疎開児童から21世紀への伝言 34
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編集者
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ジオラマ始末記
山添孝子(保土ヶ谷校)
戦争の悲惨さはそれぞれに伝えられているが集団疎開という特異な経験は昭和十九年当時小学三、四、五、六年生のみのことである。
私共 横浜の疎開経験者の集まり 疎開問題研究会では この貴重な体験を後世に伝へたいと 集団疎開五十周年を期に 色々な運動を行ってきた。
始めの何年かは 皆でアイデアを考えては何とか続けてきたが 十年を過ぎると 何となく同じ事の繰り返しになってしまう。
平成十六年の展示会では 江戸東京博物館で 江戸時代の日本橋の様子を目にした磯貝さんのアイデアで 学童疎開をジオラマで再現したらどうだろうという事になった。先の事はあまり考えなかった私共にとって これは結構大変な事ではないかと気が付いたのは 出発から敗戦 帰宅迄の場面が 幾つかになり この大きなものを作る場所を先ず探さなければならない事だった。これは幸い 岡本さんの尽力で三ッ沢の今井さんが好意的に作業場を貸して下さった。ただし条件は八月末迄との事。
それからの約半年我々の三ッ沢通いが始まった。先ず設計は岡本さん それにそって材料の調達が始まった。と言っても買うものは最低限 ほとんどのものが持ち寄りばかり 先ず人形は紙粘土 洋服 植木薬草等は懐紙を絵の具で染める。これは女性たちに未使用の懐紙、勿論古くなったのでもなんでも持ってきてもらった。松 杉等の葉は染めた紙を十五センチに切って針金を張り言リの切り込みを入れる。これがとても根気のいる仕事。安田さん大類さん大石さん藤原さん井関さん小堀さん磯貝さん他 それでも間に合わなくて木村氏渡辺氏他にも応援を頼んだと思う。欅 銀杏等は葉の形を一枚ずつ切った。洋服は上着 ズボン スカート それに帽子 日傘 めがね それぞれ場面に合わせて様子がわかってくると多勢集まればなんとやら で思いがけないもので色々なものが出来た。はじめは人形がなかなか上手に出来ない。しかし失敗したからと壊してしまうのは可哀想という事で 出発風景の電車の中にみな乗せてあげた。縁故疎開の場面では勉強部屋がたりないと設計図には無い部屋がいつのまにか増築され 設計者の岡本氏が目をパチクリ 神棚も出来たし 玄関には出征兵士の家という張り紙が張られていた。ドイツ兵のパーティでは小堀さんの作ったアコーデオンやギターが光っていた。ドイツ兵やローストビーフは磯貝さん 素敵な椅子は青木氏 外は雪 箱根はそんなに雪は降らない いやあの時は大雪だった で雪の量が増えたり減ったり。柿の木には烏が止まり お寺の墓には卒塔婆がちゃんとある これもなんと青木氏の労作。疎開先の勉強 入浴 面会 家出等の各風景 次から次へと当時を思い浮かべてアイデアも積み重なっていく。焼け跡のトタンは木村氏 これは誰もが本物そっくりと感心した。山や庭の土はコーヒーかす 我々だけでは足りなくて 作業場近くの喫茶店に頼んで集めた。使用済みの発泡スチロールやダンボール ストロー 割り箸一回分のコーヒーミルクの入れ物等 欲しがりません勝つまでは の時代に育った我々は何かを何とか利用することは得意なのかもしれない。
仕事場はまるでゴミ置き場になった。小柴 武石 野本各氏の差し入れは疲れ果てた作業場の雰囲気を何とも和ませてくれた。
展示会は好評で無事終了。ところが次の難題が控えていた。八月中に作業場を空けなければならない。一メートル×二メートルくらいの十場面のジオラマの保管先を探すことだ。出来れば横浜か せめて神奈川県内という事で探し回った。一箇所預かってくれるところがあったが倉庫に保管するだけとの事だった。致し方なく我々でお別れ会をして後全部壊してしまおうと そんな相談まで始めたときだった。偶々東京九段から展示会を見に来て下さった昭和館学芸員の渡辺さんのお骨折りで全場面引き取って下さる事になった。この交渉をしたのは青木さんと私 昭和館へお願いに行き OKの返事を貰い まして全場面を一度には無理だが常設展示したいとの言葉にすっかり嬉しくなり帰りに二人だけでコーヒーで乾杯をしたのを思い出す。
それからが又一仕事有った。場面の大小を均等にして昭和館で展示しやすいように直すのは 岡本 木村 田中他各氏 それに磯貝さん 私他都合のつく何人かでほとんど連日九段通いが続いた。
今でも時折 あのジオラマが横浜にあったらとの声をきくことがあるが あの切羽詰ったときを思うと 四年たった今でも 立派な専用ケースを作り一場面ずつ順番に 入り口のところに常設展示をして 大事に保管してくださっている昭和館に心から感謝し幸せをかみしめている。