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  • [No.16359] 上田萬年 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/01(Sat) 20:46
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    > 長野師範学校卒業の高野辰之は上京して、東京帝国大学の上田萬年教授に師事する、
    > 上田教授の推薦で、尋常小学校国語読本の編纂委員になり、文部省唱歌編纂委員となった。文部省唱歌編纂委員になったので「紅葉」「春がきた」「春の小川」「故郷」「お朧月夜」などを小学校唱歌に入れることができた。

    こういうわけで
    高野辰之が文部省唱歌編纂委員になったのは
    上田萬年(うえだ かずとし)教授のおかげである。

     上田萬年は日本の国語学、国語学者、言語学者。
     東京帝国大学国語研究室の初代主任教授、東京帝国大学文科大学長や文学部長を務めた。
     円地文子の父。教え子には新村出、橋本進吉らがいる。

    すでに別のところでも書いたが
    金田一京助がアイヌ語研究をするようになったのは
    上田萬年のすすめがあったからである
    そして
    金田一京助のアイヌ語研究の成果を上田は高く評価した。

    このように各方面に後輩の指導や指示を与えたのであったが
    夏目漱石との間はあまりよくなかったようである。

     漱石は留学前に、文部省上田萬年専門学務局長(東大教授と兼任していたのか)から、留学の目的は
     英語の研究をすることで英文学を研究することではない、と説明を
     受けたことにもこだわった。帰国してから3年後に書いた文学論
     の序文を書いた時点でもまだこだわっていることは、序文を読めば
     わかる。
      (漱石の留学にあたっては上田萬年の配慮と指示があったようである)


    [No.16358] Re: 星野辰之:日本のうた唱歌ものがたり 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/01(Sat) 16:36
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    > この本では、文京区のサトウハチロー記念館の跡地を買った人は漆に弱く(櫨は漆の一種)、そこで櫨の木も移転したかったが、何か記念に残したいという住民運動もあり、結局櫨の木はそのまま残っていると書かれてある。
    > (この本は2004年の本だが、私が確認したところ、サトウハチロー記念館の跡地には、櫨の木は地下鉄後楽園の駅前の公園に移転されたという案内板があり、行ってみると礫川公園に大きな木になっていました)

    サトウハチロー記念館の跡地の説明板
    http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/miyamoto/travel/japan/image/20070527%20426.jpg

    地下鉄後楽園の駅前の礫川公園の説明板
    http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/miyamoto/travel/japan/image/20070527%20792.jpg


    [No.16356] Re: 石井正己:柳田国男の見た菅江真澄 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/01(Sat) 16:25
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    > 菅江真澄は、三河国渥美郡の出身である。
    > 江戸時代後期に信州、東北から蝦夷地にいたるまで旅をして
    > 旅先の各地での土地の民族習慣、風土などを記載した。

    松本で七夕の展示を見たとき、菅江真澄の残した絵を見ることができました。
    http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/07-mm/wforum.cgi?no=13588&mode=allread#13628
    それから昨年夏の仙台七夕を見に行ったのです。
    七夕の伝統とか民俗を考えなおすために。


    [No.16355] 星野辰之:日本のうた唱歌ものがたり 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/01(Sat) 14:53
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    全国にある歌碑を巡ったり、音楽記念館や図書館などで原詩を調べたりして、エッセイ風にまとめた本。
    おそらく自費出版であろう。
    内容はとりたてて新しいものは少ない。
    この種の本は他にもいろいろあり、それらを読んだ上で、さらに調べて書くといった様子があまり感じられないので、他ですでに明らかにされているものを改めてこの本で紹介しているものも少なくない。しかし、自分の目で見て、耳で聞いて確かめたことを書いているので、その点は評価されるだろう。

    高野辰之記念館を訪れる。
    熱心にメモをとり質問をする著者の態度に館長は感心したのか、特別に写真撮影を許可する。
    長野師範学校卒業の高野辰之は上京して、東京帝国大学の上田萬年教授に師事する、
    上田教授の推薦で、尋常小学校国語読本の編纂委員になり、文部省唱歌編纂委員となった。文部省唱歌編纂委員になったので「紅葉」「春がきた」「春の小川」「故郷」「お朧月夜」などを小学校唱歌に入れることができた。
    記念館を出て、「紅葉」の歌碑は簡単に見つかったが、「故郷」の歌碑が見つからなくて苦労する著者。(私も行ったからわかるが、少し離れた場所に故郷歌碑はあった)
    「故郷」は三拍子の曲である。ほかに三拍子の唱歌には「港」がある。

    ヨナぬき音階とは
    ドレミファソラシドを明治のはじめに
    一二三四五六七(ヒフミヨイムナ)と訳した。
    日本音階はもともと五音階でできていた。
    とくに田舎節というのは
    西洋音階から四、七のヨナが欠けたものと同じなので
    この音階を用いて初期の唱歌が多数つくられた。

    ピョンコ節は、
    兎がはねているようなリズムなのでそう呼ばれる。
    4分の2拍子または4分の4拍子の曲、付点8分音符と16分音符の組合せ
     「宮さん宮さん」、「鹿児島おはら節」、「金比羅ふねふね」、「鉄道唱歌」

    大正時代の演歌「スカラーソング」は
    箱根八里のメロディーをとった貧乏学生(書生)の歌で
     作詞は神長遼月  スカラーは学生のことをさす。

    荒城の月
    竹田市の岡城址、仙台の青葉城、会津若松市の鶴が城の三カ所の「荒城の月」の歌碑を見た著者は
    いろいろな表記があるが、つぎのような結論を出す。
     二番の 秋陣営の霜の色(夜の霜 ではない)
     三番の 垣に残るはただかづら(かつら ではない)
     ここでは、かづら(葛)であって、かつら「桂」ではない。 旧仮名遣い「かつら」は葛(かづら)のことだからややこしい。

    サトウハチロー記念館に、ちいさい秋の櫨(はぜ)の木をさがしに行く。
    北上のサトウハチロー記念館で館長の佐藤四郎から聞いた話は以下のとおり。
    「ちいさい秋みつけた」の櫨の木は、北上に移転することにして、掘り起こしから運搬移転までの費用は北上市が負担すると北上市長に言われたのだが
    植木屋から、北上の気候は東京より20度くらい温度が低いから、育たないだろうと言われて移転は断念した。
    だから櫨の木は東京に残した。
    しかし、専門家がその櫨の木の枝を一部取って、埼玉県の上尾の佐藤四郎のところで移し替えて、試験的に接ぎ木して、二年かけて育てた。その一部を北上にもってきてこちらで育ててみたら育つことがわかった。
    櫨の木は北上の記念館の庭で育っている。
    この本では、文京区のサトウハチロー記念館の跡地を買った人は漆に弱く(櫨は漆の一種)、そこで櫨の木も移転したかったが、何か記念に残したいという住民運動もあり、結局櫨の木はそのまま残っていると書かれてある。
    (この本は2004年の本だが、私が確認したところ、サトウハチロー記念館の跡地には、櫨の木は地下鉄後楽園の駅前の公園に移転されたという案内板があり、行ってみると礫川公園に大きな木になっていました)
    「ちいさい秋みつけた」のちいさい秋とは
    ボニージャックスのいう「大きな本格的な秋がやってくる前の秋のわずかな気配というところ」と考えられるが
    サトウハチローの小さい家のまわりの秋の情景のことである。
    (二十坪もない)猫のひたいほどの庭に見つけた秋だから。

    赤とんぼ
    題名は漢字で「赤蜻蛉」なのに
    一番の歌詞では 夕焼 小焼けの あかとんぼ
    四番の歌詞では、夕やけ小やけの 赤とんぼ
    と、どうして同じ言葉なのに、漢字とかなの表記がちがうのだろうか。
    著者の長い間の疑問は、三木露風全集第一巻の付録を見て解けていった。
    「赤とんぼとまっているよ竿の先」というのは、三木露風が小学二年生の時つくった俳句であるが、先生に大変ほめられ、それから俳句や短歌や詩をつくるようになったという。
    四番の歌詞は、小学二年生の俳句の表記と同じなのだろう。
    一番から三番までの歌詞で、幼いとき姐(ねえ)やに背負われた思い出や、山の畑で桑の実をつんだり、その姐(ねえ)やが嫁いで嫁ぎ先からの便りも絶えてからもう久しいと述べて、要するに姐(ねえ)やとの楽しい思い出を語り、四番で夕焼けに染まった赤とんぼを見て懐かしい姐(ねえ)やを回想するという構成になっていることに気がつくわけです。
    四番は小学二年生のときの先生にほめられた俳句を再現していると考えたらよい。


    [No.16353] 石井正己:柳田国男の見た菅江真澄 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/01(Sat) 09:24
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    菅江真澄は、三河国渥美郡の出身である。
    江戸時代後期に信州、東北から蝦夷地にいたるまで旅をして
    旅先の各地での土地の民族習慣、風土などを記載した。
    特に秋田では土地が好きだったのか彼にあっていたのか、30年も住んだ。

    秋田では、菅江真澄は
    常冠(じょうかぶ)りといって
    いつも頭にかぶった黒紬の頭巾を寝るときもとらなかったという。
    秋田藩主の佐竹義和に拝謁するときも、頭巾は許されていた。
    顔に刀傷などがあったからではないかと噂されていた。

    柳田国男は彼の民俗学をつくるのに際して、この菅江真澄を大事にとりあつかったという。(ほとんど忘れられていた菅江真澄を世に知らしめたのは柳田国男の功績と言っていいだろう)
    菅江真澄の書き残した記録は、当時の人々の生活や風俗習慣を考える上で貴重なものだったからであろう。
    しかし、あるときから柳田は菅江真澄からはなれていったという。
    菅江真澄の歩いて記録したのは、東北といっても日本海側に偏っていて、三陸などの記録はほとんどなかった。
    柳田が日本の普遍的な民俗学を考えるとき、菅江真澄から視点を変えたのだろうか。

    遠野物語と菅江真澄は、柳田の民俗学を考える上でキーワードともいえるものだろう。


    [No.16350] 今日は何の日・1月1日 投稿者:   投稿日:2011/01/01(Sat) 05:37
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    みなさん、明けましておめでとうございます。

    今日は何の日、1月1日
    元日(New Year's Day)
    新年の幕開けの日。年のはじめを祝う国民の祝日。
    1948(昭和23)年7月公布・施行の祝日法によって制定された。
    元旦
    「旦」は「日の出・朝」の意味で、「元旦」とは1月1日の朝を指す。

    初詣
    年が明けてから、初めて神社仏閣に参拝すること。
    氏神様やその年の恵方に当る方角の社寺にお参りをして、その年の無事と平安を祈る。「恵方」とは、その年の福徳を司る神「歳徳神」の所在する方角のことで、何事をするにも最も良いとされる方角のことである。

    若水
    元日の早朝に井戸から水を汲んで神棚に供えること。またその水のことも「若水」と言う。
    朝早く、まだ人に会わないうちに汲みに行き、もし人に会っても口をきかないしきたりだった。若水は一年の邪気を除くと信じられ、神に供えた後その水で家族の食事を作ったり、口を漱いだりお茶を立てたりした。

    四方拝
    天皇が、午前5時半(昔は寅の刻)に束帯を着て神嘉殿の南座(昔は清涼殿の東庭)に出御し、皇大神宮・豊受大神宮・天神地祇・天地四方・山陵を拝し、宝祚の無窮・天下太平・万民安寧を祈る儀式。

    少年法施行の日
    法務省刑事局が実施。
    1949(昭和24)年、昨年7月15日に公布された「少年法」が施行された。
    20歳未満の少年の健全な育成を目的としている。

    神戸港記念日
    1868年1月1日(旧暦1867(慶応3)年12月7日)、神戸港が外国船の停泊地として開港した。
    神戸港は、横浜港と並ぶ日本の二大国際貿易港で、神戸市発展の原動力となった。

    1946(昭和21)年 人間宣言。昭和天皇が戦後最初の年頭詔書「新日本建設に関する詔書」で自己の神格を否定

    1948(昭和23)年 皇居の二重橋が初めて一般開放。初の国民一般参賀2日間で13万人

    1963(昭和38)年 フジテレビで日本初の連続テレビアニメ『鉄腕アトム』の放送開始

    1979(昭和54)年アメリカと中華人民共和国が正式に国交恢復。中華民国(台湾)と断交

    2002(平成14)年 ヨーロッパで新通貨「ユーロ」の流通開始

    今日の誕生日の花:マツ
    花言葉:不老長寿、向上心
    今日の一句:青空にきず一つなし玉の春   一茶

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.16349] 永六輔:お家繁盛 町繁盛 投稿者:   投稿日:2010/12/31(Fri) 09:56
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    「門前町」には元気がないという話を聞き、永六輔は1997年に「門前町サミット」なるイベントの総合司会を引き受けた。
    それが縁で、1999年に成田山新勝寺の門前町である成田市で、由緒ある旅籠の大広間を利用して落語会を開催した。それも会場を一日に五回も変えて行った。
    この本は、そのときの司会の永六輔の前口上(前説)をまとめたものである。

    お不動さんの商店街でクリスマスセールをする時代です
     成田山の表参道には、両側に商店街が並んでいる。その商店街が並んでいるなかにも、いかにも成田だなという老舗と、それから新しいデザインの、新しい感覚、新しい商品というお店とは様子が変わってきますね。
     昔はこの門前町に七十軒以上も旅館があったんだそうです。
     今は十本の指が折れません。で、数えられるなかでも、おみやげ屋さんとして、あるいは食堂としてがんばっている元旅館もあります。つまり、そのことだけ考えても、門前町が変わってしまっているということがよくわかります。
     まして町はずれに大きなジャスコのショッピングセンターが間もなくできる(2000年オープン)。
     その向こう側には空港があって、そこには世界の百貨店みたいなショッピングセンターがある。
     で、これは大変だぞ、という危機感があって、その危機感があるために、何か町を活気づけよう、町にあるものをうまく活かして使おう。
     とにかく、多くの方に、この表参道を通ってお参りしていただこうという思いがあるんですが、一方で、真剣にお参りをすれば御利益があると信じられる。そういう時代ではないんですね。今は。
     つまり、インターネットの時代に、お参りをすれば商売繁盛、町繁盛になるかというと、そんなことを信ずる人はいないといってもいい。信仰心というものはないに等しいんです。
     この成田のお不動さんの商店街ですら、クリスマスにはクリスマスセール、バレンタインデーだとチョコレートを売ったりするんですよ。そういうキリスト教の行事でお不動さんがどんな顔をしているか。
     でも、これは日本人の本質なんですね。お不動さんがいるときはお不動さん、都合のいい時に都合のいい信仰をしてきました。

    ピーコと佐倉義民伝の関係
     成田といえば、お不動さんと佐倉惣五郎という人がいる。
     「佐倉義民伝」の「義」の字の話ですが、赤穂義士の「義」の字もそうですが、「義」という字には補うという意味があります。
     だから、義眼というのは目を補うものなんです。義手、義足の義の字も、みんな補うということです。足を補うのが義足で、手を補うのが義手なんです。
     私の友だちに義眼の友だちが二人いまして、そのうちの一人がファッション評論家のピーコです。
     彼は義眼です。
     ピーコはメラノーマという目のガンになりました。
     早くガンだとわかったんで、よかったんですけど、とにかく取らなければいけない。取らないと左にも転移する。目は二つしかありませんから、失明することになりますよね。だから思い切って取れというので取ったんです。
     ガンというのは、どこのガンであっても告知されるのは、けっしていい気持ちではありません。
     で、夜中に電話がかかってきて泣くんです。電話口で「目がなくなっちゃう、目がなくなっちゃう。私はガンだ。もう死ぬ」とか、いろいろ大騒ぎするんです。
    (このあと、永六輔は目がなくなってしまっても、長谷川きよしとか、高橋竹山とかいるじゃないか、悪い方の目だけ取ってしまえばいいなど、ピーコの泣きの電話に、怒って説得対応する。ピーコがあちこちに訴えたらしく、淀川長治や黒柳徹子から、もっとやさしくしてあげなさいという電話もかかってくる。
    みんなが慰めればいい。中には一人ぐらい慰めないのがいると、本人も何をという気になる。そのことが大切なんだと永六輔はやり返すのです)
     「厚情必ずしも情ならず。薄情また情なり」(坂本龍馬)
     永六輔は、目を取ったピーコに元気を与えようと、みんなで相談して義眼をプレゼントすることになる。
     一番いい義眼は誰かなと思ったら、イギリスのロックシンガーのデビッド・ボウイの義眼なんです。
     見ていると義眼だとわからないんです。わからないだけではなくて、義眼なのに動くんです。
    (そこで、その義眼をつくっているという東京の会社に相談したら、一番いい義眼は十万円だという。そこで一人一万円ずつ十人に声をかけて集めたという。
    しかし、できたら百万円だった。酒を飲んだら酔った目が必要。テレビに出れば照明がきついと瞳孔が閉まる。生きているほうだけ瞳孔が閉まっていてはいけないから、テレビに出るときの目が必要。それから花粉症とか、充血したりするときの充血した目が必要というわけで十個そろって百万円。
    さすがに困った永六輔は駆け回りなんとか百万円を集めたという)

    日本人の宗教って不思議ですよ 
     イスラム教とかキリスト教の場合、旧約聖書とか新約聖書というものがありますけども、あの「約」は誓約なんです。
     イスラム教やキリスト教がいかに神様と契約するか、私はこれだけのことをする、だから神様はこれだけのことをしてくださいというかたちで信者になるんです。約束事をしているんです。
     日本の場合、仏教も、神道も、そういう約束はしないんです。つまり、手をたたいたり、お賽銭をあげたりとか、いろいろしますけれども、それっきりです。
     宗教というものを無理に手短に話します。
     宗教というものは、神様があって、組織があって、教団があってという、いわゆる、われわれが知っている宗教の姿を最初に作るのはユダヤ教です。
     つまり、ユダヤ教以前のものは、原始宗教というかたちで、雷様が鳴るとたたりだとか、洪水になったり津波がきたりすると、全部、神様が怒っていらっしゃるんだと考える。
     そういう原始宗教が、人間の生き方について考えるようになり、人間は正しく生きなければいけない。正しく生きようというのがユダヤ教です。
     そのユダヤ教が、はじめて教団というものを作って、そして、デウス(ヤーヴェ)の神が生まれます。
     で、ユダヤ教徒だったキリストとマホメットから、それぞれ別の宗教が生まれます。
     キリストの教えがキリスト教です。マホメットの教えがマホメット教です。
    (このあと、イスラム教の戒律の話やキリスト教の愛の考え方の説明があり、仏教の慈悲の心の説明があるが省略します)

       ーーーーーー

    この本には
     「そのユダヤ教が、はじめて教団というものを作って、そして、”ゼウス”の神が生まれます。」と書いてあるが、ゼウスはデウスの間違いだろう。ゼウスではギリシア神話になる。
     もっとも初期のキリスト教では、意識的にギリシア神話のゼウスに似たデウスという言葉を使ってキリスト教を説明したという説もあるが。
    なお「””」はわかりやすいように私が付け加えました。

    ユダヤ教徒だったキリストとマホメットから、それぞれ別の宗教が生まれます。
    という永六輔の説明には、はっとした。
    たしかにユダヤ人のキリストはユダヤ教の世界の中にいた。ただ、日常にあわない戒律や頭の固いパリサイ人たちを批判して、日曜日に働くなと言っても、穴に落ちた羊は助けるのは必要だとか遠慮しないでどしどし攻撃するから、保守派からうとまれて死刑にされてしまった。
    キリストは新しい宗教を興すつもりはなかったが、キリストも弟子たちもユダヤ教からはげしく迫害されたため、新しい宗教をつくるほかはなかった。

    親鸞も自分が新しい宗教を興そうという気はなかったという。師匠法然の教えをひたすら実行したつもりだった。だが、弟子たちが法然のではなく親鸞の新しい宗教をつくってしまった。

    マホメットも実はユダヤ教徒だったのだろうか。
    ユダヤ教はユダヤ人しか信仰できないことになっている。
    もっとも、人種など越えてユダヤ教を信ずればユダヤ人なのだが。
    アラビアの世界の人種であったマホメットも密かにユダヤ教を信じていたのかもしれない。
    だが、ユダヤ教はユダヤ人しか認めないという強い戒律とか偏見があったので
    アラビア人によりあったイスラム教をつくったのだろうか。
    マホメットがユダヤ教を信じていた証拠は、旧約聖書を聖典としていること、アラビア人の先祖もアダムとイブだとしてることなど、いくつもあげることができる。(豚を食べることのタブーや割礼という共通の戒律がある)

    成田山の表参道のクリスマスセールみたいなのが
    明治神宮の表参道にもやっぱりあるのだろうか。


    [No.16348] 今日は何の日・12月31日 投稿者:   投稿日:2010/12/31(Fri) 05:45
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    みなさん、今日は
    今日は何の日:12月31日
    月末のことを晦日[みそか]・晦[つごもり]と言い、年末の最後の晦日なので大晦日・大晦という
    1年の終りの日。
    年越し蕎麦を食べる習慣は江戸時代中期から始ったものである。元々月末に蕎麦を食べる習慣があり、大晦日のみにその習慣が残った。金箔職人が飛び散った金箔を集めるのに蕎麦粉を使ったことから、年越し蕎麦を残すと翌年金運に恵まれないと言われる。

    除夜
    大晦日の夜のこと。かつては一年の神「歳神」を迎えるために朝まで眠らずに過ごす習慣があった。
    除夜には各家庭で年越し蕎麦が食べられ、寺では除夜の鐘が撞かれる。
    除夜の鐘は108回撞かれる。眼・耳・鼻・舌・身・意の六根のそれぞれに苦楽・不苦・不楽があって18類、この18類それぞれに浄・染があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、これは人間の煩悩の数を表すとされている。また、月の数12、二十四節気の数24、七十二候の数72を足した数が108となり、1年間を表しているとの説もある。

    シンデレラデー
    夜の12時までに帰らなければならないシンデレラのように、1年で一番夜の時間が気になる日であることから。

    寅彦忌,冬彦忌
    物理学者・随筆家の寺田寅彦(吉村冬彦)の1935(昭和10)年の忌日。

    1909(明治42)年 ニューヨークのマンハッタン島とブルックリンを結ぶマンハッタン橋が完成

    1927(昭和2)年 NHKラジオで上野・寛永寺の除夜の鐘を放送。翌年から除夜の鐘の放送が恒例に

    1931(昭和6)年東京・新宿に軽演劇の劇場「ムーランルージュ新宿座」が開場

    1953(昭和28)年 紅白歌合戦が初の公開放送。この年から大晦日の放送となる

    1988(昭和63)年 今給黎教子が女性初の太平洋単独横断に成功

    今日の誕生日の花:アオキ
    花言葉:若く美しく
    今日の一句:また一つ風の中より除夜の鐘   岸本尚毅 

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.16347] Re: 今日は何の日・12月29日 投稿者:   投稿日:2010/12/30(Thu) 20:29
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    みなさん、まいど。

    > 今日は何の日、12月29日

    > 清水トンネル貫通記念日
    > 1929(昭和4)年、上越線の土樽〜土合の清水トンネルが貫通した。

    > 全長9704mの当時日本最長のトンネルで、7年の歳月とのべ240万人の工事動員を費して完成した。

    > 1934(昭和9)年 主力艦の保有比率を定めた「ワシントン海軍軍縮条約」の破毀を米国に通告

     清水トンネルもできたし、経済も上向いて来ていたのに、軍部官僚は阿呆やったなあ。

                               Toshichan in Kyouto-fu


    [No.16346] 安恒理:知っておきたい名作マンガのあらすじ 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/30(Thu) 07:45
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    有名なマンガでも
    一つのマンガについて
    あんがい全部を読んだことがない。こうしてみると断片しか知らなかった。

    巨人の星 
     原作:梶原一騎 絵:川崎のぼる
     大リーグボールは1号から3号まであったとは。
    あしたのジョー
     原作:高森朝雄 絵:ちばてつや
     山谷のドヤ街にある泪橋、ここに丹下段平がジムを構えていたという。
    ハリスの旋風
     作:ちばてつや
     アニメでは、主人公石田国松の声を大山のぶ代が演じていた。
    はいからさんが通る
     作:大和和紀
     花村紅緒の許嫁伊集院忍陸軍少尉の母はドイツ人だった。
    めぞん一刻
     作:高橋留美子
     主人公は音無響子と五代裕作。「うる星やつら」との区別がなかなかつかない。
    沈黙の艦隊
     作:かわぐちかいじ
     このマンガでコミックモーニングは売り上げを伸ばした。
    宇宙戦艦ヤマト
     作:松本霊士
     テレビアニメとして企画され、同時にマンガ化も進められた。  
    火の鳥
     作:手塚治虫
     火の鳥は不滅なのに、時代とともに国や民族は滅亡していく。
    河童の三平
     作:水木しげる
     兎月書房から貸本として出た作品をもとに週刊少年サンデーに連載された。
    サスケ
     作:白土三平
     プロレタリア画家の父岡本唐貴の影響を受け唯物史観マンガと言われている。


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