疎開児童から21世紀への伝言
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投稿日時 2010/4/20 9:43
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
はじめに
スタッフより
「疎開児童から21世紀への伝言」よりの転載です。
なお、転載につきましては、疎開問題研究会 事務局長 小柴俊雄様 の了解を得ております。
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文集 疎開学童から飢世紀への伝言 目次
刊行に寄せて----------------------------------------代表世話人・ゆりはじめ
幸せとは--------------------------------------------藤原 里子
心の痕-「いじめ」・レクイエム「ある少女の面影」-------------青木平衛
仮想ブログ「太郎伝説]---------------------------------清野登代松
『横浜市の学童疎開』と超満員の被爆体験講演会------------鈴木 昭三
戦争の恐怖二題--------------------------------------菊地 章
六十三年も前のことなのだけれど-------------------------植田 総子
集団疎開での主な出来事-------------------------------吉岡 重昭
疎開地で出会い黙って消えた戦傷病兵に思う----------------野本 洋
ジオラマ外箱作り--------------------------------------田中 米昭
疎開・空襲・空腹を乗り越えて----------------------------大石 俊雄
挽歌-----------------------------------------------大類 幸恵
心のささえ-------------------------------------------井関芙美代
疎開問題あれこれ-------------------------------------滝口 康雄
横浜大空襲------------------------------------------鈴木 知明
「語り部」を通して--------------------------------------川田 敦子
戦史と疎開問題研究会の感慨----------------------------元木 恒雄
戦争への思い-日中戦争で父を亡くして--------------------佐藤 輝子
友との絆---------------------------------------------福原 弘子
ジオラマ始末記----------------------------------------山添 孝子
疎開地での回想と近頃思うこと----------------------------関口 昌弘
疎開残留組の全体像-----------------------------------宮原 昭夫
途中退場の君へ---------------------------------------ゆりはじめ
奈良屋の思い出---------------------------------------伊波新之助
戦争が残したもの--------------------------------------小堀 初枝
葛野重雄氏旧蔵資料のことなど---------------------------小柴 俊雄
昭和二十年疎開地図こぼればなし-------------------------磯貝 真子
小さな履歴書------------------------------------------大石 規子
あとがき…………………………………………………………ゆりはじめ
小柴 俊雄
大石 規子
挿絵…………………………………………………………岡本 陽
疎開問題研究会・十五周年
記念文集刊行に寄せて
ゆりはじめ (老松校)
まずは十五周年の記念催事が盛会のうちに無事終わることができて、まことにおめでとうございました。それぞれのパートで尽力してくださり、おかげさまで多くの市民の皆さんの来場を得て、ジャーナリズムの反響もまずまずの事でありました。
戦後六十年を超える歳月がながれている平和な杜会で、われわれの活動が極めて特徴的なものであることは言うまでもありません。市民活動を通じて戦争の悲惨さと平和の大切さを、しかも長い間真剣にヴォランティアとして訴え続けて来たことが、市民の皆さんに理解されていると実感したことでありました。
思えば十五年間は長い時間の蓄積でありました。過ぎてしまえばそうは感じないがその時々で、一つの目的のために仲間が集中して過ごす時間は、生涯のなかでも鮮明に残るものであることは ご存じの通りです。この十五年は世代的に同一の世話人の皆さんと一緒に「学童疎開」の事実を共通の意識に持ちつつ、横浜市中央図書館、神奈川県地球プラザ、そして有隣堂ギャラリーでの例年の催しや、教育委員会とタイアップした『横浜市の学童疎開』の刊行、各地での講演、小学校での「語りべ」の活動と、次々に足跡を刻んできたということが出来ましよう。それが結果的には戦後の時間に連続している平和の大切さをアピールしている事になっていて、市民の皆さんの共感を呼んでいるのでしょう。
思い起こすと一九九三(平成五)年の確か四月二目の土曜日であったと思います。話は山手のスィドモア桜の会で世話人となる小柴俊雄氏・神里公氏と、私ゆりはじめが同じテーブルに着いたことから始まりました。それ以前に多少の知り合いではあったが、疎開の会の立ち上げを意識したのはその時が最初で、そのころは「いつか疎開の会をやろうね」と語り合っていた程度でしたが。
要するに一九九三年の春のその会合は天啓であったのです。手探りで船出した「横浜疎開丸」は財政の裏付け、組織の確立と拡充、関係自治体への呼びかけなどなどの行動に移りました。その間の充実感と実現の過程は、次第に増加する世話人たちに、皆が戦後ずっと待ち望んで久しかったのは「学童疎開」探究ということだったのだということが改めて実感できるのでした。一九九五年が疎開五十周年。そこに焦点を合わせての一年余りの時間でした。
催事が終わって難物の『横浜市の学童疎開』の刊行。市の理解のある態度で予算がほぼ希望どおりについた時には歓喜でした。そして教育委員会の橋渡しを買って出てくれた梶田さんにはまことに感謝に耐えない。印象的なのはその出版記念会を市長公舎の広間で催し、市長自らも出席をしてくれたことが誇らしい。他の自治体では決して出来ない心の交流までも実現したことを忘れてはならないだろう。そして十年後、想定外の「ヨコハマ遊大賞」 の受賞という栄誉が訪れた。
一区切りが終りました。いずれにせよ、それぞれの人生の後半の時間帯に出会い、力を合わせて疎開の体験を歴史に刻んだということを共有して、今後も元気で過ごして行きたいと考えます。ご協力たまわった関係機関の皆様やその都度の寄付金に応じてくださった方々、そして会員、世話人の皆さん各局面で御協力下さって心から
の感謝を申し上げます。