疎開児童から21世紀への伝言 43
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奈良屋の思い出 2
伊波新之助(間門校)
三度三度 かたいご飯で
温泉旅館だからもちろん毎日温泉への入浴がありました。箱根で一番の立派な旅館ですから、けちけちした今風の循環式などではなく、余ったお湯は流してしまう掛け流し式です。そのうえ、あの太平洋戦争の最中に、疎開先で一度もお粥や薄い雑炊を食べたことがないと言ったら、皆さんに疑われるかもしれません。
現実に、六年生の男児が食事についてこう書いています。
「つらかったことと言えば食糧が十分ではなかったことです。食事はボウルに軽く盛られた蒜の麦飯とわずかなおかずだけでした」
でも僕が戦後比べてみたところだと、ボウルは普通のご飯茶碗よりずっと大きく、井に近い内容量でした。しかもご飯は決して「ふんわりと軽く」ではなく、しっかりとよそってくれたと思います。
当時の六年生女子は「食事は、女の子はなんとか足りましたが男の子たちは足りなかったと思います」と書き、五年生女子は「食事は満ち足りていました。ひもじかったという話は男の子たちのことだったと思います。大好きなブリ、サケ缶などは横浜では食べられないと感謝し‥…・」と書いています。
女の子や低学年の男の子にとってはまず十分だったのではないでしょうか。その証拠に汚い話で恐縮ですが、僕の同級生の中には食べ過ぎて、部屋に帰ってから戻したり、反芻する子が結構いました。昭和二十年になって疎開してきた新しい三年生の中には食事の終わり頃になって「食べられません」と先生に申告して残す子さえいました。
おかずだって、「これはひどい」と思ったことはほとんどありません。輪切りにして茄でた大根にタレ味噌をかけただけの「風呂吹き大根」にはさすがに不満を感じておふくろに後日訴えたものです。これだって一年もの間に数えるほどしか出たことはなく、サケ缶とタマネギ、ブリの切り身、白いアスパラガスなど、戦時中なのに相当に贅沢なご馳走だったと思います。
うずら豆を甘く煮たおかずの時には量が多かったので、目を白黒させて全部いただきましたが、お腹が張ってずいぶん苦しかったことを思い出します。ブリは、相模湾の網で獲れたものが奈良屋には五尾配給され、それを子どもたちが宮ノ下駅に受け取りに行ったのでした。お米も同様に俵で配給になるのをリヤカーで宮ノ下駅へ五年生と六年生が受け取りに行きました。
ご飯の量は上級生や、男の先生方にはボウルに相当山盛りでしたが、それでも不十分だった面もあるのでしょう。当時の男の子たちの口癖は「腹減った」 でしたから。
今になって考えると、学校から帰ってすぐおやつを食べていた子どもたちにとって、間食がなかったのはこたえました。それでも初めのうちは蜜柑や南京豆などが金属のお皿で出され、それは嬉しいものでした。
しかしそのおやつが次第に出なくなったので、子どもたちは親からワカモトやエビオスなど栄養剤と称する錠剤を送ってもらい、お菓子代わりにそれをポリポリと食べることが行われていました。本当は、世間からすっかりお菓子は姿を消していたのに、疎開児童は戦争が激しくなる前のお菓子がまだ豊かだった時代の空想の中に生きていたのです。
無駄にしない精神が大事にされていたので、蜜柑の皮まで、食事の魚は骨まで食べるようになりました。タイの硬い骨まで食べた子のことはさすがに話題になりましたが。
ですから女の子より男の子、下級生より上級生にもっと多くご飯を出していたら上級生の不満はだいぶ解消されていたでしょう。
大きな庭園のある立派な旅館、温泉付き、水洗トイレ。そして代用食に芋などが出たことはない、三度三度のかたい白いご飯、おいしいおかず。戦時中に、これ以上のものを求めるのは無理だし無茶です。おそらく全国の学童疎開で僕たちの生活は最も恵まれたものだったろうと考えています。