疎開児童から21世紀への伝言 52
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編集者
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昭和二十年疎開地図こぼればなし 5
磯貝真子(東京日本女子大付属校)
宇野千代は熱海に疎開していた頃、「広津の家へ行って見るとそこに志賀直哉が来ていて、一緒に仲間になって麻雀をしたことがある。あの、志賀直哉が仲間になって麻雀をした、ということで、私は多少吃驚したのを覚えている」と書いていた。舟橋聖一は「熱海疎開文士」の名を列挙し「志賀直哉先生は伊豆山の先の稲村に居られたが、時々熱海に映画などを見においでになった」と書いている。しかし志賀の弟子阿川弘之によると、終戦時、新町の自宅は運良く戦災を免れたが、広い家とはいえ志賀家には焼け出された娘一家を含む総計十七人が同居という有様で、日々数人の来客もあり執筆などが出来る状態ではなかった。そこへ熱海稲村の先、大洞台に戦前に建てた山小屋風洋風建築の別荘を提供するという人が現れた。戦後の焼け野原の東京にくらべ戦災を免れた熱海、親しい広津和郎もいるということで気持ちが動いた。リビングルームの前は芝生で、さえぎるものはなく広々とした海を望み、正面に初島、彼方には大島の噴煙もみえるというロケーションが気に入り引越しを決意した。志賀はここに七年も住むことになった。熱海に疎開したわけではなかったようだ。
二十年になるとB29が夜ごと頭上を飛んでいく。熱海で宇野は燃える東京を他人事のように物干し台の上から眺めた。「戦況が激化すればするほど闇の物資を買い漁った自分は、世間からは何とかけ離れていたことか」と後になって思った。漁師の持ってくる鰯を丸ごと買い、塩鰯を作って小包で知人に送る。客があると床下に隠してある自家製の濁酒をふるまって喜ばれるのが嬉しい。最期に手に入れた物は、何と石油缶一杯の胡麻油であった。煮物にも少しずつ入れて味をつけても二年はもつだろうと思うと嬉しさがこみあげた。
そのうち熱海も再疎開する人が増えてきた。宇野は北原武夫の実家栃木県壬生に再疎開をすることにした。家の片付けを終えて壬生に向かう彼女の背中には、風呂敷に包まれた大事な大事な胡麻油の缶があった。品川の近くで空襲警報が鳴って列車は急停車した。無蓋の貨物車に鮨詰め状態の乗客たちは、油を背負った女性が同乗している事を知ったら何と言っただろうか。壬生に着いても家を目の前にして戦闘機が低空で飛来してきた。機銃掃射を覚悟し、もうおしまいと思った瞬間、そのまま飛び去り危機を脱した。
北原の父は医師で広い家に住んでいた。宇野は舅姑との同居生活は始めての経験であったが、舅たちは「千代の作ってくれるものは何でも旨い」と喜んでくれた。熱海から“命がけ”で運んだ胡麻油が隠し味として使われていたことは言うまでもない。宇野はここでも才能を発揮して、あらかじめ送っていた衣類を手に、近所の農家を駆け回っては蜂蜜などと交換することに精を出した。八月十五日、敗戦の詔勅をこの家の座敷で聞く。
日本の敗戦と期を同じくして、彼らの貯金もまさに尽きようとしていた。宇野は自分の着物と薄い布団を持ち、北原は紫檀の小さい机を背中に縛り付けて東京行きの汽車に乗った。戦争が終わったのだ。誰もが鮨詰めの汽車で東京をめざしていた。