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疎開児童から21世紀への伝言 37

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通常 疎開児童から21世紀への伝言 37

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/8/11 8:27
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 疎開地での回想と近頃思うこと
    ー疎開地を訪ねて- その・3

 関口昌弘 (西潮田校)


 知られざる存在

 疎開児受け人前の清水村の人口は、二〇〇〇人に満たなかったが、翌二十年度には二五四四人に急増した。

 西潮田校の職員と疎開児の人員増を、大きく超える増加であり、その増加数は三二〇人以上の転籍があったことになる。一体どんな人が増えたのか。戦局が混迷を深めるなか、飛行機に使う燃料の不足をきたし、特攻機も飛べなくなるほどだったという。それを補完するための窮余の一策として、松根油生産の大号令がかかり、「陸軍松根油部隊」が編成され、各地に部隊が配属された。清水村にも軍人・軍属が駐屯し、学徒動員の学生らが加わって、「松根油乾留」作業のため、多くの人が集団で移住してきたのだと思われる。

 松根油乾留の作業は、多くの人力を要し一連の作業は、大変な重労働だったと言われ、その作業のためには大量の米が必要だが、絶対量が足りない。その不足を補うために、軍の関与による合宿児に配給用の米を、転用したふしが見られた。ラフな米の減量と引き換えに、軍馬に給餌する馬糧用の高梁、粒々の硬い小麦等と大豆粕、軍用の硬干し沢庵等にすり替え、僅かな米の増量材として合宿児に供給された。子供にとって粗悪な材料の混ぜご飯ばかりでは消化し切れず、合宿児たちは、しばしば下痢に悩まされていた。

 そこは静岡県との県境にも近い神奈川県のどん詰り、その先は獣が跋扈する秘境であり、大人のエゴで何をやっても、中央には分からない。合宿児たちは、この秘境の狭間に押し込められたような弱い、無力な存在であった。粗悪な食事、不潔な住環境、逃げ場のない内部のイジメ等々、運命を分けた合宿児と各戸分宿児とは、どれをとってもその処遇には、天と地ほどの違いを感じ、大人たちへの不信感を日ごとに深めていった。疎開後の調査は、当時の各戸分宿児の生活は概ね良好との評で総括したが、それと裏腹に合宿児は他のどこの集団疎開よりも、酷いものがあったことも追記しなければならない。

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