|
[No.15992]
織田麗子:人に聞けない死への基礎知識
投稿者:男爵
投稿日:2010/10/29(Fri) 07:33
[関連記事] |
大活字本なので読みやすい。
目にやさしい本 (文庫本はそうでない)
遺言状
1 普通方式
A 自筆証書遺言(全文自筆、押印による)(ワープロや代筆は無効)(相続開始後に家庭裁判所にて検認)
B 公正証書遺言(公証人役場で作成)(二人以上の証人必要なので内容を秘密にしておきたい人には不向き)
C 秘密証書遺言(遺言したこと自体は証人にわかってしまうが、内容は秘密にしておける)
2 特別方式
A 一般危急時遺言
B 難船危急時遺言
C 隔絶地遺言
葬儀について
ある葬儀社のお勧め
60万円前後
100万円前後
150万円前後
250万円前後
(具体的な火葬料金の差異とか、霊柩車のランクなどは省略)
本人の意志で葬式をしない場合がある。
墓
土地の購入ではなく、永代使用権を買い取るということである。
最近は墓地不足から、合祀墓が一般的である。
[No.15991]
五木寛之:旅のヒント
投稿者:男爵
投稿日:2010/10/29(Fri) 06:41
[関連記事] |
五木寛之の旅の考え方のヒントがいろいろ書かれてある。
内容は広く面白いので何度かにわけて記載する。
五木寛之の好きな日本人の三人の学者
いずれも旅を日常として生きた人々
菅江真澄、宮本常一、沖浦和光
書斎にこもって思索にふけっているときよりも、この三人の学者は旅をしているときのほうが、はるかにいきいきと頭脳が活躍しているのではないだろうか。
日本には「聖」という放浪僧の伝統がある。
日本列島を体液のように流れ続ける移動遍歴の宗教者たちである。
ときには「修験者」の姿をとることもある。いわゆる山伏である。ときには「勧進」の姿で歩くこともある。
旅をすることができるためには健康がまず必要である。
とりあえず自分の足で歩ける。食べたい物を食べることができる。
重い鞄をかついで階段を上がり下りすることができるという、ごく普通に言うところの
健康というものに恵まれていることが旅の基本である。
正しい歩き方
基本的には三点接地法である。
つまり、足の親指と小指と踵(かかと)をきちっとホールドしながら、踵から着地する。
この歩き方を心がけていれば、自然と膝も伸びるし、歩幅も大きくなっていく。
足の裏にきちんと体重をかて踏んでいるかぎり滑らないが、足を引きずるような歩き方、こするような歩き方、跳ねるような歩き方、そういう歩き方をしていると転ぶ可能性がとても大きくなる。
[No.15990]
今日は何の日・10月29日
投稿者:
投稿日:2010/10/29(Fri) 05:33
[関連記事] |
みなさん、今日は
今日は何の日、10月29日
ホームビデオ記念日
1969(昭和44)年、ソニーと松下電器が家庭用VTRの開発を発表した。
ソニーはベータ方式、松下電器はVHS方式を採用し、これから数年、両陣営の熾烈な争いが繰り広げられることとなった。
とらふぐの日
「と(10)らふ(2)ぐ(9)」の語呂合せ。
1914(大正3)年 早稲田・慶応・明治の3大学が野球リーグを組織。後の東京6大学野球に発展した。
1931(昭和6)年 ルー・ゲーリッグらアメリカ大リーグ選抜チームが来日
1945(昭和20)年 戦後初の宝くじ「政府第一回宝籤」発売。1枚10円で1等賞金10万円
1956(昭和21)年 スエズ動乱勃発。イスラエル軍がシナイ半島に侵入しエジプトと交戦
1976(昭和51)年 山形県酒田市で火災発生。強風に煽られて約1200戸焼失
今日の誕生日の花:ウメモドキ
花言葉:明朗
今日の一句:大空に風すこしあるうめもどき 坂田龍太
出典は今日は何の日、毎日が記念日
http://nnh.to/
及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
[No.15989]
三好万季:四人はなぜ死んだか
投稿者:男爵
投稿日:2010/10/28(Thu) 22:45
[関連記事] |
著者は中学三年生
インターネットで追跡する「毒入りカレー事件」のレポートは
「文藝春秋」(1998年11月号)に掲載され
弟60回文藝春秋読者賞を史上最年少で受賞した。
あの和歌カレー事件のとき
私は学会発表のため上京していた。
恵比寿ガーデンプレイスでのオフラインの後
タクシーで東京のホテルに向かったのだが
そのときは食中毒というニュースだった。
翌日は愛知県の半田市の大学で学会の初日の夜の打合会において
用意された弁当を前に、これは(古くないから)食中毒にならないはず
といってみんなを笑せていた世話人
そのときは、全国的に食中毒という判断だったようだ。
そのあと数日後、次の学会の会場の福岡で発表して
帰路についたあたりで事態は変わって
もう砒素の中毒だということがわかって
犯人捜しになっていった。
この本では
○事件当日に保健所が
患者たちの嘔吐と下痢を根拠に
黄色ぶどう球菌が熱に強く、激しい症状もあるという断片的な知識を
もとに予断にもとづき集団食中毒であると判断した。
○もし保健所が「食中毒」ではなく、薬物中毒を疑っていたら
砒素を特定できていなくても、催吐、下剤、胃洗浄や適応の広い解毒剤などを
緊急に処置することができたはずである。
○現実には毒物中毒への救急処置がとられなかっただけでなく
気休めにすぎない点滴や抗生物質が処方され
催吐や下剤ではなく、逆に鎮吐剤などが処方された。
これは、医療による「さらなる加害」とは言えないだろうか。
○最初から毒物中毒に対する処置がなされていれば、最初の死亡者でも
九時間以後であったことを考えると、四人の生命が救われた可能性はきわめて高い。
○また捜査本部は、患者たちの症状に、青酸中毒に典型的な呼吸機能への打撃が
見られず、青酸中毒では考えられない激しい下痢などの症状が共通に見られて
いたにもかかわらず、軽率にも谷中さんの死因を「青酸中毒」と断定
他の三人を「青酸中毒死の疑い」とした。
○捜査本部の断定の根拠は、青酸予備反応検査で胃中の未消化物が陽性を
示したことによるらしい。
症状が青酸化合物に否定的であるにもかかわらず、信頼性が薄いとされる
便宜的方法で出た結果を、死因の断定の根拠にしたとするなら
明らかに本末転倒であろう。
まあ
今だからミスが多かったと批判できるが
当事者からすれば突然経験したこともない大量患者を前に
慌てたのであろう。
人間は経験をつんで賢くなっていく。
[No.15988]
Re: 国際共通語としての英語
投稿者:
投稿日:2010/10/28(Thu) 13:58
[関連記事] |
> 今から6年前の留学生たちの料理を食べるパーティでした。
> こちらもあります。
> http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/miyamoto/ryugaku/image/2004_0627-0130.jpg
あれあれ、これはメキシコ人なのに、llaのところをジャと書いていますね。注意してあげなくては。(^_-)-☆
[No.15987]
Re: 国際共通語としての英語
投稿者:
投稿日:2010/10/28(Thu) 13:55
[関連記事] |
> > > 食べ方としては、一般に日本のような茹でてそのままむしゃぶりつく様なのは少なく、トルティージャのような具合に、料理してから食べるのが多いようですね。
> > メキシコからの留学生は
> > トルティーヤと言っていたようです。
別に反論するわけではありませんが(^_-)-☆、なにかのご参考に。例のウィッキーの「トリティージャ」の欄では次のような説明を…。
******** ******** ********
なお、スペイン語の"lla"の発音は地域や話者により異なり、スペインでは「ジャ」に近い発音を、メキシコでは「ヤ」に近い発音をする人が多い(ジェイスモを参照されたい)。本稿ではスペインのtortillaを「トルティージャ」と表記する。
[No.15986]
Re: 今日は何の日・10月28日
投稿者:
投稿日:2010/10/28(Thu) 10:36
[関連記事] |
KAMEさん、みなさん、こんばんは。
> 1886(明治19)年 アメリカ独立100周年を祝いフランスから寄贈された自由の女神像の除幕式
こちらに来てから自由の女神さんにはどれだけお世話になったことか・・・
来て初めの3年ほどはNYのブルックリンに住んでたんですけど、そこからは自由の女神が見えました。
しんどくなると自由の女神を眺めて、ああ、自由の女神さんはひとりでずっとがんばってるんだもん、私もがんばらなくっちゃ、って思ったものです。
そういえば、こちらに来る前は自由の女神といえば東京都町田市成瀬の駅前のパチンコ屋さんの屋根の上に大きな自由の女神がありました。
あれ、なつかしいなあ。ははは
[No.15985]
朝鮮幽囚記/400年前のオランダ人の苦労
投稿者:男爵
投稿日:2010/10/28(Thu) 10:13
[関連記事] |
ヘンドリック・ハメル著、生田滋訳 朝鮮幽囚記 平凡社
オランダ東インド会社は1602年に組織され
東洋においては活動の拠点をジャワのバタビア(現ジャカルタ)に置き、西は喜望峰から東は香料群島に至る広い地域で貿易を行っていた。
1653年7月29日、台湾を出向して日本に向かったオランダ商船は嵐に遭遇し
8月16日に済州島南部の海岸に漂着した。
朝鮮の存在がはじめてヨーロッパに知られたのは
ポルトガル人が種子島に漂着してからであった。
日本が呼んでいたコレア(高麗)をそのまま、ヨーロッパ人はつかった。
当時のシナ人は朝鮮と呼んだ。
この本に書かれてあるオランダ人の記録によると
タルタル人(満州人をさす、清朝の民族)はコレイと呼んだ。
さて
済州島に漂着したオランダ人たちは64人であったが、朝鮮での生活の厳しさに
やがて36人に減った。
その間に逃亡を試みた者は捕まりムチ打ちの刑を受けてしばらくは歩けないほどだった。
済州島の総督が交代するたび、彼らの待遇は変わり、ほとんどの総督は彼らを使役させた。たまにオランダ人たちによい待遇をする総督がいた。
寒い季節の衣服や薪にも不足がちで、食べ物も不十分であった。
そのうちにソウルに連れて行かれ、弓の訓練など兵士としての訓練を受けたりしたが
結局は全羅道兵営に配置された。
彼らが日本に脱走する計画をやっと実行したのは漂着後13年後であった。
そのときは16人に減っていたが、8人だけが日本に向かって船で出発したのであった。
当時の彼らは、船で付近の島々へ木綿を手に入れるため航海していたので、船に乗ることは怪しまれなくなっていた。
彼らは必死にお金をためて、日本行きの船を買い求めたのであった。
海図もなく勘で日本に向かった彼らは運よく五島列島に達し
出会った日本人に、用意していたオランダ国旗を見せ「オランダ、長崎」と叫んで
自分たちがオランダ人であって、長崎に向かっていることを知らせた。
やっと長崎について、出島のオランダ商館に引き渡され、13年ぶりに同胞たちと再会できた(1666年8月13日)。
このあと、江戸幕府の厳しい取調べが何度かあって
彼らはキリスト教を布教に来たポルトガル人ではなく、オランダの商船の船員であることが確かめられ
いっぽう対馬藩を通じて朝鮮にも問い合わせをして、彼らの報告が妥当であることが確認され
このオランダ人8人は無事オランダに帰国することができたという。
そして
朝鮮半島に残された8人のオランダ人については
江戸幕府から対馬藩を通じて、朝鮮に問い合わせがあった。
朝鮮としては、清国(シナ)にも内密にして、オランダ人たちを一生国外に出さないようにしていたのだが
日本からの問い合わせがあり、もはや隠してもおけず
この問題を手始めに諸々の要求を日本から持ち出されることをおそれ
かつ、オランダ人の扱いも手に余っていたので
8人をオランダに帰国させることにした。
しかし、1人は朝鮮にとどまることを希望したので
7人が対馬を経由して長崎のオランダ商館に引き渡された。
彼らは1668年10月27日に長崎を出帆し、11月30日にバタビアに到着した。
その後は無事オランダに帰国したという。
オランダ人の目を通して
当時の朝鮮および東アジアの様子がわかる興味深い資料である。
済州島の厳しい生活、それを読むとなにやらチャングムの話を思い出すのでありました。
[No.15983]
Re: 国際共通語としての英語
投稿者:男爵
投稿日:2010/10/28(Thu) 10:03
[関連記事] |
> 釈迦に説法のたぐいですが
> メキシコからの留学生は
> トルティーヤと言っていたようです。
>
> ここは画像が載せられないので
> こちらをどうぞ
> http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/miyamoto/ryugaku/image/2004_0627-0131.jpg
今から6年前の留学生たちの料理を食べるパーティでした。
こちらもあります。
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/miyamoto/ryugaku/image/2004_0627-0130.jpg
つくるところ
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/miyamoto/ryugaku/image/2004_0627-0129.jpg
[No.15981]
Re: 国際共通語としての英語
投稿者:
投稿日:2010/10/28(Thu) 09:19
[関連記事] |
> > 食べ方としては、一般に日本のような茹でてそのままむしゃぶりつく様なのは少なく、トルティージャのような具合に、料理してから食べるのが多いようですね。
> メキシコからの留学生は
> トルティーヤと言っていたようです。
Soy japones.Non soy mexicano.(^_-)-☆
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | 61 | 62 | 63 | 64 | 65 | 66 | 67 | 68 | 69 | 70 | 71 | 72 | 73 | 74 | 75 | 76 | 77 | 78 | 79 | 80 | 81 | 82 | 83 | 84 | 85 | 86 | 87 | 88 | 89 | 90 | 91 | 92 | 93 | 94 | 95 | 96 | 97 | 98 | 99 | 100 | |