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  • [No.16124] Re: 五木寛之:みみずくの日々好日 投稿者:   投稿日:2010/11/15(Mon) 19:54
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    > 今の若い人にはなんのことやら見当がつかないだろうが、著者たち昭和の子どもは、戦争の時代に育った。
    > 小国民とよばれ、戦争のために役立つ教育をほどこされた。
    > モールス信号も、その一つだった。
    > そのモールス信号を全部覚えるのは大変なので工夫があった。
    >  ト・ツー 伊藤のイ
    >  路上歩行のロ
    >  ハーモニカのハ ツー・ト・ト・ト
    >  ノといえば ト・ト・ツー・ツー 乃木東郷

    五木寛之とは同い年ですから同じ体験をしています
    中学1年のとき「伊藤のイ」のモールス信号は全部覚えました
    教練の時間には手旗信号です。1人づつ校庭の裏の丘に登って教官から指示された通りの伝言を紅白の手旗で伝達する、それを校庭で全員が解読する、全員正解するまでは解散できない。間違ったら殴られる。教官が殴り疲れると生徒たち互いに殴り合いをさせる それが日常でした

    小国民ではなく少国民でした。山本有三が提唱した用語です

    > 軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)を全部暗記しているという著者
    > 小学生時代に無理やりつめこまれたので、終生消えずに残っている。

    軍人勅諭、教育勅語、歴代天皇おくり名(125代まで)は必須でした。今でも大半は記憶に残っています


         さんらく亭@甲子園


    [No.16123] Re: 五木寛之:みみずくの日々好日 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/15(Mon) 16:02
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    誰か先輩を思わざる
    晩年の石坂洋次郎の話
    著者五木寛之は、晩年の石坂洋次郎はかなり大らかだったと書く。
    著者の顔を見ると
    「やあ、五木ひろしくん」とニッコリする。
    「五木寛之です」と言うと
    「そう、そう、失礼、失礼。でも、彼は好青年だね。近所に引っ越してきたときは、ちゃんと引越し蕎麦を持って挨拶に来た」
    次に会うと、また
    「やあ、五木ひろしくん」

    あるとき、司馬遼太郎が笑いながら言ったという。
    「こないだ石坂さんがぼくの顔を見て、きみの『青春の門』はおもしろいね、って」
    「えっ、それで司馬さんはなんと」
    「仕方がないから、ありがとうございます、って言っておいた」
    「すみませーん」
    それ以来、司馬遼太郎にはなんとなく頭があがらない感じになったという。

    歌を歌えば骨がなる。
    あくびをしたり、大きく口をあけたりすると、頬の骨がゴリゴリッと鳴るという。
    たぶん歯の噛み合わせがずれているのだろう。
    不正咬合は、当然歯科医に相談して矯正してもらうのが正しいのだが
    五木寛之は健康保険を使わない、つまり医者通いをしないから
    自分の体の不具合を、なんとか工夫して調整するのが趣味で得意らしい。

    最近の医学の進歩はすごく、東京からニューヨークの患者の手術ができるということである。
    しかし、慢性の鼻炎で悩んでいるとか、持病の腰痛で苦しんでいるというような
    身近にわんさという症状を治せる病院はあったら教えてほしいと著者の五木は書いている。
    先日ある有名なドクターと対談したとき、終わって席を立つドクターの姿勢を見て
    五木は「腰痛があるのでしょう」と言ったら
    「わかりますか。いや、こればかりはどうも」と白状したという。
    そこで、著者が長年にわたって工夫した腰痛を出さない方法を教えたというが
    医者は人の言うことをきかない人種だから、たぶん実行していないだろう。
     その方法とは、犬のように両手両足を使って歩き回る四足ウォーキング療法である。

    著者によれば
    人間が立ち上がって二本足で歩行するようになってから、腰痛の苦しみが生まれたのである。
    腰痛は病気ではない。それは人間の背負った宿命である。宿命に治療はない。ただそれを出さないように、腰痛をなだめすかしながら、折り合って暮らすしかない。
     腰は曲げない。膝は曲げるためにある。
     室内では常に手足を使って這うことを旨とする。トイレに行くときも両手両足で這う。

      ---------------------

    歌手“五木ひろし”は、本名が松山数夫〈まつやま かずお〉だが、何度も改名して、最後に
    彼を応援した作詞家山口洋子が、作家の五木寛之から、苗字の「五木」をもらったから。
    だから、記憶力がマイルドになってきた石坂洋次郎が間違えたりも理由がないわけではない。


    [No.16122] 痛いゾー! 投稿者:   投稿日:2010/11/15(Mon) 13:19
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     ちょっとした指先の怪我でもケッコウ痛かったり、気になるものだが。こうなると、ショウジキ、はんぱな痛さではない、と思う。

     もしかして、はなはな痛いのかも。(-_-;)

    http://www.lefigaro.fr/photos/2010/11/08/01013-20101108DIMWWW00570-24-heures-photo.php


    [No.16121] Re: 今日は何の日・11月15日 投稿者:   投稿日:2010/11/15(Mon) 13:16
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    KAME(亀井)さん
    まいにちありがとうございます

    > 坂本龍馬の日
    > 1836年に坂本龍馬は誕生して、1867年坂本坂本龍馬・中岡慎太郎が京都で暗殺

    誕生日と命日が同じという有名人には坂本龍馬のほかにこんな人がいます

    (4.23) シェ−クスピア 
    (6/24) 加藤清正 
    (8/29) イングリッド・バーグマン
    (12/12) 小津安二郎 

    これは便利なので私(11/25)も密かに狙っています(^-^) 


    [No.16120] Re: 五木寛之:みみずくの日々好日 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/15(Mon) 11:12
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    今の若い人にはなんのことやら見当がつかないだろうが、著者たち昭和の子どもは、戦争の時代に育った。
    小国民とよばれ、戦争のために役立つ教育をほどこされた。
    モールス信号も、その一つだった。
    そのモールス信号を全部覚えるのは大変なので工夫があった。
     ト・ツー 伊藤のイ
     路上歩行のロ
     ハーモニカのハ ツー・ト・ト・ト
     ノといえば ト・ト・ツー・ツー 乃木東郷

    著者が若いころ、宴席で何か芸をやれと強制され、困ってしかたなく、立ち上がって手旗信号をやった。
    イ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ、トと順番に両手をふり回したが、これがまったく受けなかった。
    手旗信号は、海洋少年団の訓練で体に叩き込まれた。まちがうと手旗の棒でコブができるほど殴られたものだ。

    頭も体も、やわらかいうちに刻み込まれたものは、一生残る。消そうと思ってもどうにもならない。
    せめて外国語でも叩き込まれていれば、いまになって役立ったものを。

    軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)を全部暗記しているという著者
    小学生時代に無理やりつめこまれたので、終生消えずに残っている。

    消去するという意味のイレーズという言葉はおぼえたが、古い記憶をイレーズすることはできない。
    困ったものだ。

    (人間が自分の意志でコンピュータのように記憶を消去できたら便利だ。そうはいかないのが生き物なのだ)


    [No.16119] 五木寛之:みみずくの日々好日 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/15(Mon) 10:26
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    あるとき思いついた著者は日本各地の寺を歩き回る。
    永保寺(えいほうじ)を訪れたとき、夢窓国師が座禅を組んだといわれる山腹の岩に座ると、下を見ると目がくらくらするが、じっと座っていると、座っている岩の下から、なにやらジンジンと波動が伝わってくる感じがする。
    三井寺ではゴボゴボと音をたてて湧き出す地下水を見ていて、体がふらふらした。あのときもジンジンと体がしびれる感覚があった。
    比叡山で、千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)の行者がたどる山道を歩いていたら、突然体がむずむずして、じっとしていられなくなった。その辺に落ちている木の枝を拾い杖にして、転がるように坂を駆け下りた。そのときも足元から突き上げてくる波動と、天から降りてくるヴァイブレーションを感じた。

    東洋医学には経絡(けいらく)という考え方がある。いわば、体内を走る国道のようなものだ。
    その経絡には数百のポイントがあるという。俗にツボという。
    日本列島を人体にたとえると、そこを走る見えないラインがあり、そのツぼにあたる場所に、古い寺や社があるのではないか。
    その場所に身をおくと、なにか奇妙なエネルギーを実感する。
    (山を登って名刹にたどり着くので体が疲れて感じやすくなっているせいかもしれない。あるいは感覚的に鋭い人がこの神秘的な大地のエネルギーを感じるのかもしれない。東洋には人体の気脈だけでなく、大地には地脈があるという。すくなくとも金脈とか水脈という言葉をわれわれは実態を考えながら使っている)


    [No.16118] 生活の安全を守る仕事 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/15(Mon) 09:50
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    知りたい!なりたい!
      職業ガイド
    生活の安全を守る仕事
    警察官 消防官 海上保安官

    マンガの本です。だから小学生向き なのに大学図書館にあるとは(しかも沢山読まれている)。

    いま話題の海上保安官も載っている。
    海上保安官
     海上保安官は海の警察官であり消防官、救助隊員、そして外交官である。
     ロシア語や中国語もできないといけない。もしかすると朝鮮語も必要。
    消防官
     火災を未然に防ぎ、自然の災害から人命を守るために活躍する。
     適正診断で、敏捷さをそなえ、奉仕の気持ちをもち、チームワークを大切にする人を選ぶ。
    警察官
     さまざまな犯罪を防ぎ、地域の住民の安全を守ってくれる人たち。
     忍耐強く、奉仕の精神があって、正義感の強い人が向いている。

    実は私の教え子も大学を卒業すると
    警察官になったり消防官になったりしています。
    一般の会社を受けるときと違い、学力試験の他に体力テストがあるそうです。


    [No.16117] 今日は何の日・11月15日 投稿者:   投稿日:2010/11/15(Mon) 05:40
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    みなさん、今日は
    今日は何の日、11月15日
    七五三
    男の子は数えで3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の年に、成長を祝って神社に参詣する。
    3歳は髪を伸ばす「髪直」、5歳は初めて袴をつける「袴着」、7歳は本仕立ての着物と丸帯という大人の装いをする「帯解」をそれぞれ祝う意味がある。

    きものの日
    全日本きもの振興会が、1966(昭和41)年の設立の時に制定。
    七五三の日に、家族そろって着物で出かけてほしいとの願いから。

    かまぼこの日
    全国蒲鉾水産加工業協同組合連合会が1983(昭和58)年に制定。
    かまぼこが初めて文献に登場したのが1115(永久3)年の祝宴の膳の図に描かれていたものとされており、この年の数字の並びから11月15日を記念日とした。

    こんぶの日
    七五三の日に子供達に昆布を食べて丈夫になってもらおうと、日本昆布協会が1982(昭和57)年に制定。

    生コンクリート記念日
    全国生コンクリート工業組合連合会が制定。
    1949(昭和34)年、生コンクリートが初めて市場に出荷された。

    いい遺言の日
    りそな銀行が2006(平成18)年11月に制定。
    「い(1)い(1)ゆい(1)ごん(5)」の語呂合せ。
    あわせて、この日から11月22日(いい夫婦の日)までの1週間を「夫婦の遺言週間」とした。

    坂本龍馬の日
    1836年に坂本龍馬は誕生して、1867年坂本坂本龍馬・中岡慎太郎が京都で暗殺

    1903年(明治36) 幸徳秋水・境利彦らが平民社を結成し『平民新聞』を創刊

    1920(大正9)年 ジュネーブで第1回国際連盟総会開催

    1930(昭和5)年 第1回全日本柔道選手権開催

    1955(昭和30)年 自由党と日本民主党が保守合同して自由民主党結成

    1964(昭和39)年 菊花賞でシンザンが優勝し戦前のセントライト以来の三冠馬に

    今日の誕生日に花:ミゾソバ
    花言葉:純情
    今日の一句:母と子とまれに父と子七五三    大橋櫻坡子

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.16116] Re: 李進煕:韓国の古都を行く 投稿者:   投稿日:2010/11/14(Sun) 23:36
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     男爵さん。まいど。


    >
    > 百済は新羅・唐の連合軍に滅ぼされるが、その時たくさんの百済の貴族たちが日本に亡命してきた。
    > このようなことは、かつて中国の戦国時代に多くの人々が戦乱を避けて朝鮮半島に移り住んできたように、世界各地の歴史では見られることである。

    >同様に日本民族も単一民族とするのは人類学的に誤りであろう。日本人の先祖は回りが海だから、北方からも南方からも朝鮮半島からも中国大陸からも来ていたはずだ)
    > (きっすいの日本人と思われる我々の中にも、モンゴル人、韓国人、タイ人、フィリピン人などによく似た顔を見つけることができる)

     顔は全員、アフリカ出やから、似て無いとはいいまへんけど、遺伝子は違ってまっせ。
     生粋の日本人はY遺伝子がD2かC1らしい。特にD2は他の場所には0.5%も居てへん。
    モンゴルはC3、韓国人はOb2,タイ、フィリピンもOb2。日本人のOb2は多分2500年位前からの後の、押し掛け組でっせ。

                                Toshichan in Kyouto-fu

                             

                               


    [No.16115] 李進煕:韓国の古都を行く 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/14(Sun) 21:07
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    李進煕:韓国の古都を行く
    著者は1929年生まれ、明治大学大学院修了(考古学専攻)、文学博士、和光大学名誉教授

    この本には 公州・扶余と慶州と釜山とソウルのことが書かれてある。
    日本の飛鳥時代との関係が詳しい。

    ソウルの国立博物館の金銅弥勒菩薩と京都の広隆寺の弥勒菩薩(アカマツ製)の類似性は有名であるが
    この本によると、どちらも百済の流れをくむものである。

    飛鳥寺址を発掘して、高句麗の寺院建築の技術が高麗(高句麗のこと)尺とともに百済に伝わり、さらに百済から日本へ渡ったことが裏付けられた。(高麗尺は)日本では百済尺とよばれたが、のちに鯨尺となった。

    百済は新羅・唐の連合軍に滅ぼされるが、その時たくさんの百済の貴族たちが日本に亡命してきた。
    このようなことは、かつて中国の戦国時代に多くの人々が戦乱を避けて朝鮮半島に移り住んできたように、世界各地の歴史では見られることである。
    (江戸時代初期に、明代末期に満州族が北方から北京に来て清朝をつくったとき、多数の亡命者が中国大陸から長崎に移住してきた)

    この著者の本貫は慶州で、始祖を瓠公という。「三国史記」によれば
    「瓠公の出生明かならず、もと倭人にして、瓠を腰にさげ海を渡ってきた。故に瓠公と称す」とある。
    だから、著者の先祖は日本列島のどこかから朝鮮半島に渡ったことになる。
    しかし、瓠(ひさご)の原産地は南方の熱帯地である。
    新羅の開国神話をみても、北方系の他に南方系もあり、さらに中国の神話もかぶさっている。
    神話は人が運んだものであり、したがって朝鮮民族を単一民族だとするのは誤りである。
    (同様に日本民族も単一民族とするのは人類学的に誤りであろう。日本人の先祖は回りが海だから、北方からも南方からも朝鮮半島からも中国大陸からも来ていたはずだ)
    (きっすいの日本人と思われる我々の中にも、モンゴル人、韓国人、タイ人、フィリピン人などによく似た顔を見つけることができる)


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