戦中戦後、少年の記憶 北朝鮮の難民だった頃・19 (林ひろたけ)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
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その日の昼 八月十五日と終戦前後・3
二二日の昼頃、林家の前は異常な雰囲気になってきた。朝鮮人が白い朝鮮服をきて、あの日の丸を半分墨で塗りつぶした韓国の小旗と真っ赤な旗をもってわが家の前の京義国道にぞろぞろと出てきた。八月十五日以後、林家の門は昼夜問わず閉められたままだった。ハナはさらに玄関や家の鍵も閉めて「絶対に出てはいけません」と家の中にいるように命じた。突如として「ウラーウラー」 (ロシヤ語で万歳)という歓声とばんばんという鉄砲の音にあわせて国道はあわただしくなった。怖さもあった。しかし、何が起こったかも知りたかった。洋武は台所から抜け出し、地下室の屋根に登り板塀の隙間から外をそっとのぞいた。ソ連兵がトラックに満載されてゆっくりとしたスピードで次々と前の国道を通っていた。トラックは何台も何台もゆっくり走っていった。雨の降らない朝鮮の砂利道路はものすごい砂煙を上げるが、そのときは砂塵が煙のようになって国道の向こう側が見えないはどだった。
しばらくすると戦車が入ってきた。それは日本軍の戦車とは比較にならない、今まで見たこともない大きな戦車だった。国道の道いっぱいに広がって、砲塔を左右にゆすりながら、ゆっくりと国道も狭いとかんじられるほどいっぱいだった。砲塔が左右にむきを変えた時、正面に戦車の大砲が向けられた。洋武はもうだめだと思った。しかし、次には戦車の砲塔は向こうの方を向いてほっとした。 戦車は泥だらけだった。しかも草や緑の木の枝などで迷彩がはどこされ、戦場の現場から駆けつけた様子が感んじられた。砲塔からソ連兵が体をだし、戦車の上に数人の兵隊が銃をもって乗っていた。ウラー・マンセイという声が響くほどに、彼らはその小銃を高く掲げた。銃は今まで見たことも、また写真や戦争の絵にも載っていない奇妙な銃だった。筒のうえに丸いお盆が載っているような形だった。
戦車は大小十輌をこえていた。戦車が通るたびに「マンセイ。ウラー」の声が広がった。戦車の轟音はそれからもしばらく続いた。
あとで兄典雄は「あれはソ連の自動小銃だ。丸い盆のところに弾倉になっていて、一回引き金を引くと数十発一度にでてくる。銃の筒が下を向いていて取るといっしよにバッバッツと弾が出てくるのだ。真っ赤な旗はソ連の国旗だ。ウラーというのはソ連の万歳だ」などと教えてくれた。
典雄はどこから仕入れてきたか正確な知識を家族に披露していた。
昨日まで日の丸をもち、「大日本帝国万歳」 といっていた人達がソ連兵に向かってウラーを叫ぶことに私はなにか納得のいかないものを感じていた。何もかも一八〇度かわっていた。
その夜、夕食の時、由美が晋司に聞いた。
「お父さん。ロシヤって共産主義の国なんでしょう。共産主義ってどんなこと」。ハナも典雄も私も聞き耳を立てた。「働かざる者食うべからずだよ。それに天皇陛下を打倒せよとか、私有財産はみんな否定するんだ」。晋司の共産主義もあやふやだった。軍隊時代に受けた教育の知識の切れ端が伝えられた。「私有財産の否定って。うちの財産も没収されるでしょうか」 とハナが聞いた。「わからない。戦争に負けるとなにもかもおしまいだ」。会話はそれでおしまいだった。しかし、事態が大きく代わり始めていることを痛感せざるを得なかった。