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疎開児童から21世紀への伝言 58

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通常 疎開児童から21世紀への伝言 58

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/9/7 7:49
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 小さな履歴書  その2

 大石規子(間門校)

 Ⅲ 国民学校

  丘があり海があり校庭の先から海水浴ができた
  夏は臨海学校で 他校の学童たちが合宿に来た

  一年生の冬 戦争が始まった

  海に向いた朝礼台で 校長先生が戦争の話をした
  私の誕生日 三月十日は陸軍記念日
  特別長い話で 早く終わってほしいと聞いていた
  (後に 三月十日は東京大空襲記念日 今も 悲しい記憶は続いている)

  教室で 神武 綴靖 安寧 敢徳…百二十四代の天皇の名を暗唱
  隣りの教室まで行って見本を示す あの頃は記憶力がよかった

  三年生の時に 兄が病気で死んだ

  運動会も廃止された
  徒競走も一年生の時は三番 二年生の時は二番
  三年生の時は一番だったはずなのに

  遠足もなかった
  気になる同じクラスの男の子 初恋だったのか
  今はどうしているだろう 風の便りもない
  叔父 妻子を残し 大学繰上げ卒業で戦地へ


 Ⅳ 疎開・空襲

  四年生の時 学童疎開が始まった
  行かなければいけないのに 残留組
  みんなが疎開してゆき 学校は寂しくなった
  毎晩の警戒警報 空襲警報
  露に足元を濡らしながら 夜中の防空壕へ急ぐ
  疎開しなければ 危ない

  五年生になってからの遅い出発
  箱根宮ノ下の老舗旅館で 先発隊と合流
  痺い かゆい 虱の歓迎 いじめにも歓迎される

  畳の上で勉強する 隣りに頭の大きな女の子
  その子は 病気で横浜に帰った

  五月二十九日 横浜大空襲
  その子も死んだ 私の家も焼けてしまった
  記憶の中の物いっさいが 消えてしまった
  心の中の記憶は 年を追って ますます鮮明になる

  知人の家族も 一家全滅も あちこちに

  両親が亡くなり 子どもだけ残った家もあった

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