疎開児童から21世紀への伝言 61
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編集者
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あとがき
野毛山を通っての通学で友人たちといつも歌った。隠れん坊する人この指た~かれ。何をするにもこの歌が最初にあり、立てた人指し指に友達が近寄る。「たからんちょ」「あんちょ」という呪文で契りが結ばれる。これは、どの程度の範囲の横浜で遊びのルールとして定着していたのか定かではない。しかし、緑の多かった野毛山のその頃の清潔な手入れをした砂利道などが眼前に彷彿とする。そして疎開の会はちょうどこの幼い気分に満ちた遊び心のやりとりに似ているところがあった。
それは参加する意志があれば自由に加わって活動ができるということだ。疎開問題研究会に集まった皆さんが自然に身についてもっていた自主性とでも言ったらいいだろう。皆でまことにたくさんの仕事を為遂げてきたのだが、そこにははっきりとその自主性があったと思う。疎開の記憶に戻るが横浜の子供たちには戦時下とは言え、まだまだ自由の風があったように思われてならない。疎開してやっと分かったことだ。土地柄と言ってしまえばそれまでだが‥・。そしてそれは疎開の生活の中や、地方の学校での規律のなかで納得し、かつあきらめたことがらであったのだ。
直接に田舎に触れることを強いられて苦労していた縁故疎開の当事者にとっては、これは大きな問題で、自由に発言ができない苦悩はまことに苦しいものであったのだ。その点で集団疎開は従来の形骸を引きずって移行した訳で、別途新たな食糧不足、内部のいじめなどの問題が起きたこととしても、事は単純であったろう。
まずは十五年の長い期間を通じて疎開の事実を、さまざまな形で市民の皆さんにアピール出来たことをうれしく思う。黙っていれば「死語」になる可能性のあった「疎開」の語を広く知らせることが出来て、しかも今後もあってはならないこととして展開出来たのは杜会的にも意義が深いものがあったと思われる。
この冊子は会にかかわった皆さんの思いが結実しているだろうと思われる。そして、その取りまとめには大石規子世話人に特段のご苦労をお願いして完成したものである。その労を記して感謝したい。(ゆりはじめ)
戦後六十三年目の昨夏の当会催事「ニツボン一九四五年の証言-学童疎開・大空襲を乗り越えて」が終り、ひと息いれた九月十七日、結成15周年記念行事として、かねて懸案の文集発行が正式に世話人会で決まった。その内容は①学童疎開の回想②当会での活動③活動と友人とのかかわりなどということになり、世話人を中心に二十八人の方方がそれぞれの立場から原稿を寄せられた。結果的には、当会の前身「横浜市の学童疎開五十周年を記録する会」が、平成八年に刊行した『横浜市の学童疎開~それは子どもたちのたたかいであった~』の形を変えたひと続きのものとなったと思われる。(小柴俊雄)
私は最初、この本の題名を「遺言のつもりで。」にしようと言った。そのつもりで書かなければ、いいものは書けないし、執筆者も集まらないと思ったからだ。しかし、集まったものは、それぞれの立場での個性溢れる、まさにこの世に残したいものばかりであった。漢字や仮名遣いなどがまちまちなのも、教えられた時代を象徴している。文章構成も元原稿の雰囲気を大切にした。昭和のたった何年かの体験であったにもかかわらず、その後の人生に及ぼす影響は大であった。これからも、皆さんを誘って第二、第三の遺言を書いてゆくつもりだ。亡くなられたり書けなかったりで、ご登場いただけなかったかたもいて残念だった。岡本陽さんは挿画で参加してくださった。(大石規子)
ー完ー