疎開児童から21世紀への伝言 13
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戦争の恐怖二題
菊地 章(本町校)
一 本町国民学校四年二組全員が見た横浜港大爆発
昭和十七年十一月三十日、小春日和の日だった。僕たちはお弁当を済ませ、午後からの体操の時間に備えて運動場に出ていた。思い思いの格好をして遊びながら先生を待っていた。しかし、先生はなかなか来ない。
様子を見に行った友達の話では、先生は職員室で何か書き物をしているらしい。
小半時ばかりして、やっと先生が現れたので僕は走り寄って、「先生! 港のほうで変な黒い煙が出ているんで見に行きましょうよ」と言ってみた。先生はすぐに全員を縦隊に整列の号令をかけて番号を点呼し、「大神宮様まで駆け足!」と大声で怒鳴ると先頭に立ち、首から掛けたホイッスルを鳴らした。僕たちも笛に応じながら「いち・にい・いち・にい」と叫び、運動場から横道を登って参道に入り、全員が正金倶楽部の正門の前を通り過ぎたと思ったその瞬間、中央桟橋の方向にいきなり二、三百メートルの巨大な水柱がすっくと立ち上がり、そのてっぺんが真っ赤になって「ドカン!」という猛烈な爆発音。先生はとっさに「伏せ! 伏せ!」と大音声を発した。皆は道路に平たくなって伏した。水柱は真っ白な滝のようになって消えたが、いつの間にか黒煙が空を覆っていた。「教室に戻れ! 全員、教室に戻れ!」 の号令とともに僕たちは元来た坂道を脱兎の如く、雪崩の如く駆け下りて教室に戻った。
幸い、五十余名中、誰一人傷ついた者はいなかった。「このことは誰にも喋ってはいけないぞ。たとえ親にも喋ってはいけないぞ」と先生からかたく口止めされた。
学内放送があって集団下校することになったが、関内方面の児童たちは父兄が迎えに来ない限り帰途につけず、教室で待機することになった。
小爆発がなお小刻みに続き、黒煙は空を覆い、夕闇が迫ったように暗くなった。
二 章くんの体験 機銃掃射
章くんが機銃掃射を受けた時の体験談です。その時、章くんは中学校一年生でした。大空襲の十数日前のことですから、中学生になったばかりの、まだ湯気が立っているような新入生でした。学校の校門を出たところで、その新入生たちを目がけて敵が機銃掃射してきたのです。機銃掃射というのは、飛行機から機関銃で、人や物をなぎ倒すように撃ってくることです。
学校は丘の上にありました。章くんがクラスの友人と二人で校門を出た途端、アメリカのグラマン戦闘機が前方の丘の生け垣すれすれに見えました。見えたというより、グラマン機がそこにいた、という表現のほうが当たっているかもしれません。出会い頭に、真っ正面に対峠してしまった格好です。と、次の瞬間、二人に向かって黒い蜘妹の糸のようなものが伸びてきました。二人は反射的に右側の小さな窪地に飛び込みました。銃弾がうなりをあげて地面を削り、えぐり取っていくようなすごい音が耳をかすめました。
今度はグラマン機がすぐ左上に来ているのが分かりました。三階建ての建物くらいの高さのところです。飛行機の窓に敵軍の飛行士の顔がはっきりと見えました。飛行帽をかぶり、飛行眼鏡を上にあげ、両目でこちらを見ています。飛行士と章くんの目と目が確かに合いました。
グラマン機は、いきなりエンジンの回転数を上げ、左旋回しながら、さらに上昇しようとしています。「ここにいては危ない!」「また狙われる!」二人は無言のうちに、とっさにもう一軒右隣の家の縁の下に這いずり込みました。もう人の家も自分の家も考える余裕はありません。
グラマン機は不気味な音を立てながら、態勢を整え、校門から十数メートルで右に折れる坂道に沿って、下から真っ直ぐ迫ってきます。坂の途中の右側にある工場を標的に銃撃を加えました。ものすごい轟音です。地面に伏して十本の指で顔を覆い、息を殺していました。
章くんたちより先に校門を出た友人たちが、前方の丘と丘の谷間にある田んぼの細道を歩いているはずです。グラマン機がそのあたりを銃撃している音が響きわたります。悲鳴が聞こえたような気がしました。
どのくらい時間が経ったのか、不穏な音が消え去りました。おそるおそる縁の下から這い出て、家に向かいました。前を行く友人たちに追いつきましたが、一人も犠牲になった者がなく安堵しました。
章くんが戦争が終わってからも毎年必ず、一度や二度は機銃掃射される夢を見ると言います。夢の中では、いつもと言ってもいいほど体が金縛りにあって、まったく動きがとれなくなります。そして数えきれないぐらいの弾丸が身をかすめます。目が覚めると、背中は冷たい汗でびっしょり。体は硬直しています。夢の中でも「あの時は助かったんだ!」と何度も叫びながら目を覚まします。
何十年も月日が経ち、還暦を過ぎてからは「俺は六十歳まで生きたんだ」と悪夢から逃れようとしました。古稀も迎え、あんな夢も見なくなったかなと思い始めたら、イラク戦争が始まり、また同じ夢を見てしまいました。「死ぬまで見たくもない夢を見続けるのか」と、いたたまれない気持ちでいっぱいです。
なお、グラマンというのはアメリカの航空機会社の名前です。中型・小型軍用機を開発・生産し、二万五千機を製造したといわれています。太平洋戦争の時には、航空母艦の艦載機として使われていました。
男の子の中には、戦争に関する玩具が好きな子もいます。戦争というよりは、闘ったり闘わせたりすることに興味があるのでしょう。特に、飛行機や戦艦、航空母艦、戦車などで、想像の中で遊ぶようです。私の長男も小さい時、戦車のプラモデルを次々に買い込んでくるものですか「戦争が好きなのかしら」と、私をあわてさせましたが、単にいろいろな型の戦車を集めたかっただけのようで安心した記憶があります。
昨今の映画でも、これでもかこれでもかというように戦闘場面がエスカレートしていくものがあります。戦争の本当の姿を知らない子どもたちに悪い影響がなければいいがと、心配になります。人は、人を傷つけたり、殺したりしてはいけないのだと、心から思ってほしいと願います。自分の命も人の命も大切にしていきたいものです。(文責・大石規子)