戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃・15(林ひろたけ)
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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃 (林ひろたけ) (編集者, 2008/7/5 9:05)
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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃・2 (林ひろたけ) (編集者, 2008/7/6 7:35)
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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃 ・3 (林ひろたけ) (編集者, 2008/7/7 8:15)
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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃・4 (林ひろたけ) (編集者, 2008/7/8 8:00)
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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃 ・5 (林ひろたけ) (編集者, 2008/7/9 7:52)
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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃 ・6 (林ひろたけ) (編集者, 2008/7/10 7:21)
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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃・7 (林ひろたけ) (編集者, 2008/7/11 7:32)
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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃・8 (林ひろたけ) (編集者, 2008/7/12 8:24)
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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃・9 (林ひろたけ) (編集者, 2008/7/13 7:24)
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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃・10 (林ひろたけ) (編集者, 2008/7/14 7:16)
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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃 ・11 (林ひろたけ) (編集者, 2008/7/15 7:27)
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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃 ・14 (林ひろたけ) (編集者, 2008/7/18 8:31)
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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃 ・56 (林ひろたけ) (編集者, 2008/9/3 7:22)
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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃 ・58 (林ひろたけ) (編集者, 2008/9/6 7:27)
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戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃・59 (林ひろたけ) (編集者, 2008/9/7 9:19)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
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汝臣民くさかろう・1
戦争がたいへんになると学校もなんとなしに落ち着かなくなっていた。とくに大阪からきた子ども達は騒々しかった。寺山君もあいかわらずだれとでも仲良く元気に遊んでいた。
寺山君は順ちゃんや洋武をつかまえて三人で肩を組み「これは誰にも言うなよ。こんなこといったら死ぬほどおこられるよ。でもほんとなんだ。おまえたち知っているか。天皇陛下だってウンチもするし、おしっこもするんだぞ」。
これは私たちにとって驚天動地《きょうてんどうち=注》のたいへんな知識だった。「天皇陛下は神様だ」 と教えられていた。神様がウンチもおしっこもするのかな。そしてなんでも母や兄達に聞くくせだった洋武も、それだけは聞いてはいけないことのように思った。しかし、神様でもやはりおしっこもウンチもするのがほんとうのような気がしてきた。
五月になると、さすがの林家も忙しかった。家の周りのリンゴの花はいつもの年の半分も咲かなかった。その年の冬の寒さでリンゴの木が凍り割れてしまったせいだった。晋司もハナも、小作人が徴用にとられて、「人手不足で田植えができない」 というそこのオマ二 (母) の要望で田植えの手伝いに出かけていった。
そんな田植えがつづく六月の日の長い夕方、私は普通江沿いの栗本鐵工所の職工社宅に遊びに出かけた。いつものように数人の子ども達とかんけり遊びをした。鬼になっているこどもが、隠れている子どもをすべて探し出すまで最初にみつけられた子ども達に一瞬の退屈があった。順安の子ども達はそんなとき小学唱歌など口すさんだ。
その社宅では私より年下の子が 「たんたんたぬきの金玉は、風にゆられてぶらぶら」 と歌い出した。そして 「えいっ!」 というと大きなおならをした。
「朕は思わず庇をフッタ。汝臣民くさかろう」 とつづけた。隠れていた洋武はあまりにも面白かったので大きな声で笑った。「武ちゃんみつけた」 と鬼にされてしまった。
洋武はこの変え文句が面白かった。翌日の授業中にそーつと順ちゃんに教えた。末永先生は一年生の方で教えていた。順ちゃんが「なんっていったの」と聞きなおしたので思わず大きな声で教えた。ちょうど校長先生が後ろに回ってきた時だった。
「林!なんっていった。もう一回言ってみろ」。校長先生は持っていた竹の棒で洋武を激しく殴りつけた。先生の形相はすごかった。「天皇陛下の悪口を言うと不敬罪だぞ」。先生は真っ青になって激しく声を震わせていた。先生が本気で怒っていることは子供にもよくわかった。
その翌日、父と母が学校に呼ばれた。順ちゃんの家はお父さんの結核が悪くなっていて、お母さんだけが呼ばれた。校長先生は「言うのもはばかれるようなことを二人で話していた。みんなでご真影にあやまりなさい」。みんなでご真影(天皇の写真)に頭を下げた。
家に帰ると、晋司は「お前なんといったんだ。だれからおそわったのか」と拳骨を二つも三つも殴りつけてきた。洋武はそれが大阪の子ども達だとはなぜか言えなかった。ハナは「怒らないから、いったいなんていったの。校長先生は言うのもはばかられるというだけでわからないの」と洋武にきいた。
「朕は思わず屁をふった。汝臣民くさかろうと順ちゃんにおしえたの」とハナに報告した。和雄兄さんは「わはは。中学でも悪いのはそんなこと言ってたぜ」と笑った。晋司もハナの顔も笑いをかみ殺しているようにみえた。「戦地では兵隊さんが銃後のために戦っているときにそんなことをいっては。大阪の子から教わったのだろうが」といって母も厳しく叱った。
しかし、それだけではおわらなかった。校長先生は「自分の教え子がこんな不敬なことをいうのだから進退伺いを出すことになった」 と晋司に相談にきた。
晋司は「校長先生は学校が火事のとき、ご真影と教育勅語だけは死んでも守ることになっているんだ。ご真影を火事でなくしてしまった校長先生は何人も自害されたんだよ。その天皇陛下の不敬にあたることをいったら校長先生だけでなく、わしも怒るぞ」とそれがどんなに重大なことかを説明した。ハナは少しおろおろしていた。 「中村先生は視学になられたのだから、中村先生に相談にいったら」と晋司に持ちかけていた。「平壌に行って相談してくるか」と真剣そうに答えていた。
さすがの洋武もすっかりしよげていた。「これはたいへんなことになった」 と不安でおちつかなかった。
注:天地が動くほど驚く
戦争がたいへんになると学校もなんとなしに落ち着かなくなっていた。とくに大阪からきた子ども達は騒々しかった。寺山君もあいかわらずだれとでも仲良く元気に遊んでいた。
寺山君は順ちゃんや洋武をつかまえて三人で肩を組み「これは誰にも言うなよ。こんなこといったら死ぬほどおこられるよ。でもほんとなんだ。おまえたち知っているか。天皇陛下だってウンチもするし、おしっこもするんだぞ」。
これは私たちにとって驚天動地《きょうてんどうち=注》のたいへんな知識だった。「天皇陛下は神様だ」 と教えられていた。神様がウンチもおしっこもするのかな。そしてなんでも母や兄達に聞くくせだった洋武も、それだけは聞いてはいけないことのように思った。しかし、神様でもやはりおしっこもウンチもするのがほんとうのような気がしてきた。
五月になると、さすがの林家も忙しかった。家の周りのリンゴの花はいつもの年の半分も咲かなかった。その年の冬の寒さでリンゴの木が凍り割れてしまったせいだった。晋司もハナも、小作人が徴用にとられて、「人手不足で田植えができない」 というそこのオマ二 (母) の要望で田植えの手伝いに出かけていった。
そんな田植えがつづく六月の日の長い夕方、私は普通江沿いの栗本鐵工所の職工社宅に遊びに出かけた。いつものように数人の子ども達とかんけり遊びをした。鬼になっているこどもが、隠れている子どもをすべて探し出すまで最初にみつけられた子ども達に一瞬の退屈があった。順安の子ども達はそんなとき小学唱歌など口すさんだ。
その社宅では私より年下の子が 「たんたんたぬきの金玉は、風にゆられてぶらぶら」 と歌い出した。そして 「えいっ!」 というと大きなおならをした。
「朕は思わず庇をフッタ。汝臣民くさかろう」 とつづけた。隠れていた洋武はあまりにも面白かったので大きな声で笑った。「武ちゃんみつけた」 と鬼にされてしまった。
洋武はこの変え文句が面白かった。翌日の授業中にそーつと順ちゃんに教えた。末永先生は一年生の方で教えていた。順ちゃんが「なんっていったの」と聞きなおしたので思わず大きな声で教えた。ちょうど校長先生が後ろに回ってきた時だった。
「林!なんっていった。もう一回言ってみろ」。校長先生は持っていた竹の棒で洋武を激しく殴りつけた。先生の形相はすごかった。「天皇陛下の悪口を言うと不敬罪だぞ」。先生は真っ青になって激しく声を震わせていた。先生が本気で怒っていることは子供にもよくわかった。
その翌日、父と母が学校に呼ばれた。順ちゃんの家はお父さんの結核が悪くなっていて、お母さんだけが呼ばれた。校長先生は「言うのもはばかれるようなことを二人で話していた。みんなでご真影にあやまりなさい」。みんなでご真影(天皇の写真)に頭を下げた。
家に帰ると、晋司は「お前なんといったんだ。だれからおそわったのか」と拳骨を二つも三つも殴りつけてきた。洋武はそれが大阪の子ども達だとはなぜか言えなかった。ハナは「怒らないから、いったいなんていったの。校長先生は言うのもはばかられるというだけでわからないの」と洋武にきいた。
「朕は思わず屁をふった。汝臣民くさかろうと順ちゃんにおしえたの」とハナに報告した。和雄兄さんは「わはは。中学でも悪いのはそんなこと言ってたぜ」と笑った。晋司もハナの顔も笑いをかみ殺しているようにみえた。「戦地では兵隊さんが銃後のために戦っているときにそんなことをいっては。大阪の子から教わったのだろうが」といって母も厳しく叱った。
しかし、それだけではおわらなかった。校長先生は「自分の教え子がこんな不敬なことをいうのだから進退伺いを出すことになった」 と晋司に相談にきた。
晋司は「校長先生は学校が火事のとき、ご真影と教育勅語だけは死んでも守ることになっているんだ。ご真影を火事でなくしてしまった校長先生は何人も自害されたんだよ。その天皇陛下の不敬にあたることをいったら校長先生だけでなく、わしも怒るぞ」とそれがどんなに重大なことかを説明した。ハナは少しおろおろしていた。 「中村先生は視学になられたのだから、中村先生に相談にいったら」と晋司に持ちかけていた。「平壌に行って相談してくるか」と真剣そうに答えていた。
さすがの洋武もすっかりしよげていた。「これはたいへんなことになった」 と不安でおちつかなかった。
注:天地が動くほど驚く