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疎開児童から21世紀への伝言 59

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通常 疎開児童から21世紀への伝言 59

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/9/8 7:45
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 小さな履歴書  その3

 大石規子(間門校)


 Ⅴ 敗戦

  空襲から一週間後 面会に来たはずなのに
  父は私を横浜に連れ戻した
  ー死ぬなら一緒に
  旅館の女中さんが
  ー新婚旅行でいらっしゃい と送ってくれた
  遠い遠い話 現実感がなかった

  横浜は まだ熱い 焼け野原
  呆然と見渡す
  すべてが 無くなってしまった
  私のものがない 私の家がない!
  あるのは黒い土ばかり
  点々と レコードの塊り 瀬戸物の欠片
  子ども時代が消えてしまった

  八聖殿の金魚屋さんに間借り
  金魚のいない水槽を見て暮らす
  コンクリートの底が ひからびていて

  叔父 レイテ島沖で戦死
  八月十五日 無条件降伏 敗戦


 Ⅵ 六年生

  次に 東京大森の伯父の家に居候 不便な二階暮らし
  ここで一歳に満たない弟が死んだ 栄養失調だった
  父が小さな枢を自転車に乗せて遠ざかっていった
  写真も残ってない可哀想な弟 顔も思い出せない
  ただ 小さな指で蚤をプッチユーンといって
  つぶす恰好をしていたのだけ思い出せる

  六年生になっていて 大森の学校に編入する
  それまで学校に行くのを忘れてた
  ざらざらの教科書 墨で塗りつぶされた
  黒板の前の大きな算盤 はじめての算盤
  指されても立ち往生 みんなは できるのになぜ?
  算数が きらいになった
  下校途中で頭から衿元から D・D・Tをぶっかけられた
  横浜に戻り 上大岡の山奥の 農家の納屋に引越す
  畑のサツマイモの葉 フスマ入り豆かす入りご飯 赤蛙も食べた
  田んぼの畦道を歩くと 必ず下痢をした

  山のきわの水たまりが 飲み水 炊事 洗濯用
  お百姓さんが 鍬や桶を洗う場所だ

  鯨の皮を熱して鯨油を取る
  妙め物やランプの火にもなった
  魚くさいランプの火屋拭きは 手の小さい子どもの役目だ

  小屋のような家 盗むものもないのに
  留守の間に一切合切 なくなっていた
  また 零からの出発

  お母さん あの頃は辛かったでしょうね
  黙って淡々と生きていた お母さん

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