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疎開児童から21世紀への伝言 51

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通常 疎開児童から21世紀への伝言 51

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/8/31 7:47
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 昭和二十年疎開地図こぼればなし 4
 磯貝真子(東京日本女子大付属校)

 二十年四月二十四日、帝国ホテルでは志賀直哉の三女満亀子と柳宗悦の次男宗玄の結婚披露宴が行なわれた。実は十九年三月五日以降、ホテルでは泊り客以外に食事が出せなくなり、これまでのような結婚披露宴はできなくなっていたが、食糧を両家が持ち込み、ホテルが調理して供する事は可能だった。

 この日午前八時半に空襲警報が鳴った。一時間あまりで解除になったが仲人の梅原龍三郎は疎開先の伊豆大仁から上京できず、東京にいる者だけ十五人での披露宴となった。志賀家の食糧調達を依頼されたのは熱海に疎開していた広津和郎で、彼はさっそく食糧調達名人の宇野千代のルートで肉を一貫目入手する手はずを整えた。卵は近所の養鶏場を手配していた。しかし朝の空襲で熱海との交通が途絶し、肉が届かないので志賀家としては大弱りだった。柳家の食糧はホテル側の手で何とか間に合い胸をなでおろした。お酒もフランス大使からもらったシェリー酒や日本酒一升、ビールなど。デザートは志賀家、柳家の女性たちが作った和菓子やフルーツポンチ、ドイツ風のケーキなども出された。「近頃での豪華版だった。‥ ‥こういう結婚式を親達の身とすれば全然気が張らず大変いいと思った」と志賀は結婚式に出席できなかった娘に書き送っている。

 世田谷区新町に住んでいた志賀は、このあたりは絶対安全だとつねづね自慢していたが、軽井沢に別荘を持っていたので、いざとなれば疎開は軽井沢を考えていた。実は十七年に米英の資産凍結で没収された別荘が安く売られるということで、十月にアメリカ大使館員の別荘を家具、食器類すべて付いて三万円という安値で入手していたのである。しかし十九年末になると軽井沢の食糧不足と物価高の情報が耳に入ってくる。

 世田谷で卵一個七十銭、高くても一円五十銭なのに五円もするという。志賀も知人と会えば栗ぜんざいやシュークリーム、鰻の蒲焼など今は無い食べ物の話に花が咲いた。配給以外の余分な食糧は育ち盛りの娘達に食べさせるようにしていたが、六十二歳の老人にはこたえる。足元が怪しくなり、頭がのべつぼんやりし、涙もろくなったと嘆いた。

 一方別荘の値段は急上昇し、今なら十万円で売れると言うではないか。さつそく友人武者小路実篤の兄で元ドイツ大使もした武者小路公共に九万五千円で売却してしまった。これで娘の結婚の費用はもとより、戦時下に執筆がままならない志賀にとって大きな安心であっただろう。時局は悪化の一途をたどり、焼け出された親戚ノ知人は十人を越した。志賀も長野県に疎開している数人の知人に疎開先探しを依頼していたが、もうこの時期はどこも一杯でなかなか見つからなかった。

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