疎開児童から21世紀への伝言 19
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編集者
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ジオラマ外箱作り
--平成16年の日記より--2
田中米昭(東京目黒・向原校)
七月二日(金)晴
前回の岡本さんとの打合せ通りの仕様で小さめと大のケース一個ずつを作った。小さくてもこういうものを作ると決めてかかったのは初めてであるし、材料の段ボールも大きさはさまざまで無駄の出ないように見比べて使用箇所を決めるなど考えながらやるのは時間がかかった。その他スチロールの台のL字型を作って終る。
七月六日(火)晴
箱一個作る。岡本さんの知り合いの電器店に頼んであるのだが材料の入手がなかなか難しいとのこと。ゆりさんが来て打合せをやっているようだった。
七月十四日(水)晴
今日は医者に行く日なので三ッ沢下町には遅れて行く。一個作る。
七月二十三日(金)晴
今日は十人位来ていて、野本さんも差し入れに来ていた。ジオラマ作りは皆さんとにかく熱心。楽しそうにやっている。十四日から今日までの間に箱は二個出来ていた。どなたか手伝ってくれたらしい。中箱と上蓋、側板と二個分作る。
八月三日 (火)晴
今日からジオラマの手が空いた時に木村さんに手伝ってもらうことになった。やはり二人の方がはかどる。
出来上がったジオラマはケースに入って重ねてあるので、箱の作業場所が狭くなってきた。ジオラマの邪魔をしないように空いているところを見つけて、時にはシャッターの外に出てしまうこともあったが、暑いくらいの天気なので外もまた良し、床面に段ボールを置いて寸法取をする姿勢は、腰が痛くなって困った。
八月四日 (水)晴
呼び出されて有隣堂の倉庫に外箱が入るかどうかの確認に行った。
八月六日(金)晴
今日は箱の完成を急がねばならない。八月九日の搬入を控えてジオラマ展示終了後の引取り先昭和館の内見があるからだ。最後の四個が出来上がって箱の総数は揃った。酷暑と段ボールの材料不足を乗り越えて十三個のケースが完成しジオラマ作品を納めることが出来た。
今日はハンデがあった。前日、地元の盆踊り会場の準備中、鉄パイプが頭に当たってタンコブが出来た。今日はタンコブは引いてきたが頭の奥がズーンとして終日、耳鳴りならぬ「頭鳴り」であった。大事をとって念のためのⅩ線写真の結果を聞きに行くので四時頃帰る。
八月九日 (月)晴
有隣堂搬入日、九時に着いたらもう搬入は始まっていた。会場内のジオラマ設営、飾付けを手伝って午前中で帰る。先日のⅩ線診断で大丈夫と思うが念のためにCTを撮ることになったからである。
後半は木村さんと箱作りができてよかった。こういう仕事は一人より大勢のほうがいいとつくづく思った。
後日談
年が明けて二〇〇五年、箱作りも忘れかけた頃、岡本さんから電話で今度は昭和館で材料を用意するから、改めてジオラマを入れる箱を作ってもらいたいという依頼があったのでやってもらえないかというのである。ジオラマの手直しもあるので一緒の日に行きましょうと日時を指定された。
二月四日、前の経験から段ボールを留めるホチキスのような器械があれば便利と近所の農家から借りて出かけた。自宅最寄り駅(小田急・伊勢原)から九段下まで五十分で着いた。早い。ところが肝心の段ボールの入荷が遅れて午後になり、ホチキス止めがうまく行かず、ボンドとテープの併用で切り抜けたが、二個しか出来なかった。これは大変と応援を依頼、またまた木村さんの出番となった。二月八日は残り七個を作りさらに取手をつけるという注文で作業量が大幅に増加した。風邪を押しての木村さんも辛そうだったが、時間は限られており、現役時代のモーレツ風な仕事ぶりで夕方六時近くになってやっと終えることができた。
今回、文集に書くにあたって、私にとっては一緒に作業することで分かってきた会の人々の熱意や会のこと、
それに一番強い印象を持つ出来事として、「箱づくりの話」がよいと思ったのである。