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疎開児童から21世紀への伝言 49

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通常 疎開児童から21世紀への伝言 49

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/8/29 9:39
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 昭和二十年疎開地図こぼればなし 2
 磯貝真子(東京日本女子大付属校)

 宇野千代は十九年春から「疎開する、ということの、まだ流行しない前」に、夫北原武夫と熱海・来宮駅に近い別荘の一室を借りて疎開生活をはじめた。熱海の生活が軌道に乗りはじめた頃、谷崎潤一郎がすぐ近く住んでいる事を知った。そして谷崎が彼らの住まいを訪れることになった日、大先輩を迎える宇野は恐縮し、緊張して文学論などを話題にしようとしたが、谷崎は返事もせず「今日このあたりに豚肉が入ったらしいということを聞いて来たのだが」と言った。

 人々が食糧探しに血眼であった戦時中は、宇野千代の持つ独特の才能が見事に発揮された時代であった。乱世を泳ぎぬく知恵というか、彼女の開けっぴろげな人柄が土地の漁師やオバサン、闇屋のお兄ちゃんに慕われ、普通ではとても手に入らない肉や魚、米などが自然に彼女のもとに集まってくるのだ。彼女はそれらのものを「花咲婆さん」よろしく惜しげもなく人々に振りまいた。

 「私はその日から鶏肉、じゃが薯、白米、鰯の切り身などが手に入るたびに、谷崎家に通報した。この非常時にそんなことの出来るのが自慢であったとは、何と言うことか」喜び勇んで食糧を集める姿が目に浮かぶようだ。時には谷崎が自ら買い物篭をぶら下げて宇野が集めた闇物資を受け取りに来たという。

 谷崎の日記には「十九年七月十一日 夜来風雨あり五時過ぎに至りて晴る。今朝の新聞に依れば中央公論改造社いよいよ解散と決定の由なり、余は「細雪」第三十回の終わりまで書き上げて、明日兎も角も上京せんとす、午後午睡中北原夫妻来訪せりとて起さる。サイパン島すでに占領されたる由を宇野氏に聞く」 「七月十四日 東京朝日に東京都防衛本部の名にて空襲切迫、疎開をすすむる旨の広告出づ(略)」「八月十七日終日執筆三枚進行。夕刻宇野千代氏鶏一羽持参代三十円也。米英軍南仏上陸」とある。

 谷崎の「細雪」の連載は時局をわきまえぬ内容であると軍の干渉があり、掲載禁止に追い込まれた。松子夫人は「私は谷崎の気落ちを思うとともに、時局の重大さをも悟ったが、たまらない切迫した気持ちになって、宇野さんのお宅に走った。谷崎の現実を理解していただけるのは、この方だと、ただ一途に思った。北原さんとお二人で、谷崎は決して屈しないであろう。当分の辛抱で、また書きつづけられるに違いないと、励ましと慰めの力強い言葉をかけて下さった。涙ながらに辞去。谷崎に伝えると、ただ大きく肯いた。それからは来る日も来る日も黙々と机上の原稿紙に向かって、筆を進めていた」と書いている。

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