお客さんがいっぱいきているのだし、今日みたいな日には、行ってはいけません」という静止にもかかわらず逃げ出すように家をでた。
せみの声がやけに大きく聞こえていた。家から百メートルほどいくと共同の井戸が道端にあり、いつもは朝鮮人のおばさん達が水を汲んだり洗濯をしたりしていた。井戸はかなり深くつるべから井戸水をくみあげるためにいつも行列が出来ていて、黒い素焼きの水瓶が一杯になると朝鮮のオマニ(お母さん)達が頭に水がめを載せて腰をふりふり運んでいくのが日常だった。しかし、そこには誰もいなかった。朝鮮人の部落は妙に静かだった。晴れわたった空にB二九爆撃機が三機飛行雲を引いて飛んでいた。いつもよりはるかに低空を飛び大きく見えた。しかし、空襲警報はならなかった。
学校に行くまでに汗をびっしょりかいた。学校はたいへんだった。
「満州からのお客さん」とハナが呼んでいた避難民の人達でいっぱいだった。運動場には大きな釜が据えられて炊事がされていた。鉄棒とろくぼくの間にはたくさんの綱が引かれ洗濯物がいっぱい干してあった。そこもたくさんの人がいるにもかかわらず静かだった。
校舎の中には入れなかった。裏に回った。もしかしたら校長先生の官舎に末永先生が居るのではないかと思ったからだった。しかし、そこにも避難民の女の人達でいっぱいだった。学校と官舎の間の庭には井戸のポンプがあった。いつもギイコギイコとポンプをおして水をくみ上げるだが、その日には水甕《かめ》に新しい水がいっぱいみたされていた。洋武はそこの柄杓で水を飲むと汗がさらに出てきてびっしょりになった。
炊事場では真夏というのにお湯が沸いていた。そして座敷ではおばさんたちの騒ぐ声がしていた。ふすまの隙間から女の人の大きなお腹だけが裸で見えた。お腹の上にタオルがたたんで置いてあった。「もう少しよ。もう少しよ。がんばるのよ」という声がしていた。明らかにお産まじかなお母さんのお腹だった。満州から避難してきたお母さんのお産だった。「この子どこの子。だめよここは子供のくるところでないのよ」とエプロン姿のおばさんにしかられて洋武は学校を離れた。あのお母さんの赤ちゃんが産まれたかどうか洋武にはわからなかった。学校のあまりにも変わりように洋武は驚いていた。
その足で椙山君の家に行った。普通なら順ちゃんの家に行くところだったが、五月ごろからお父さんの病気結核が再発して「うつるといけないから、順ちゃんと遊ぶのはいいが家にいっては行けない」 ことになっていた。椙山君のおばさんは、洋武の顔をみると朝鮮語で椙山君を呼んだ。いつもは日本語を使っていたのに奇異な感じがした。家中がわいわいしてにぎやかな感じだった。椙山君の家のオンドルには、お兄さんたちが日の丸を広げて赤丸のところを半分ほどS字状に墨で塗りつぶしていた。日の丸がなにか汚されていくようで洋武にはたまらなかった。今の韓国旗には丸のまわりに四つの掛りがついているが、そのときの韓国の旗は日の丸を墨で塗りつぶしただけのものだった。オンドルは普通、油紙を床に貼り付けてあった。だから、濡れたものでもよくオンドルに放置してあった。日の丸の旗の赤い部分が半分はどS字状に巴に墨で塗られて、ぬれた日の丸の旗がオンドルの上にだらしなく広がっていた。
椙山君は 「ああして半分墨で塗ると朝鮮の旗になるんだ。韓国というんだよ。ぼくもいままで椙山といっていたが、今日からヤンというのだ」 といって砂の上に 「梁」 の一字を書いた。朝鮮人が日本の姓を名乗っていることについては知っていた。しかし、敗戦のその日に本来の姓を興奮気味に打ち明けられたことにたとえないような驚きを感じた。さらに椙山君は 「新井君も本当の名前は朴と書いてバクというんだ」 と教えてくれた。椙山君の家がいつもとちがって居心地が悪かったので早々に引き揚げようとした。
椙山君の家を出ると隣の渋井義子さんから 「武ちゃん」 と呼びとめられた。渋井さんは洋武が椙山君の家から出てくるのを待っていたようだった。
「椙山君の家の人はお兄さん達が、日本が負けたのに家中で万歳・マンセイといっているのよ」「あの人達、ほんとうは非国民よ」 と声をかけてきた。洋武には衝撃的だった。面長さんは入学式や卒業式にでて、挨拶をするえらい人だった。「その面長さん一家がどうして日の丸を墨で汚して、日本が負けたのに万歳を叫ぶのだろう。非国民なんだろう」。わからなかった。
注1:天皇自ら放送される事