疎開児童から21世紀への伝言 11
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『横浜市の学童疎開』と超満員の被爆体験講演会 その1
鈴木昭三 (戸部校)
早いもので『横浜市の学童疎開』を刊行してから、十有余年が経つ。この間、疎開問題研究会(前身「横浜市の学童疎開五十周年を記念する会」) のこれまでの活動で、特筆すべきものを挙げると、この本の刊行をはじめ、一九九四年十月から約一か月間、横浜市中央図書館で催した「横浜市の学童疎開展」の他、東京・九段の昭和館に寄贈され、現在常設展示している、二〇〇四年八月に催した集団疎開を再現したジオラマの展示、また二〇〇六年九月に疎開関係の図書・資料百点以上を横浜市中央図書館に寄贈したこと、さらに二〇〇二年八月に横浜・本郷台の地球市民かながわプラザで行った、広島原爆の被爆者である関千枝子さん(ジャーナリスト) の講演に超満員の四百人を超す市民が集まったことなどが数えられる。
このうち、私が深く関係した『横浜市の学童疎開』の刊行の舞台裏と、大成功だった関千枝子さんの講演の裏話について述べておきたい。(以下、文中の会員名は敬称略)
全校から疎開体験記を集める
「横浜市の学童疎開」を作るにあたって、会では編集委員会を立ち上げた。数々の紆余曲折があったが、編集委員のうち、大石規子、小柴俊雄、鈴木昭三、山口章(ゆりはじめ)の四人が、月一回の横浜市教育委員会との編集委員会に出席、本の企画、内容などを論議した。その結果、第一部を資料編(小柴担当)、第二部を疎開学童の体験記(鈴木担当)、第三部を学童疎開関連の研究・作品(ゆり・大石担当)、第四部を「横浜市の学童疎開展」 の特集、とすることになった。
私が担当した体験記は、原稿集めが難航した。当時横浜市で学童疎開を実施した小学校は、公私立合わせて七十七校。その全校から手記を集めることが大原則。当初は原稿がなかなか集まらず、総会を数回開いて各校関係者に手記を寄せるよう呼びかけを行った。一九九五年十月が締め切りだったが、再度締め切りを延長して年末までに計三百二十六編の体験記が寄せられた。他に磯貝真子の奔走で、横浜市立ろう学校、横浜訓盲院、中華学校の体験記も届けられた。
みんなで編集作業を
「会員みんなで編集、校正する」を原則として、毎週土曜日に二十人-三十人の会員有志が関内駅前の横浜市教育文化センターの一室に集まり、編集作業がはじまった。
作業をはじめて気がついた。編集に経験があるのは私一人。他全員は主婦、会社員などで、オール初心者なのである。そこで、私がコーチ役となり、「原稿を編集するときは青鉛筆か青のボールペンで、校正をするときは赤鉛筆か赤のボールペンで」という初歩からコーチし、こうして「みんなによる編集」がはじまった。
編集作業は約四か月続いた。実は「みんなで編集」は、私に二重苦、三重苦の苦労を強いたのである。というのは、全員が素人。どうしても直し洩れ、校正ミスが出る。このため、私の許に集まった 「編集ズミ」「校正ズミ」の原稿に全部目を通してチェックしなければならないのである。私が三百編を超す体験記の原稿を読んだ回数は五回を数えた。
こうして『横浜市の学童疎開』は出来上がった。でも、刊行後の一九九六年十月に横浜市長公舎で刊行記念祝賀会が開かれたさい、数人の会員から「私たちが作った本なのよねえ」という声を聞いたとき、私の人知れぬ編集作業での苦労は消し飛んだ。「やっぱり『みんなで編集』は間違ってなかった」のである。
刊行を支えた地味な仕事
ここでどうしても記しておきたいことがある。それは、体験記の原稿が届けられる「ポスト」役を担当した小山三郎の「縁の下の力持ち」的な作業である。小山は届けられた原稿を全部コピーし、正副の原稿を作った。それを学校名を記した大封筒に入れ、体験記を書いた人の氏名の一覧表を封筒の表に貼った。高校の校長という激職の傍ら、黙々とこの作業を続け、三百二十六編の原稿は整然として私たちの手元に届いたのである。編集した原稿はすべてコピーした方で、正の原稿は貴重な疎開関係資料として、現在、本郷台の地球市民かながわプラザの資料室に寄託している。小山の地味な作業がなければ、本の刊行も、原稿の寄託も実現しなかったといっても過言ではない。
もう一つ。各校の体験記の冒頭に置かれた、その学校の疎開の概要と校章、疎開に関する写真などの資料集めをしてくれた磯貝真子、ページの余白を埋めたコラムを書いた伊波新之助、イラストの岡本陽も、蔭で編集を支えた会員として挙げておきたい。