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疎開児童から21世紀への伝言 27

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通常 疎開児童から21世紀への伝言 27

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/7/20 9:19
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 横浜大空襲 1

 鈴木知明(寿校)

 五月晴れとは言えないが、快い緑の風は、今日のこの日に地獄のような悲劇が訪れるとは凡そ考えられない静けさで町並みにそよ吹いていた。

 それは、昭和二十年(一九四五年)五月二十九日のことであった。わたしが十二歳。三中に入学したばかりの私は、いつものように先輩に敬礼をしながら足早に、学校への坂を登りつめ、新緑の滴る大木に覆われた校門を通って教室に入った。その時けたたましいサイレンが鳴り響いた。「警戒警報」 であった。学校側は、すぐ全生徒に退校を命じ、「解除になったら再登校するように」と指令を出した。

 その朝、我が家には、足の悪い祖母、出勤前の父、母、国民学校に通う八歳の弟、五歳の下の妹がおり、疎開中の妹はまだ箱根に、兄は動員で日産工場に行って不在であった。

 「東部軍管区情報、敵B二十九数目標は、駿河湾より本土に侵入、富士山に向け、北上中なり。関東地区警戒警報発令。」 父はその時、町内の警防団員の一人として、近くに集合していたので、家には居なかったが、母は妹を相手に、空襲の時は決まって用意する非常持ち出しの下げカバンと防空頭巾を手元に、ラジオからの情報を聞いていた。「東部軍管区情報、駿河湾より侵入せる敵B二十九数目標は、富士山にて進路を東に変じ、関東地区に侵入しつつあり、繰り返します。関東地区空襲警報発令。」私はゲートルをはずす手を止めた時、異常な騒音を耳にした。あの重く、鈍いエンジンの音は、知らず知らず私の耳に残っていたのであるが、今、耳にしたあの騒音は、正にその音であった。空襲警報が発令され、サイレンが鳴るか鳴らないうちに、耳にしたのは、B二十九の編隊の爆音であった。うす曇りの空に、ちょうどピラミッド型に、先頭を三角形の頂点として、西の空に、広がっている豆粒のような銀色の点の数数を見た。正に大編隊であった。

 母が用意した非常持ち出しのカバンを肩にかけ、今一度、表に出た。今度は今まで聞いたことの無い金属音が、ザーザーと雨音の如く耳に入った。無数の細い線が、篠突く雨の如く、降って来た。焼夷弾が天から降って来る音だったのである。落ちた焼夷弾は、その細長い六角形の筒の口から、青い炎をあげ、次の瞬間その炎は火の玉となって外に飛び散った。ドロリとした粘液は、所構わず付し、その場で大きな炎と変わって行った。消火にあたっていた父が、土間に駆け込んできた。道路のアスファルトは、赤い炎の洗礼を受け始めていた。

 母は五歳の妹を背負っていたので弟を手にし、防空頭巾に身をかためて、土間に降りた。「知ちゃんは、お母さんと一緒に四人で逃げるんだ。お父さんは、お婆ちゃんを助けるから‥・」。父は身体が華著であったし、祖母は歩行が不能であったので、父が助けると言う事は、一緒に走って逃げるのではなく、お婆ちゃんを背負って逃げる事を意味した。今、私が男で一番上だ。母弟妹を早く安全な場所に連れ出さなければ、一家は全滅だ。我々は、黒い煙で昼間というのに夜のように暗くなった表通りに出た。狭くても楽しい我が家であった。今、その我が家が紅蓮の炎の中にある。全ての幼児期の思い出は、真っ赤な炎の中に、メラメラと音を立てて燃え始めていた。

 我々は、本能的に海の方に向かって、炎に覆われた道を走り始めた。真っ赤な炎に包まれた左右の家々が、灯りとなって、夜のように暗くなった道を照らした。一面、火の海のような道を、道端の防火用水の水に、全身を浸しながら、火の粉を吹き散らす突風に巻き込まれながら、お互いに手に手を取って走った。正に天に任すとはこのこと、只ひたすら海の方に向かって走った。港橋を渡る頃には、真夜中のように真っ暗になり、時折渦巻く突風は、火の粉と共に我々を襲い、衣服に付いて燃え始めた。水を被る。港橋を渡って、花園橋方面に向かうと、左手に横浜公園野球場があり、その一階にある元武道練習場だった厩舎の中で、炎に包まれた数頭の馬が、仁王立ちになって燃えている。炎の風の音、燃える音、周囲には人影もなく、我々だけが逃げているような不気味さを感じた。花園橋の交差点を渡ると、左手に「ウインクレール商会」 のビルがあり、既に火の入ったビルの大きな窓からは、夜目にも鮮やかに、炎が天に向かって音を立てて昇っていた。丁度その時、更に空から焼夷弾が雨の如く降って来た。我々は、一瞬すぐ脇の倉庫の深い軒先に身を隠した。幸にも、直撃弾は受けなかったが、飛び散った油脂は、遠慮なく我々の身体をかすめて倉庫の壁に火をつけた。倉庫の軒先を出てからも、乾いた身体に水を掛け合い、お互いに励まし合いながら、無意識のうちに足は南京町(中華街)の方に向いていた。突如、前方から我々の方向に、布団を頭から被って逃げて来る人達がいた。「南京町から山下公園まで行けますか?」と大声で尋ねてみた。「とんでもない。南京町は火の海。山下公園なんて行けたもんじゃない。南京町から逃げて来たんだヨ。」 「万事休す。」

 炎の風はますます激しく、進退きわまり、どちらに向かったものか迷ったのである。「もうこれ以上逃げられないヨ。だけどこんな所で焼け死んだら、誰が誰だか分からないよ。どうせ死ぬなら、皆の死体が分るところに行こうヨ。」どこか良い場所はないだろうか?いっそ死んだつもりで…。足は熱風に追われるように、角を曲がって左に走っていた。すぐそこに横浜公園がある。あそこなら、死んでも身元がわかるだろう。

 公園の樹木は、外側から襲われる火の粉と熱風で、バリバリ音を立てて、煉っていた。公園に入ると、その広さと多くの樹木は、この大火災の中でホツとする空間を作っていた。

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