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  • [No.15703] Re: 高田明和:年寄りの話はなぜ長いのか 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/02(Thu) 15:44
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     Toshichan  こんにちは

    >> 第二に、年をとるとちょっとしたことに年齢を感じ、これが老化のはじまりではないかと心配するようになる。

    >> こうして「俺も、若い者が気がつかない人生のコツを知っているのだ。これを伝えてやろう。きっと彼らに役立つ話なので、驚くぞ」などと思うようになる。
    >> つまり、自分が体験したことや考えていることをすべて伝えようとするのだ。

    >頭も体も弱ってきたが、まだまだ自分によいところも残っている。
    >そのよいところをなるべく他の若い人に伝えてあげよう、と親切心のつもりが、それは自己保身や自己主張なのだが、親切の押しつけや長い話になってしまう。

    こう書きましたが
    それは相対的なことなので
    人間の尊厳という意味では
    年をとっても、他の人に誇れることや自信をもって発言できることもあるのです。
    そういうことをまったく押さえて生きるのもストレスが溜まるので
    適宜外に出して、自信を失わないことも大切だと思います。
      やりすぎると、くどいことになりますが。

    おばあちゃんの知恵とか、本に書いていないが知っておくと便利なことなど
    知識の伝達は、本人にも相手にもよいことがあります。


    [No.15702] Re: 高田明和:年寄りの話はなぜ長いのか 投稿者:   投稿日:2010/09/02(Thu) 12:14
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     皆さん、まいど。

    > > 著者は浜松医大名誉教授
    >
    > 前書きが上手に本の内容をまとめているので、それを紹介しました。

    > > 第三は、自分が話していることをあまり覚えていないという記憶の問題である。
    > > 前頭葉の働きが年とともに衰えるために、話している途中で、「あれ、なにを話していたのかな」などと思い、少し考えないと、話していた内容やその筋道がわからなくなるのである。

    > これはある程度訓練すればひどくはならない。
    > 事前のメモをつくっておいて、それを見ながら話すのもよい。

     若い頃は、人前話すことがなかった。
     両親の葬儀などで、しゃべろうとしたら、忘れてしまってしゃべれない。
     メモは確かに有効ですよ。

                                    Toshichan in Kyouto-fu


    [No.15701] Re: 高田明和:年寄りの話はなぜ長いのか 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/02(Thu) 08:03
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    > 著者は浜松医大名誉教授

    前書きが上手に本の内容をまとめているので、それを紹介しました。

    > なぜ人は年をとったら話が長くなるのか。
    > それは脳の老化によるのだという。脳が老化すると、本人の自覚がなくなる。
    >
    > 第一に、年をとると時間が早く流れるようになる。

    なぜ、子どもの時間はゆっくり進んで、老人の時間は早く進むのか。
    これを学生に宿題にしたことがある。
    有力な回答としては、本人の経験に逆比例して時間が進むというものがあった。
    しかし、これは現象を説明したことにすぎない。
    どうしてそうなるのか。この本の著者の説によると、人間の脳の老化によるという生理学的な説明である。

    端的に言えば、年寄りはぼんやりしているので、時間が早いのである。
    一方若者はいつも脳が働いているから、その働きが関心のあることに向けられれば、時間は早くたつのであるが、そうでないおもしろくないこと、あるいは退屈でなにもすることがないことには耐えられないのである。

    若者は一時間のすべてに脳が働いているのに、年寄りは最初の五分間働き、その次の五分はぼんやり休んでいる、また次の五分は働くという具合になる。
    結局一時間のうち半分くらいしか意識していないことになる。
    事実眠っているときには時間の意識がないから、時間は早くすぎ、気がつくと朝だということになる。

    > 第二に、年をとるとちょっとしたことに年齢を感じ、これが老化のはじまりではないかと心配するようになる。

    > こうして「俺も、若い者が気がつかない人生のコツを知っているのだ。これを伝えてやろう。きっと彼らに役立つ話なので、驚くぞ」などと思うようになる。
    > つまり、自分が体験したことや考えていることをすべて伝えようとするのだ。

    頭も体も弱ってきたが、まだまだ自分によいところも残っている。
    そのよいところをなるべく他の若い人に伝えてあげよう、と親切心のつもりが、それは自己保身や自己主張なのだが、親切の押しつけや長い話になってしまう。
    (当然のことながら若い人は聞きたくない。くどいと思われる。だいいち価値観が違うのだ。押しつけと迷惑のスパイラル)

    > 第三は、自分が話していることをあまり覚えていないという記憶の問題である。
    > 前頭葉の働きが年とともに衰えるために、話している途中で、「あれ、なにを話していたのかな」などと思い、少し考えないと、話していた内容やその筋道がわからなくなるのである。

    これはある程度訓練すればひどくはならない。
    事前のメモをつくっておいて、それを見ながら話すのもよい。


    [No.15700] 高田明和:年寄りの話はなぜ長いのか 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/02(Thu) 07:41
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    著者は浜松医大名誉教授
    職業柄、卒業生の医師たちの結婚披露宴に出席することが多い。
    たいていは仲人は、新郎の出身の講座の教授がする。
    その講座の助教授は言う「教授の話は長いです」
    披露宴が終わって、帰りのタクシーで、その教授と一緒に帰ると
    タクシーの中で、教授は「私の先生は有名な医師だった。、若い時には短い祝辞をうまく話していたが、年をとったら話が非常に長くなった」と言った。
    そこで著者は気がついた。
    どんな立派な人でも年をとったら話が長くなり、意外と本人はそのことに気がついていないのである。

    なぜ人は年をとったら話が長くなるのか。
    それは脳の老化によるのだという。脳が老化すると、本人の自覚がなくなる。

    第一に、年をとると時間が早く流れるようになる。
    子どもの時は、一日がどんなに長く、どんなにやることが多かったろう。
    ところが年をとると、だんだん毎日が早くすぎるようになる。
    正月になったと思えば一月も終わりに近づく。
    そんなことを考えているうちにすぐ師走になるといった具合である。
    これは脳の働きに関係がある。

    第二に、年をとるとちょっとしたことに年齢を感じ、これが老化のはじまりではないかと心配するようになる。
    若いときなら何か大事なことを忘れても「なんてことをしたんだ。馬鹿だな、俺は」などと思うにすぎなかっただろう。
    しかし、年をとると、ちょっとしたもの忘れは老化と結びつける。これはぼけの始まりではないかと、自分の考えや体力などに自信を失うことが多くなってくる。
    すると他人のちょっとした行為、言葉に敏感になり、自分が無視されたり、嫌われたりしているのではないかと思うようになる。
    こうして「俺も、若い者が気がつかない人生のコツを知っているのだ。これを伝えてやろう。きっと彼らに役立つ話なので、驚くぞ」などと思うようになる。
    つまり、自分が体験したことや考えていることをすべて伝えようとするのだ。

    第三は、自分が話していることをあまり覚えていないという記憶の問題である。
    前頭葉の働きが年とともに衰えるために、話している途中で、「あれ、なにを話していたのかな」などと思い、少し考えないと、話していた内容やその筋道がわからなくなるのである。
      有名な某作家は某大学の記念講演会で、同じ話を何度もくりかえして、さきほど言ったことが本人には自覚がなかったようだと聴衆に知られてしまった。そういうことがあったということを家族から聞きました。

    このように脳の学者は、「年寄りの話はなぜ長いのか」というのは、脳が原因なのだと説明しています。


    [No.15699] 今日は何の日・9月2日 投稿者:   投稿日:2010/09/02(Thu) 05:33
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    みなさん、今日は
    今日は何の日、9月2日
    宝くじの日
    第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)宝くじ部が1967(昭和42)年に制定。「く(9)じ(2)」の語呂合せ。当選しても引き換えられず時効となってしまう宝くじが多いことから、時効防止のPRの為に制定された。はずれくじの敗者復活がある。

    ダイアナ靴の日
    銀座の婦人靴専門店「ダイアナ」が1992(平成4)年に制定。
    「く(9)つ(2)」の語呂合せ。

    1945(昭和20)年 アメリカの戦艦ミズーリ号上で、聯合国側代表マッカーサー元帥と日本政府代表重光葵外相が日本の降伏文書に調印

    1945(昭和20)年 ベトナム民主共和国が独立宣言。臨時政府主席にホー・チ・ミンが就任

    1982(昭和57)年 国鉄が宮崎県日向市で開発中の磁気浮上式リニアモーターカーが、世界初の有人走行に成功

    今日の誕生日の花:ミョウガ
    花言葉:忍耐
    今日の一句:つぎつぎと茗荷の花の出て白き    高野素十

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.15698] Re: おとなのための星の王子さま 投稿者:   投稿日:2010/09/01(Wed) 19:43
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     男爵さん、みなさん、

    > 小島俊明:おとなのための星の王子さま、筑摩書房

     あっしはその「星の王子さま」をいい加減にしか読んでいませんのでここに出てくる資格はありませんが、この箇所は王子様では大事なところのようですね。かれはapprivoiserということばを持ち出してきます。

     これはグーグルでも、仏→日のばあい「飼いならす☆」仏→英で「tame★」とでてきます。

     絆というのはキツネにいわせたことばで、その実、著者のことばです。

     仏和などをみると、この単語は、野生の動物だけでなく人間にも使われるようですね。どうしようもない大人とか子供をなんとか大人しくさせるという場合に使われるのでしょうね。いまさっき見つけたのですが、エロイサ・ジェイムスという女流作家に「The Taming of duke」とかいう題の本があることを知りました。ラルースs'apprivoiserの訳語としてto become more sociableを採用しています。

     また、時間がかかるといわれましたが、たとえば、よくヨーロッパの言語をやると、相手を呼ぶのに親称、敬称のふたつがあり、よほど親しくならないと親称は使えない、などとあります。たとえば、ドイツ語のDu,Sieなど。

     ☆ じつは飼いならされた、となっていましたが、これは不定法ですから当然「飼いならす」でなければいけません。(^_-)-☆

     ★ tameも to tameではないでしょうか。

    「おとなのための星の王子さま」は1995年刊行の本だそうですね。ということは、ノストラダムス・ブームを思い出すと、またまた違う解釈が現れる可能性があること。これは否定できません。

     たとえば、岩波の版権が切れた2005年には8種類の新訳が現れました、なにか異常!

     だいたい、王子と云う訳語自体にも紋題がありそうですね。有名なマキャベッリの「君主論」も、フランス訳ではLe Prince(もとはイタリアなのでIl Principeですが)となっています。

     大公と訳すのが適当だが、最初に訳した内藤濯が王子とやってしまったというひともあります。星の王子の「星」もオリジナルタイトルにはなし。なかには日本語題名を原題そのまま「プチ・プランス」としたものもあります。(川上勉・甘利美登利訳グラフ社刊。)

     それから、科学的不正確さについては、あれは子供大人をとわず、すべてのひとに向けて、と云うことにはなっていますが、やはりいちばん読んでいるのは子供たち*ではないでしょうか。

     ま、かれの大きな目的の一つは「教訓」をたれることであり、科学知識の普及ではなかったと、愚老は考えます。とすると、そこをあまりほじくってはと云う気もしてきます。(^_-)-☆

     そういうものならフランスでいえば、ジュール・ヴェルヌに求めたら、とも思います。

     ま、以上色々書きましたが、これはどうか、非科学的な紋爺の寝言とお聞き下さい。(^_-)-☆これは反論ではなく、ただの感想です。(^_-)-☆

     * 序文で、この本を「大人に捧げたい」と書きながら文末では「子供だったころの」レオン・ウェルトに」で結んでいます。


    [No.15697] おとなのための星の王子さま 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/01(Wed) 10:57
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    小島俊明:おとなのための星の王子さま、筑摩書房

    いちおう
    これを読むみなさまは
    内藤濯訳「星の王子さま」
    を読んでいるという前提で
    私のコメントを書きます。

    原著「星の王子さま」→小島俊明「おとなのための星の王子さま」→私のコメント

    子供のころサン・テグジュペリが読んだ本に
    「一匹の獣を飲みこもうとしているウワバミ」の説明がのっていた。
    それから、子供のサン・テグジュペリは帽子の絵を描いて大人に見せる。
    そして、大人にこわくないかと聞くと、大人はどうして帽子がこわいのかと逆に子供の彼に聞く。
    それから、サン・テグジュペリはおもむろにウワバミの腹の中にいる象を絵を描いて説明する。
     いま、私が気がついたのは、実際に蛇が飲み込むと、こんなふうにはならないのではないか。
     すなわち帽子の上の方の曲線の形はよいとしても、底辺の直線のラインは不自然ではないか、なにしろ象の足だけなのだから、何か凹凸の曲線となるはず。
     つまり、ツチノコ形となるのではないかと気がついたのです。
     もっと意地悪にいえば、サン・テグジュペリは本での知識だけで、本当の観察をしたのではない。
     子供は大人より細かいところを見ています。だから、蛇が獣を飲み込んだのを見て帽子のような形のものを見つけたり考えたりしたのではないでしょう。
      都会の子供が本で虫や動物のことを知っても、実物を見たことがないから、カブトムシが死んだら電池が切れたと錯覚するようなもの。そう思ったのでした。

    まあ、子供になったつもりのサン・テグジュペリが、やはりこの帽子の絵をニューヨークのあるレストランで見せて、その人が出版社の社長だったために、子供向けの本「星の王子さま」が生まれることになったわけですが。
    だから、この「星の王子さま」はフランスよりも先にアメリカで出版されたわけです。

    作者サン・テグジュペリは
    「星の王子さま」で
    かんじんなことは、目に見えないのだ
    ほんとうのものは目に見えないから
    どうしたら、目に見えないものが目に見えるようになるのであろうか
    というテーマを何度も繰り返します。

    王子さまは、大事な花のことを思い出します。
    その花は、しかし、ワガママのようです。まるで女のような印象です。
    男に対してつれないそぶりをみせる女のようです。そこには、サン・テグジュペリの思いが反映しているのでしょう。

    それから
    王子さまに「飼いならすとは」という言葉の意味を伝える狐が出てきます。
    狐のいう「飼いならす」とは「絆をつくる」ということです。
    飼いならすためには、手間ヒマをかけて、よい関係をつくることです。
    狐が「きみが午後4時に来るとすると、もう3時から嬉しくなりはじめる。時間がたつにつれ幸福感が増してくる。4時にはもうそわそわして、幸福の値打ちというものを発見するわけだ」と例をあげて説明してくれます。
     友情とか信頼関係が生まれるまでには時間がかかります。
     江戸の遊郭で、花魁とねんごろになるのには何度も通わないといけないというシステムも、この狐の飼いならし理論の実践だったかもしれません。
     もっとも、何度も通わせて金を使わせるという目的があったのも主な理由でしょうけど。

    こうして、王子さまと狐の間に絆が創られ、密接な結びつきができますが
    やがて、狐と別れます。
    狐は別れるとき、王子さまに言います。
    ものごとの本質は、目では見えない。 心で見ないと、ものごとはよく見えない。

    最後に、王子さまは毒蛇に噛まれて死にます。
    そうすることで、王子さまは自分の星へ帰っていくのです。
    ということで、この話は終わります。

    しかし、いったい死んだら自分の星へ帰るということはどういうことなのでしょう。
    死んで帰るところといえば、フランス人なら天国をさすのでしょうか。
    星の王子さまは、そもそも天国から来たのでしょうか。それなら、エンゼルだった?
    王子さまの話からすると、そこはわれわれの考えている天国とは違うようです。
    タイムマシンとか宇宙ロケットを使って、もといた星に戻るというのなら、まだわかるのですが
    私には蛇に噛まれて死んだ王子さまが、自分の星へ戻ることができたとは、全然信じられないのです。
    もっとも、それをいえば、王子さまの話に出てくる
    飲み助の星も、点灯夫のいる小さな星も、引力とか空気のことを考えたら不自然です。
    星から星へどうやって移動してきたのでしょうか。
    まったく説明不足です。
    サン・テグジュペリのつくり話だから、それはしようがないのですが。

    そもそもが、私には
    星の王子さまが自分の星に帰るために
    蛇に噛ませるという方法しかなかったのでしょうか。
    それが不思議で納得がいかないのでした。


    [No.15696] 9月・メロウ伝承館便り 投稿者:   投稿日:2010/09/01(Wed) 07:56
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     猛暑が終わらぬうちに、子供たちの夏休みは終わりました。
     さて、今月も、メロウ伝承館からのご報告とお願いです。


     1.8月の投稿から

       8月も、いろいろ意義深い投稿を頂戴しております。


      『実録・個人の昭和史』


       ・羽生の鍛冶屋

        先月からの「つづき」です。

        8月は、各地の刃物産業の現状」と、
        筆者ご自身の生涯学習体験をご投稿いただいています。
        
       ・疎開児童から21世紀への伝言

        こちらも、つづきです。

        学童疎開といえば「飢餓体験」と、みなさん、そうおっしゃいますし、
        私自身も当時、痛切なる空腹に悩まされました。

        ところが、今回、アップしましたなかに「三度三度 かたいご飯で」
        という記事があり、印象的でした。

      ・「私 の 三 菱」 古 谷 利 男

        戦前、いわゆる企業城下町で生まれ育った
        古谷さん(古谷さんご自身は三菱の社員のご家族ではないのですが)
        の思い出が生き生きと描かれています。

      ・乃木さんのしりとり俗謡

       レスをいただきました。


     2.一度、ぜひお読みください。

       これらの投稿は「メロウ伝承館」のトップページの下のほうの
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       すべての投稿をご覧いただくには左端「メニュー」から
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       登録などしていただかなくても、どなたでもご覧いただけます。


     3.掲載・転載させていただく記録を探しています

       全国各地で、それぞれ戦前・戦中・戦後の記録を保存しておられると思います。
       自分史、町内会報、社内報、地域のミニコミ紙などに掲載されたもの    
       ウェブサイト・ブログなどからの転載をお待ちしています。
       公開し、末永く保存させていただきます。


     どうぞ、今月も、メロウ伝承館をよろしくお願い申し上げます。


    [No.15695] 今日は何の日・9月1日 投稿者:   投稿日:2010/09/01(Wed) 05:37
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    みなさん、今日は
    今日は何の日、9月1日
    関東大震災記念日
    1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東大震災が発生した。
    マグニチュードは7.9で、家屋の全半壊25万戸以上、焼失家屋44万戸以上、津波による流失家屋868戸、死傷者20万人以上、行方不明者4万人以上という甚大な被害を齎した。ちょうど昼食準備の時間だったため、地震の後に大火災が発生し、被害がさらに大きくなった。

    防災の日
    伊勢湾台風が襲来した翌年の1960(昭和35)年に閣議決定。
    関東大震災の惨事を教訓として、防災意識を高める日。
    毎年、各地で防災訓練が行われる。

    防災用品点検の日
    防災アドバイザーの山村武彦氏が提唱。
    関東大震災の起きた9月1日のほか、3月1日・6月1日・12月1日の年4回。

    1891(明治24)年 日本鉄道・盛岡〜青森(現在の東北本線)が延伸開業。上野〜青森が全通。所要時間26時間25分

    1931(昭和6)年清水トンネルの開通により、上越線・水上〜越後湯沢が開業。上越線が全通

    1935(昭和10)年第1回芥川賞・直木賞発表。芥川賞は石川達三の『蒼氓』、直木賞は川口松太郎の『鶴八鶴次郎』など

    1939(昭和14)年 ポーランド電撃作戦。ドイツ軍が突然ポーランドに侵攻しポーランド軍を撃破。第二次世界大戦が勃発

    1951(昭和26)年 名古屋の中部日本放送と大阪の新日本放送(現在の毎日放送)が開局。日本初の民間放送

    1983(昭和58)年 大韓航空機墜落事件。サハリン上空で大韓航空機がソ連の戦闘機に撃墜され269人が消息不明

    2001(平成13)年 新宿・歌舞伎町の雑居ビルで火災。死者44人

    今日の誕生日の花:オシロイバナ
    花言葉:内気、柔和
    今日の一句:おしろいの花の紅白はねちがひ   富安風生

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.15693] 無名のころ 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/31(Tue) 08:41
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    > ガロの編集長に頼んでも、白土三平は人嫌いだから会えないと断られ

    銀行員をしながら、好きな漫画を描くのはやめられない。
    「現代相撲考・無敵」の原稿をガロの編集長に送ったところボツであった。
    何かしなくてはいられない彼は、銀行員の少ない夏休みをつかって上京する。
    そして、自分の作品のボツになった理由を聞きに行く。なかなか長井編集長はボツにした理由をいわない。
    せっかく東京まで来たのだから、あこがれの白土三平に会いたいから紹介してほしいと頼むが、これも断られる。
    人間嫌いだから、とても無理だというわけである。

    それでも、わざわざ秋田から出てきた矢口高雄がかわいそうだと思ったのか
    水木しげるに電話をかけて、水木とは会ってもらうことにした。
    さっそく水木しげるの仕事場に行き、自分の作品を見せたら
    「うまい、ホントにうまい」とほめられる。
    「でも、長井さんには下手だと言われました」というと
    「なにを言ってるんだ。ボクは絵描きだよ。その絵描きのボクがうまいと言ってるんだ。長井さんは絵描きじゃない。キミは、その長井さんとボクのどっちを信用するんだい」と嬉しい言葉を聞いて、矢口高雄は元気を取り戻す。

    水木しげるから丁寧に描くようにと具体的なアドバイスを受け、秋田に帰って
    次の作品に取りかかった。

    そうこうしているうちに、彼は近所でドラムを叩いて練習する高校生から
    漫画を描いている3人の高校生の友人がいて、彼らは高校を卒業したら東京のプロの漫画家のアシスタントになるという話を聞く。
    これを聞いて心穏やかでなくなった矢口は、その漫画家志望の高校生たちに会うことになった。
    佐藤貞雄、樋渡育夫、佐々木久の3人であった。彼らは大阪劇画の佐藤まさあきの工房に入った。
    (増田町のまんが美術館にこの3人の原画があったようだ)

    彼が描き上げた「長持唄考」はとうとうガロに掲載された。
    それは二九歳の春だった。
    その年の夏に、彼はまた上京してガロ編集長の所に行く。
    第二作「ひとつねた」は出稼ぎの父の帰りをまちわびる幼い兄妹の話だったが
    即採用された。
    そして、白土三平に会いたいとまた紹介を依頼するが、長井編集長はいい顔をしない。
    だが、矢口高雄は手を打っていた。
    池内誠一という新人漫画家の絵が白土三平に似ていたから、もしかしたらア白土三平のアシスタントではないかと思ってファンレターを出したのだ。
    やはり、かれの推理は当たっていて、白土三平のアシスタントだった池内誠一を頼って、念願の白土三平と会うことができた。


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