疎開児童から21世紀への伝言 12
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『横浜市の学童疎開』と超満員の被爆体験講演会 その2
鈴木昭三 (戸部校)
◇
予想を超えた聴衆が集まる
二〇〇二年八月十五日に本郷台の地球市民かながわプラザで行った、関千枝子さんの原爆の被爆体験講演会は四百人を超える聴衆が集まり、今さらながら日本国民の原爆に対する関心の深さを思い知らされた。
この企画は、疎開問題研究会の世話人会で「今年は従来の単なる催しと違って、敗戦にまつわる講演会を催そう」ということになり、数人の講師の名が挙がった。関さんはそのうちの一人で、幸いにも私の妻の友人であった。その被爆体験を綴った「広島第二県女二年西組」(ちくま文庫)という名著がある。すぐに妻を通じて講演の依頼をし、快諾を得た。
準備のため、地球市民かながわプラザ側と協議に入り、「五十~六十人程度の聴衆が集まる」と予想した。ところが、当日が近づくにつれ、同プラザに問い合わせの電話が次第に増え、当初の予想より多くの人々が来ることがわかった。そこで、会場を八十人収容の大会議室に変更した。
そして当日。さらに多くの人たちが続々とやってくるではないか。急速、二百人が収容できる大ホールへと会場を再度変更した。
定刻になると子供連れの若いお母さんたちをはじめ、沢山の人たちが行列を作り、ホールは瞬く間に満員となった。補助席を出してもまだホールに入りきれない人たちが出てしまった。
「これ以上、ホールに入ると消防法違反になりますから」とプラザ側は無情にもホールのドアを閉めたが、プラザの係員がいなくなるのを見計らい、残っていた五十~六十人の人たちをそっと入れ、階段のところに坐ってもらった。ざっと四百人を超えただろうか。
大盛況のカゲにこんな苦労も
講演は会報(第十号、二〇〇二年十月発行)でも報告した通り大成功だったが、なぜこんなに聴衆が集まったのだろうか。もちろん、世界唯一の被爆国の日本の国民として、原爆に強い関心があることが一番の理由であるが、もう一つ大きな理由があった。
それは、伊波新之助が事前に各新聞社の横浜支局をはじめ神奈川新聞社を回り、関さんの著書『広島第二県女二年西組』を配って、この講演会を記事にしてくれるように頼んだことであった。各新聞ともこの催しを大きく取り上げ、それが市民の関心を引き、四百人を超す聴衆となったのである。
また、会場で「当時の食糧事情を体験してもらおう」と、安田義乃らが作った「蒸しパン」を配ったのも好評で、はじめ百五十個用意したが、予想を上回る来場に三百八十個に増やしたものの、それでも足りないという嬉しい悲鳴もあった。
実をいうと、この講演会の前、関さんは高齢などを理由に被爆体験を語ることを止めようかと考えていたという。しかし、この講演会で「まだこれだけの人が聞きに来てくれるんだ」と実感、これからも続けていくことにした、という話を後で聞き、私たちの企画と苦労も無駄ではなかったと感じた。
このように大盛況裡に終わり、数々の収穫もあった講演会であったが、私にはまだ「仕事」が残っていた。それは、約二時間に及ぶ講演のテープを起こし、会報の記事にすることであった。テープ起こしは約=週間続いた。久しぶりの作業なので疲れ果てた。しかし、満足感のある心地よい疲れであった。