戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃・59 (林ひろたけ)
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第六章 戦争はもういやだよ・3
「今朝早朝、北鮮軍は南北鮮境界線である三八度線にそった開城、春川付近と東部海岸地区において北鮮軍と韓国軍ととの間に戦闘が開始された。韓国政府は同日北鮮との間に全面的内戦が発生したと公表したが、同日朝、北鮮側平壌放送は韓国軍(韓国軍に)たいして正式に宣戦を布告した」。「北鮮軍は戦車を先頭に激しく攻勢をつづけており、先頭部隊は京城に肉薄し、京城に危機が迫っている模様」。当時のラジオニュースは、北朝鮮のことを北鮮といい、ソウルのことを京城と植民地時代の用語をそのまま使い報じていた。北朝鮮が三八度線全線で戦車を先頭に南朝鮮へ攻勢をかけており、また日本海海岸では艦船による攻撃も始まっていることも報じた。開城では、甕津(おうつ) 半島ではとか、議政府ではとか朝鮮で聞き慣れていた地名が次ぎつぎに出てきた。そこでは戦車戦が繰り返しおこなわれ、つぎつぎに北朝鮮軍の占領地域が広がっていることを伝えていた。「のど自慢」どころではなかった。集まっていた家族はそのニュースに釘づけになった。
「朝鮮で戦争がはじまった」。洋武は身震いがした。つぎの瞬間、三八度線をこえた戦車が、そのまま蓼科山の雲間をぬって、列をつくって殺到してくるかのような錯覚に陥っていた。それは順安で見たソ連軍の戦車の行列だった。洋武はまだ手も顔も洗わず泥だらけで土間に立っていた。
「いやだよ。もう戦争はいやだよ」。体を二つに折ってラジオにむかって叫ぶとともに声は泣き声にかわっていった。そしてわんわん泣きだしていた。自分の肌がどんな戦争も受けつけなかった。「この子ったら。中学生にもなるのに。泣くなって」 ハナはそういいながらラジオの音を大きくし、「そう戦争はもういや。どこの国でもどんな理由でも戦争はもういや」と相づちをうった。
九年前、真珠湾攻撃にわいた林家の姿とはまったくちがって、凍り付いたような雰囲気がラジオのまわりにひろがった。おそらくそれは日本中の国民がうけた衝撃でもあった。昭和二五年(一九五〇年)六月二五目の日曜日の正午のことだった。
以 上
「今朝早朝、北鮮軍は南北鮮境界線である三八度線にそった開城、春川付近と東部海岸地区において北鮮軍と韓国軍ととの間に戦闘が開始された。韓国政府は同日北鮮との間に全面的内戦が発生したと公表したが、同日朝、北鮮側平壌放送は韓国軍(韓国軍に)たいして正式に宣戦を布告した」。「北鮮軍は戦車を先頭に激しく攻勢をつづけており、先頭部隊は京城に肉薄し、京城に危機が迫っている模様」。当時のラジオニュースは、北朝鮮のことを北鮮といい、ソウルのことを京城と植民地時代の用語をそのまま使い報じていた。北朝鮮が三八度線全線で戦車を先頭に南朝鮮へ攻勢をかけており、また日本海海岸では艦船による攻撃も始まっていることも報じた。開城では、甕津(おうつ) 半島ではとか、議政府ではとか朝鮮で聞き慣れていた地名が次ぎつぎに出てきた。そこでは戦車戦が繰り返しおこなわれ、つぎつぎに北朝鮮軍の占領地域が広がっていることを伝えていた。「のど自慢」どころではなかった。集まっていた家族はそのニュースに釘づけになった。
「朝鮮で戦争がはじまった」。洋武は身震いがした。つぎの瞬間、三八度線をこえた戦車が、そのまま蓼科山の雲間をぬって、列をつくって殺到してくるかのような錯覚に陥っていた。それは順安で見たソ連軍の戦車の行列だった。洋武はまだ手も顔も洗わず泥だらけで土間に立っていた。
「いやだよ。もう戦争はいやだよ」。体を二つに折ってラジオにむかって叫ぶとともに声は泣き声にかわっていった。そしてわんわん泣きだしていた。自分の肌がどんな戦争も受けつけなかった。「この子ったら。中学生にもなるのに。泣くなって」 ハナはそういいながらラジオの音を大きくし、「そう戦争はもういや。どこの国でもどんな理由でも戦争はもういや」と相づちをうった。
九年前、真珠湾攻撃にわいた林家の姿とはまったくちがって、凍り付いたような雰囲気がラジオのまわりにひろがった。おそらくそれは日本中の国民がうけた衝撃でもあった。昭和二五年(一九五〇年)六月二五目の日曜日の正午のことだった。
以 上