@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

疎開児童から21世紀への伝言 38

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

編集者

通常 疎開児童から21世紀への伝言 38

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/8/13 8:28
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 疎開地での回想と近頃思うこと
    ー疎開地を訪ねて- その・4

 関口昌弘 (西潮田校)


 忘れがたい思い出

 私にとって、忘れがたい出来事があった。仲間と共に学校帰りに近道を通ろうとして、小さな滝を登りかけたが失敗し、五~六米位下の岩場に転落し、左足を骨折してしまった。自力では動くこともできず、駆けつけた先生に背負われて、合宿所で介護を受け、足はボンボンに腫れ上がり熱を出し、日夜伸吟した。翌日、地元の大野先生(大野和雄氏の姉上)に背負われて、長い道のりを歩き、バスに乗り電車を乗り継いで、小田原の外科病院まで連れて行って頂いた。ギプスを付けられて一日がかりで帰り着いた。その後も松葉杖を突きながら、先生の付き添いで小田原まで通院した。元の足に回復するまで一ケ月余りかかり、悪戯が過ぎての痛い代償であった。格別のご負担をおかけした大野先生には、今でも感謝の気持は少しも変わらない。


 再疎開のため帰宅

 疎開して二年目を迎えようとする七月、父のつてで新潟に再疎開するために、母と姉が私たちを引き取りに来た。家は四月に空襲ですでに焼け落ち、祖母と従妹達が死んだこと知り情然とした。鶴見に着いて焼け残った東寺尾の仮屋にいったん落ち着いたが、その周辺も爆弾投下による、すり鉢状の大穴と瓦礫の山だった。その夜、遠くでサイレンの鳴り響くのが聞こえ、爆音の急接近とともに、遠くで焼夷弾が落下、東の空が茜色に染まっていた。探照灯が上空を走り回っており、敵か味方か飛行機の尾翼が火を噴き、遠くに落ちていくのが見えた。私が見た戦火は、この空襲時の一シーンだけだった。

 翌日、姉の家族と共に上野から新潟行きの列車に乗り込んだが、その前日に、同系統の列車が新潟に向って走る途中、グラマン戦闘機による機銃掃射を浴び、多数の死傷者が出たとの報道があったので、この日もいつ襲われるか分からず、目的地に着くまで、不安でならなかった。幸いにして、その日は列車に向けての攻撃はなく、無事に新潟に着いて、農家の納屋を改造した一隅に、落ち着いてほっとした。しかし、ここに落ち着いてつかの間、半月余りしか経たずして、八月十五日の玉音放送を聴き、日本が無条件降伏したこと知ったが、日本が負けたんだという実感が湧いてこなかった。新潟での生活は、ほんの僅かな期間でしかなかったので、ここでは、銀シャリを初めて口にした位しか、思い出に残るものはなかった。

  条件検索へ