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[No.16431]
Re: 今日は何の日・1月16日
投稿者:
投稿日:2011/01/16(Sun) 23:56
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みなさん、まいど。
> 今日は何の日、1月16日
>
> 禁酒の日
> 1920(大正9)年、アメリカで禁酒法が実施された。
> 清教徒(ピューリタン)の影響が強かったアメリカではアルコールに対する強い批判があり、20世紀初頭までに18の州で禁酒法が実施されていたが、これが全国に及んだ。
> 飲料用アルコールの製造・販売等が禁止されたが、密造酒による健康問題や、アル・カポネを始めとする密売にかかわるギャングの出現等逆効果を招いたため、1933(昭和8)年2月に廃止された。
メローの人には、無くて、幸いでしたね。毎日が禁酒の日でなくてーーー。
>
> 籔入り
> 昔、商店に奉公している人や、嫁入りした娘が、休みをもらって親元に帰ることができた日。
> この日と7月16日だけ実家に帰ることが許されていた
1日/183日の休みは、厳しいねー。
それでも、子供が増えたのは、家督相続のためでしょうか???。
[No.16430]
Re: 中谷陽二:精神鑑定の事件史
投稿者:男爵
投稿日:2011/01/16(Sun) 05:51
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> > 中谷陽二:精神鑑定の事件史
> > 中公新書1389
津山三十人殺し
昭和13年に岡山県津山市近郊で、祖母に育てられた都井睦雄が大量殺人を決行。
彼は徴兵検査で結核と診断され不合格になり、その後に二人の女性から屈辱的仕打ちを受け、人生に絶望し犯行に至った。
国民学校教師のワーグナーはミュールハウゼン村で自分の妻子を殺してから大量の村人殺人を行う。
クレペリンの弟子ガウプはチュービンゲン大学の精神科主任教授で、ワーグナーの精神鑑定をしてパラノイアと判定した。
ワーグナーは筆がたち、「妄想」という戯曲を書く。これはバイエルン国王ルートヴィヒ二世が侍医グッデン博士とともにシュタルンベルク湖で溺死した話である。
ルートヴィヒ二世とグッデン博士との関係は、ワーグナーとガウプとの関係と同様、パラノイアと鑑定人との関係であったが、このことをワーグナー自身が気がついていた。
ナチスに信奉していたワーグナーは自分の子どもが劣悪の遺伝子をもっていたので殺したことを是と考えていたようだ。
津山事件の都井睦雄とワーグナーの共通点について
著者は下記のようにまとめる。
どちらの場合も、妄想と犯行は村落の狭い共同社会を舞台として起きたものである。
都井ではひ弱な敏感性が、ワーグナーでは精力的な活動性が目立つという違いはあるが、どちらも努力家で優秀な模範青年であったこと、倫理的敗北を意味する性的過失が妄想の鍵体験となったことはよく似ている。
都井が若くして罹患し、ワーグナーでは死因となった結核も共通点といえる。
さらに犯行に先立って自殺の願望が存在し、ついには死を決意して殺人を決行したことも一致する。
大量殺人犯はしばしば直後に自殺を図る。その場合は一種の拡大自殺であり、多数の他人をまきぞえにした自己破壊行動といってもよい。
より興味深い点は、彼らの人生に対する特有な構えである。都井は遺書の中で、幼少時代にはじまり、犯行決意に至ったさまざまな経緯を語ったうえで「ああ思えば不幸な僕の生涯であった」と、自分の生涯の総括を記した。
ワーグナーは、殲滅計画を練るのと並行して全三巻の自伝を著した。これらはいずれも人生の回顧である。
パラノイアでは妄想と人生が一体をなすことを鋭く洞察したクレペリンによれば、パラノイア患者は妄想を通して、あたかも「人生を、本をひもとくように眺め渡す」のである。
[No.16429]
Re: 中谷陽二:精神鑑定の事件史
投稿者:男爵
投稿日:2011/01/16(Sun) 05:46
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> 中谷陽二:精神鑑定の事件史
> 中公新書1389
ヒンクリー裁判
レーガン大統領を撃った男
ヒンクリーは金持ちの両親に育てられた落ちこぼれ息子
映画「タクシー・ドライバー」の主人公と一体化した彼は
ヒロイン役の十三歳のジョディ(彼の母と同じ名前)の熱狂的ファンになり、のちに彼女がイェール大学に進学した時、おっかけをはじめる。
ジョティにとってはありがためいわくのファンだった。
彼女の気をひくため、彼はレーガン大統領暗殺を決行して失敗し捕まえられる。
ロシア皇太子襲撃事件
明治24年3月
ロシア皇太子ニコライを国賓として迎えるという勅諭が政府から発せられた。
皇太子はギリシアのジョージ親王をともなってシベリア鉄道の起工式に向かう途上、4月27日に長崎に来遊し、鹿児島を経て、5月9日には神戸から京都に到着した。
11日には接待の責任者である有栖川宮親王の案内で滋賀県を遊覧し、三井寺を訪れた。滋賀県庁の訪問を終えて京都の旅館にもどる途中、沿道警備をしていた巡査の一人津田三蔵が突如としてサーベルを抜いて皇太子に切りかかったのである。
犯人は車から飛び降りた皇太子を追尾したが、車夫らと皇族の車に乗っていたジョージ親王に取り押さえられ、そのさい奪われたサーベルで切られ、負傷していた。
犯人は犯行理由をあいまいにしか述べなかったため、三浦判事が尋問をもとに次のように要約した。
・かねてからロシアの対日政策に不満を抱いていた。
・皇太子は漫遊を口実として日本の地理視察のため来日したのではないかと想像したる
・まず東京に赴いて天皇に挨拶しないことが甚だしい無礼であると憤った。
・当日、三井寺境内の西南戦争記念碑の警備を命ぜられ、みずから出征した戦役の往時を偲んで感慨を深くしたおり、二人の西洋人が四方を眺望しているのを見て、皇太子が県下の地理を視察しているものと判断した。このとき犯行を決意したが、実行は躊躇した。
・そこで機会をうかがい、沿道警備のさい決行した。
津田は裁判では落ち着いていて、裁判長の問いに答え「愛国の情、忍ぶこと能わざるに至るより、害を加え奉りしものなり」と起訴状と一致する内容を証言した。
この著者は津田の症状を下記のように解説している。
津田は勤勉、へんくつ、非社交的な、分裂気質者が疑われる性格の人であり、詳細は不明であるが、短期間の精神的変調のエピソードの経歴をもつ。
事件の直前まで特異な言動は気づかれず、犯行は計画性のない、きわめて唐突な行為である。核心についての記憶が抜け落ちており、犯行のさなかには意識が狭窄し、外界の認知が妨げられていたことを推測させる。また犯行後は速やかに正常な状態に復している。
要するに犯行時には一時的な異常状態にあったと思われる。これは、もともと心理的ストレスへの脆弱性をもつ津田が、耐えられる限度を超える状況に置かれたことによって引き起こされたと考えられるのである。
[No.16428]
中谷陽二:精神鑑定の事件史
投稿者:男爵
投稿日:2011/01/16(Sun) 05:42
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中谷陽二:精神鑑定の事件史
中公新書1389
刑法第三十九条
心神喪失者の行為は罰しない。心神耗弱者の行為は、その刑を軽減する。
心神喪失者とは、精神障害のために是非善悪をわきまえることができないか、わきまえてもそれにもとづいて行動することができない人をいう。
心神耗弱者とはこれらの能力が著しく低下している人を意味する。
これはあくまでも法律上の規定で、決定するのは裁判官であり、そのための判断資料を提供するのが鑑定人としての精神科医に与えられた役割である。
鑑定人は多くの場合
「現在の精神状態」と「犯行時の精神状態」の診断が鑑定事項として要求され、それぞれについて根拠をあげながら説明しなければならない。
「現在」すなわち精神鑑定を行っている時点の精神状態を診断する手法は、通常の診断の場合と大差はない。
ただし、拘禁による特赦な心理的影響すなわち拘禁反応があることを計算に入れる必要がある。
つまり、刑が確定されていない被疑者、被告人では、厳しい判決を受ける琴への不安が大きなストレス原因となる。
とりわけ極刑が予想されるような事件では、被告人はいわば陰っぷちに立たされているわけで、想像を絶した心理的ストレスに曝されている。
拘禁反応の症状はさまざまで、たとえば、自分は無罪だと信じる「無罪妄想」、釈放されることが決まっていると信じる「赦免妄想」という特殊な妄想がある。
心神喪失者と判定されて刑を軽くされることを期待し、精神病を演じる場合は詐病と呼ばれる。
詐病も拘禁反応も、日常の診療場面では経験できない得意な現象であり、被鑑定人が置かれた状況、その心理の特殊性を熟知していないと誤診のもとになる。
「犯行時」の精神状態の診断となると、さらにやっかいである。
犯行日時は、鑑定の数ヶ月前か、再鑑定であれば一年以上前のこともあり、犯行時の状態は、もちろん実際に目で見て観察する訳にはいかない。
被鑑定人の供述内容がそれまでどのように変化してきたかということまで知っておかなければならない。
[No.16427]
今日は何の日・1月16日
投稿者:
投稿日:2011/01/16(Sun) 05:38
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みなさん、今日は
今日は何の日、1月16日
禁酒の日
1920(大正9)年、アメリカで禁酒法が実施された。
清教徒(ピューリタン)の影響が強かったアメリカではアルコールに対する強い批判があり、20世紀初頭までに18の州で禁酒法が実施されていたが、これが全国に及んだ。
飲料用アルコールの製造・販売等が禁止されたが、密造酒による健康問題や、アル・カポネを始めとする密売にかかわるギャングの出現等逆効果を招いたため、1933(昭和8)年2月に廃止された。
籔入り
昔、商店に奉公している人や、嫁入りした娘が、休みをもらって親元に帰ることができた日。
この日と7月16日だけ実家に帰ることが許されていた
初閻魔,閻魔賽日,十王詣
正月16日と7月16日の閻魔賽日(地獄の釜の蓋が開いて鬼も亡者も休むとされる日)に、寺院で十王図や地獄相変図を拝んだり、閻魔堂に参詣したりすること。
十王とは地獄にいて亡くなった人の罪を裁く10人の判官のことで、特に閻魔王のことを指す。
1912(明治45)年 白瀬中尉南極探険隊が南極大陸の鯨湾に到着
1954(昭和29)年 世界男子スピードスケート選手権大会開催。日本初の世界スポーツ選手権
1960(昭和35)年 岸首相ら新安保調印全権団がアメリカへ出発。全学連の主流派学生約700人が羽田空港に坐込み警官隊と衝突
1969(昭和44)年 ソ連の宇宙船ソユーズ4号と5号が初の有人宇宙船同士のドッキングに成功
1974(昭和49)年 石油危機により電力使用制限令が発動。ネオンサインが消え、国電の暖房が切られ、NHKテレビが23時で放送終了になる
1980(昭和55)年公演の為に来日したポール・マッカートニーの大麻持ち込みが発覚し成田空港で逮捕。公演は中止に
今日の誕生日の花:カニサボテン
花言葉:恋いの年頃
今日の一句:手を膝にのせかまくらの客となる 小原啄葉
出典は今日は何の日、毎日が記念日
http://nnh.to/
及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
[No.16426]
Re: 上野玲:うつは薬では治らない
投稿者:
投稿日:2011/01/15(Sat) 14:26
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男爵さん
> うつで稼ぐウソツキ文筆家の本?
あははは。
たしかにそうみたいですね。
[No.16425]
「橋のない川」を読む
投稿者:男爵
投稿日:2011/01/15(Sat) 05:45
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「橋のない川」を読む
対談 住井すゑ/福田雅子
壷井栄と壺井繁治の夫婦は、ある時期うまくいかない時期があった。
二十四の瞳で栄が有名になり、訪ねてくる客が栄の客ばかりだった。
繁治にとっても栄にとっても辛い時期だった。
住井すゑはだから夫が亡くなってから
橋のない川を書いたという。
家で病気で寝てばかりいた父親を子供たちが尊敬するようにと
住井すゑは夫に金の管理をさせた。
母はケチだ、父は何でもいうとおりに金をくれると娘れい子は思った。
「橋のない川」は、住井すゑが著作した小説。1部から7部まで刊行され、第8部は表題のみを残し作者が死去している。
橋のない川の意味
部落に橋がかかっていない、そこに橋をかける。
作者は、ベーリング海峡を考えた。あそこが陸続きだったら、アメリカ大陸もなく、シベリア大陸もない。世界はひとつであり、敵対関係は生まれなかった。ベーリング海峡に橋をかける小説を書くという考えがあった。ベーリング海峡ではあまりにもスケールが大きくなって、小説としてはまとまらない。そこで普通の川に架ける橋ということになった。
孝二が夢を見るシーン
シベリアのある岬に孝二がたたずみ、相対するアラスカの岬にまちえの姿がある。非常に幻想的なシーンとして描写されている。
住井すゑは、天皇がいるから被差別部落があると考える。天皇制は身分差別が必要なのだと考える。
「夜あけ朝あけ」の合評会にいくと、聞くに堪えないような悪口雑言並べて非難された。児童文学をやっていた一部の人たちが非難攻撃してきた。反動だといって。
ところが、レニングラード大学教授による「夜あけ朝あけ」の批評が新聞に出た。
「夜あけ朝あけ」ぐらい先見の明を持っている作品はない。人類の将来を見通した作品だ。これに並ぶ作品があれば教えを乞いたいものだ。
それに続く日本の農村を描いた短歌とか詩とかたくさんあるけれども、それはみんなこの思想の後を追ってるようなもんだっていうふうな意味あいで、先駆的である、先見の明に富んでいる作品だと批評された。
それが日本では、これくらい反動でくだらない作品はないと非難を受けたのだ。
これだけ非難されたらペンを折るだろうといわれたが、見ておれと彼女はドアを蹴って出て帰った。もうそのときは橋のない川の構想はきちんとできていた。
農地解放で自分の土地はもらったが、供出制度で食えないから長男は都会へ出稼ぎに出る。
住井すゑは、国家はいらないという。当然国旗も国歌も不要。
みんなまとめて一つの国になったら、軍隊は一種の国家警察になる。
戦争はない。
住井すゑは第七部で抑えておいて、第八部で盛り上げるという構想をいだいていた。
第七部はあんまり感動がなかったのはそのためだった。
しかし、作者は第八部をタイトルだけ書いて原稿を書かないうちに亡くなってしまった。
作者の考えでは沖縄戦に熊夫一人だけ生き残るというあらすじを考えていた。
それは隊長が「明日はアメリカ軍が攻めてくる。水筒の水を飲み回そう」と言いさらに「ここにエタはいないから安心して飲め」と言う。
その場にいた熊夫は「俺だけは末期の水は飲まない」と、隊長の差別に抗議して玉砕の部隊に入らない。
そしてただ一人生き残る。捕虜になり無事送還される。
そういった筋書きを考えていた。
作者は女学校時代、部落の資産家の娘が同級生だった。
裁縫の時間に、裁縫の着物をたたむとき一人ではたたみづらい。
だから二人でたたむのだが、部落から来ている娘には誰も手伝わなかった。
最初は傍観していた著者も、結局見かねて手伝う。そういう場面に先生は注意しなかったという。
あとで、その部落の娘の兄が役場の部落問題の係になっていて、この兄から部落問題の資料を貸してもらう。
木村京太郎の姉婿がシベリア出兵をしたとき、軍隊内で差別を受けたことを直接聞くことができた。
[No.16424]
今日は何の日・1月15日
投稿者:
投稿日:2011/01/15(Sat) 05:35
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みなさん、今日は
今日は何の日、1月15日
警視庁創設記念日
1874(明治7)年、東京警視庁(現在の警視庁)が創設された。
半襟の日
京都半衿風呂式和装卸協同組合が制定。
襟を正す正月であり、この日がかつて「成人の日」であったことから、和装に縁のあるこの日を記念日とした。
小正月,女正月
7日までの松の内を「大正月」と呼ぶのに対し、15日を「小正月」と言う。
松の内に忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、「女正月」という地方もある。
1899(明治32)年 雑誌『中央公論』創刊
1936(昭和11)年 日本がロンドン海軍軍縮会議からの脱退を通告
1939(昭和14)年 69連勝を続けて、3年間負けなしだった横綱双葉山が、前頭の安芸ノ海に敗れる
1971(昭和46)年 ナイル川上流にアスワン・ハイ・ダムが完成
1993(平成5)年 釧路沖地震(M7.8)。死者2人、負傷者967人
今日の誕生日の花:セントウソウ
花言葉:繊細な美しさ
今日の一句:松過の又も光陰矢の如く 高浜虚子
出典は今日は何の日、毎日が記念日
http://nnh.to/
及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
[No.16423]
上野玲:うつは薬では治らない
投稿者:男爵
投稿日:2011/01/14(Fri) 06:32
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上野玲:うつは薬では治らない
文春新書753
うつ病の薬を飲み続けて12年の著者
著者は環境因のうつ病を主張する。
出張続きで疲れた著者
本も読めない、テレビもうるさい、新聞も開きたくない、誰にも会いたくない、話したくない、眠っていたい。
原稿は当然書けない。
でも、人恋しい。自分だけ阻害されているような寂しさに涙が出た。
三日寝ているうちになんとか元気が出て、原稿も書けるようになった。
不眠や憂鬱が二週間以上続いたら、うつの治療をしましょう。
正常とうつ病の違いはない、そういう医者もいる。
休めばなおるといっても
世間には休めない人がいる。
派遣社員やフリーターが休めば仕事を失う。貧しくなって死んでしまう....
この著者はうつ病になって、原稿は書けなかったが、本を書くようにした。
これはあたって二十冊の本を書くことができた。いろいろチャレンジして状況をよくする方法もある。
もう余命のないがん患者に看護師は何をするか。何もしない。ただ黙って寄り添うだけ。それで患者は安心する。
うつもまた同じ。寄り添ってくれるだけでいい。励ましたり、一緒に泣いてくれなくてもよい。
いつも見守っているよ、と寄り添う気持ちが、うつの心を癒すのである。
「頑張ったね、でも少し休みましょう」はよい言葉
家族のやさしい無視はありがたい。
>みんなが慰めればいい。中には一人ぐらい慰めないのがいると、本人も何をという気になる。そのことが大切なんだと永六輔はやり返す
>「厚情必ずしも情ならず。薄情また情なり」(坂本龍馬)
医者から、うつだから何もしなくてよいとてわれて、社会人としてのつとめを全部放棄するのは、患者化と著者は呼ぶ。
40%でもいいから努力する。少しだけする。やれることから手をつける。
うつとの共存。
うつは個体因だけでなく、環境因とクロスしたとき発病する。
うつで稼ぐウソツキ文筆家の本?
[No.16422]
今日は何の日・1月14日
投稿者:
投稿日:2011/01/14(Fri) 05:36
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みなさん、今日は
今日は何の日、1月14日
愛と希望と勇気の日,タロとジロの日
1959(昭和34)年、南極に置き去りにされた南極観測隊の2匹のカラフト犬・タロとジロの生存が確認された。
1956(昭和31)年の秋、南極観測船「宗谷」で11人の隊員が東京港を出発。15頭のカラフト犬も犬ぞり隊として参加した。1958(昭和33)年、第2次越冬隊を送り込む為再び「宗谷」は南極に向かったが、厚い氷にはばまれて断念。11人の越冬隊員はヘリコプターで救出されたが、15頭のカラフト犬は救出することができず、鎖につないだまま氷原に置き去りにされた。翌1959(昭和34)年のこの日、ヘリコプターが2頭の生存を確認した。南極から打電されたこのニュースは、世界を愛と希望と勇気の感動で包んだ。
飾納
十四日年越し
小正月の前日に当るため、昔は年越しの日として祝っていた。
1959(昭和24)年 原子力研究所で国産初の原子炉を起工
1978(昭和53)年 伊豆大島近海地震(M7.0)。走行中のバスを落石が直撃するなど死者25人
1989(昭和64)年 国の行政機関の第2・第4土曜日閉庁を開始
今日の誕生日の花:ツバキ
花言葉:気取らない優美さ
今日の一句:赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐
出典は今日は何の日、毎日が記念日
http://nnh.to/
及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
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