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  • [No.16275] Re: 今日は何の日・12月12日 投稿者:   投稿日:2010/12/14(Tue) 14:04
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    KAMEさん、ぷわらさん。みなさん。まいど。
    いつもありがとうございます。
    >
    > > ダズンローズデー(Dozen Rose Day)
    > > ブライダルファッションの第一人者である桂由美さんと内田和子さんが提唱。
    > > 12本の薔薇を愛情の印として恋人に贈る日。
    >
    > うひゃー、定着しそうもない記念日ですね。
    > あははは
    >
    > この日は福沢諭吉の誕生日でもあるんですって。
    > なぜ知ってるかと言いますと、じつはうちの娘の誕生日なのでどなたといっしょかな、と調べたんです。
    > 誕生日は一緒でも、娘はフクザワさんとはとんとご縁がないようで。とほほ

     この、日は、母親の祥月毎日なんでっけど、
     石川、五右衛門が、釜ゆでにに、なった、日でもあるんや、そうでんねん。

     おまけに、私の誕生日が、悪名高い、金正日の誕生日、ときてまんねんね。

     どうも、おぼえるのには、便利でっけど、大きな声では云えへん人も多ますわ。

                                   Toshichan in Kouto-fu

     


    [No.16274] Re: 今日は何の日・12月14日 投稿者:   投稿日:2010/12/14(Tue) 13:07
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    KAMEさん

    いつもありがとうございます。

    > 今日は何の日、12月14日
    > 四十七士討ち入りの日,忠臣蔵の日
    > 1702(元禄15)年、赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げた。

    何を隠そう(隠してないない、言いすぎー)私の先祖ががんばった日です。
    忠臣蔵は賛否両論ありますが、やっぱり身内としては浪士に味方します。
    毎年どこかでテレビでやるのを見てましたが、もちろんこちらでは見ることができず、残念に思っていました。
    が!
    来年キアヌ・リーブス主演で47Roninって映画ができるんだそうです。
    これはとーっても楽しみです。


    [No.16273] Re: 今日は何の日・12月12日 投稿者:   投稿日:2010/12/14(Tue) 13:02
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    > すばらしいホームページ見つけました。
    > http://www.kanakodrums.com/

    きゃぁー、KAMEさん、ありがとうございます。


    [No.16272] なだいなだ:人間、とりあうえず主義 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/14(Tue) 06:14
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    「ちくま」の巻頭の連載エッセイをまとめたもの。
    連載を始めるとき、タイトルを聞かれて、「とりあえず、なにか仮の題でも」と編集者から言われたときひらめいた。「なに、とりあえず? それだ! それをもらおう」
    こうして「人間、とりあえず主義」というタイトルが生まれた。
    これは内容をよく表しているタイトルになった。

    著者は生まれてから、とりあえず生きてきた。いつでもとりあえずで、本格的に生きてきたことがないのが、最大の欠点になろうか。人生仮採用のままで、本採用にならずに退職するようなものだと著者は書いている。

    実際に精神科医としても、とりあえず主義でやってきた。
    「まだここが悪い、まだ病気が完全に治っていない、すっかり治ってから人生を再開したい」という神経症の患者に
    「これまで七年もかかってまだ治らない病気が、すっかり治るのはいつか、きみに分かるかい。だれにも分からないよ。だが、明日や明後日でないことははっきりしているな。それまで生きるのを中止しているか、それとも病気を背負って、七分の力しか出せなくとも、とりあえず人生を再開するか、きみはどっちをとる?」と質問し、とりあえず生きていくことを勧めてきた。
    これはまさしくとりあえず主義であろう。

    ティル・オイレンシュピーゲルが、城門の前に立っていて、通りかかった旅人に「次の町まで何時間かかる」と聞かれて、彼はただ「歩け」と答えるだけだった。
    とりあえず歩いてもらわなければ、「そのあんなの足でなら、隣の町に着くころには夜になるな」と答えるわけにはいかない、というのがティルの言い分である。
    (ティル・オイレンシュピーゲルはドイツの中世の話の主人公であるが、この話はイソップにあったと記憶している)

    初老期のうつ病の患者たちと話をしていると、気づくことがある。それは、かれらが、自分たちの年齢が中途半端だと考えていることだ。「これまで死ぬまでに仕上げたいと思っていた仕事がある。だが、この年齢から始めたら、きっと中途半端なところで死ぬだろう。完成させることはむずかしい」
    そう考え、中途半端で屋根のない建物みたいなものになってしまうのなら、何の価値もない、と断念してしまう。そして、人によっては、生きていてもすることがないと、生きることさえ無意味に思うようになる。

    この人たちが元気な顔を見せるのは、人間いつ死ぬかは分からない、死ぬまではとりあえず生きていこう、生きていられれば完成できる、それでいいではないかと考え、とりあえず大仕事にも着手するようになったときだ。
    「とりあえず今日を生きなければ、明日は来ない。ねえ先生」
    初老期うつ病の患者が、そういうようになったら、この人はなんとか生きていくだろうと判断した。なんのことはない、かれがとりあえず主義者になったということである。

    ノーマン・フィンケルシュタインの「ホロコースト・インダストリー」を読む。
    この本の著者もアウシュヴィッツ生き残りを両親にもつユダヤ系アメリカ人である。

    この本のテーマは、ナチスによって行われたホロコーストがイスラエルという国家を弁護するために用いられている大文字のホロコーストに、いかにすりかえられていったかの検証である。

    ユダヤ人は確かにドイツで史上まれに見る迫害を受けた。それはまぎれもない事実だが、だからといって、かれらはそれによって特別な民族になり、すべてが許されるようになったわけではない。
    しかし、現実のイスラエルはどうか。世界のあちこちで似たような状況が起これば、非人道的だ、人類に対する犯罪だと、国際的な非難を浴びそうなことをしている。
    だが、イスラエルは、他の民族がやるなら咎められるべきだが、自分たちは特別なのだ、と主張する。そしてやめようとしない。
    それは
    「イスラエルの場合は特別なのだ。なにをやっても許されるのだ。なぜなら自分たちはホロコーストの犠牲者だから」
    という主張に国際世論が沈黙させられてしまうからである。

    このようにイスラエルの行動の弁護の道具になったのが大文字のホロコーストであり、その運動の中で大きな役割を果たしたのがエリー・ウイーゼルだ。
    このノーベル平和賞受賞者は、世界のあらゆるところに顔を出し、イスラエルを批判する人間に反ユダヤ主義のレッテルを貼り、イスラエル批判を封じて歩いている。日本でもなんでこの人がと思われる人物が、かれに反ユダヤ主義者のレッテルを貼られた。
    なだいなだも、この本を紹介することで、反ユダヤのレッテルを貼られる日も遠くないだろうと、なだ本人が書く。

    アメリカ在住のユダヤ人社会の、このホロコーストのイデオロギー化、あるいは宗教化、そして賠償請求によるビジネス化を、フィンケルシュタインは「ホロコースト・インダストリー」だという。
    この運動あるいはビジネスは、1967年の中東戦争以後の、和平の先行きが不透明になった時代に生まれた。
    そしてこれこそが、中東和平の障害物になっているのだ。

    同時多発テロ事件の直後、テレビは衝撃的なシーンを繰り返し繰り返し見せる。
    こうして何百人の生命が失われる瞬間の映像を、一日の間に
    何十ぺんと見せつけられると、精神は動揺してしまう。むしろ動揺しない人間の方が異常であろう。ただ自分が動揺していることは自覚しているべきだろう。

    落ち着くためのノウハウを紹介しよう。世界の中での自分の位置を見つめる努力をすることだ。
    著者の患者は、世界貿易センタービルの崩落の映像を見たとき、一瞬こころがアメリカに行ってしまっていた。
    テレビカメラの置かれた場所に行ってしまっていたのだ。
    そして望遠レンズの視野になっていたのだ。自分は日本にいたのだっけ、と思い出せば、少しは視野が広がる。

    報復だと言っているアメリカ人から、私は日本人だったっけと、日本人に戻れば、距離をあけることができる。
    そして、アメリカ人とテロリストを二つとも視野に置くことができる。
    当然、テロリストがそこまで深くアメリカを恨むようになったのはなぜか、と考えることもできる。
    その逆に、共同の敵だなといい、アメリカ人と距離をつめてしまうと、冷静にものが見えなくなる。


    [No.16271] 今日は何の日・12月14日 投稿者:   投稿日:2010/12/14(Tue) 05:38
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    みなさん、今日は
    今日は何の日、12月14日
    四十七士討ち入りの日,忠臣蔵の日
    1702(元禄15)年、赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げた。

    南極の日
    1911(明治44)年、ノルウェーの探検家・アムンゼンと4人の隊員が人類で初めて南極点に到達した。

    1910(明治43)年 日本初の飛行実験に成功したが、公式の飛行実施予定日ではなかった為に「誤って離陸」と報告

    1960(昭和35)年 国連総会で、アジア・アフリカ43か国の提案による「植民地独立宣言」を採択

    1962(昭和37)年 アメリカ NASA 金星ロケットが金星の観察

    今日の誕生日の花:フユザクラ
    花言葉:冷静
    今日の一句:冬桜空の碧さとかかはらず      馬場移公子

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.16270] Re: 今日は何の日・12月12日 投稿者:   投稿日:2010/12/14(Tue) 05:35
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    ぷわらさん、今日は

    > この日は福沢諭吉の誕生日でもあるんですって。
    > なぜ知ってるかと言いますと、じつはうちの娘の誕生日なのでどなたといっしょかな、と調べたんです。
    香奈子さん、お誕生日おめでとうございます。
    すばらしいホームページ見つけました。
    http://www.kanakodrums.com/

    ますますご活躍、おめでとうございます。


    [No.16269] Re: 今日は何の日・12月12日 投稿者:   投稿日:2010/12/14(Tue) 00:56
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    KAMEさん、こんにちは。
    いつもありがとうございます。

    > ダズンローズデー(Dozen Rose Day)
    > ブライダルファッションの第一人者である桂由美さんと内田和子さんが提唱。
    > 12本の薔薇を愛情の印として恋人に贈る日。

    うひゃー、定着しそうもない記念日ですね。
    あははは

    この日は福沢諭吉の誕生日でもあるんですって。
    なぜ知ってるかと言いますと、じつはうちの娘の誕生日なのでどなたといっしょかな、と調べたんです。
    誕生日は一緒でも、娘はフクザワさんとはとんとご縁がないようで。とほほ


    [No.16268] Re: 今日は何の日・12月11日 投稿者:   投稿日:2010/12/14(Tue) 00:54
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    ザックスさん

    おめでとうございます。
    二重の喜び、ほんとにおめでたいです。

    十分ご養生ください。


    [No.16267] Re: 双子の日 投稿者:Pan  投稿日:2010/12/13(Mon) 18:14
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    KAMEさん、みなさん、こんにちは

    >双子の日
    >1874(明治7)年、「双子の場合は、先に産まれた方を兄・姉とする」という太政官布告が出された。それまでは、後に産まれた子を兄・姉とする地方もあった。

     私は今までずっと「後で生まれた方を兄・姉とする」と思っていました。
     その理由として、「後で産まれた方がお腹の中で上にいるから」と聞いて妙に納得していました。

     小学校の時は同級生に双子が2組いましたが、身辺に双子はいませんから真面目に考えたことはありませんでした。

          ***** Pan *****


    [No.16266] 高峰秀子:わたしの渡世日記 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/13(Mon) 10:07
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    上巻と下巻の二冊になっている。
    まだ全部読んではいないが
    だいたいのところをまとめると以下のようになる。

    高峰秀子は函館に生まれた。
    4歳のとき義母にもらわれていって
    以後東京で生活するので、彼女は東京人だと思っている。
    北海道出身といわれて、ああそうかと思うがまったく北海道人だという自覚はない。

    彼女の実母は彼女が4歳のときに亡くなった。
    棺おけに座る姿勢で入れられ周りを綿のようなもので包まれ
    首だけ出した姿が母の最期の姿だったという。

    彼女は子供がほしいという父親の妹から、強い希望で
    生まれる前から養子にいくことを約束されていたという。
    彼女の上には男ばかり生まれていたので、今度も男だろう、だから養子に出すのもよかろうと両親も考えたらしい。

    ところが生まれたのは、はじめての女の子だった。
    それをみると両親は手放したくなくなった。女の子だから手元において育てたくなった。
    父の妹は約束だからと何度も家に来るが、そのつど追い返されてしまう。
    そして、母親が死んで、父もこのままでは育てるのは大変と思い
    妹に娘を養女として渡したというのであった。

    彼女自身は継子だということは自覚していたが、義母はなるべくそれにふれたがらなかった。
    そして、幼い彼女を大事に育てた。幼い彼女も実の母親のようにあまえた。

    彼女の義母は、大家族の中で、外に飛び出したくてチャンスを待っていた。
    そこに活動弁士の男が現れた。冷静な判断なしで、彼女はこの男にとびついた。
    活動弁士の男の影響で、彼女も女弁士になった。そこで、時代はかわり
    無声映画の時代は終わった。トーキーの時代に弁士はいらなくなった。
    男はほかに女を作り、高峰秀子の義母はさみしさのはけ口を継子に求めた。
    高峰秀子というのは義母の芸名であった。義母は娘に自分のはたせぬ夢を託した。

    幼い継子との生活の中で
    義父は、映画会社が子役を募集していることを知り
    継子を応募させることを思いついた。
    多数の応募者の中から、彼女が選ばれて、そこから彼女の人生は大きく変わる。

    以後、彼女は映画から離れられなくなる。
    毎日撮影に明け暮れ、小学校も欠席がち、いまなら社会的にも法律的にも許されないことだが
    幸せなのか不幸なのか、高峰秀子の奇妙な映画スター人生がくりひろげられる。

    彼女の義父は、継子の収入が入ると、また外に女を作り
    義母はとうとう彼女を連れて、義父のところから飛び出す。
    結局、義父は捨てられた形となる。

    美空ひばりの例をあげるまでもなく、母一人娘一人の芸能生活は特殊なもので
    この関係から離れられない母親は、結局娘の幸せをうばうことになる例が多いのだが
    高峰秀子の場合、しっかりものの娘とヒステリーの母親の対決があって
    彼女は幸せな結婚をおくることができる。

    彼女の北海道の家族は
    やがて有名になった女優高峰秀子の収入を当てにして
    彼女の周りに集まり、彼女のお荷物となる。

    親戚も貧乏な人のところには寄りたがらない。貧しいと親戚も誰も寄ってこない。
    ところが、こちらにお金があるとか有名だと、知らなかった親戚まで現れて近寄ってくる。アリが砂糖に集まってくるように。


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