続 表参道が燃えた日 (抜粋)
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- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録9 (編集者, 2011/10/24 6:46)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録10 (編集者, 2011/10/25 6:43)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録11 (編集者, 2011/10/26 7:07)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録12 (編集者, 2011/10/27 7:55)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録13 (編集者, 2011/10/28 7:26)
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投稿日時 2011/8/14 16:11
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
はじめに
スタッフより
この記録は「表参道が燃えた日-山の手大空襲の体験記-」からの続編です。
転載に当たっては編集委員会のご了承をいただいております。
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カバー表
「青山同潤会の井戸」木村万起
(油絵 90.9×72.7cm)
撮影小野静穏
戦災犠牲者追悼碑
表参道みずほ銀行前
2007年1月、有志たちの署名によって建てられた。この建立がきっかけになって、戦災体験記が翌年発行された。
みずほ銀行側の灯籠
灯籠には亡くなった人の血と脂が黒く惨みこみ、いつまでも消えなかった。台座には焼夷弾によって欠けた跡が残っている。
はじめに
平成二十年二月「表参道が燃えた日」の初版が発行され、その後版を重ね増補版も出版されました。私も哀しい思い出として、子供にも話さなかった経験を、編集委員の方に誘われ、何時かは伝えなくてはと執筆しました。その縁なのでしょう、その後種々の会で語り部として、お話をすることになりました。その席では、表参道以外で空襲に遭われた方が、胸の内の思いを述べられました。「表参道が燃えた日」の本を読み、今まで楽しい思い出は残していたが、悲しく嫌な思い出は忘れたいと、子供や孫にも閉ざしていた口を、次の世代に伝える大切さ、又、戦中戦後の苦しみを共感出来る仲間を見付けた思いなのでしょうか、編集委員会に多くの原稿が寄せられました。
その思いを生かそうと今回新たに「続 表参道が燃えた日」が刊行されることになりました。この度の刊行では、青山・原宿・穏田の表参道近辺に限らず五月二十五日の空襲で被害を受けた、周辺地域からの体験記も掲載しました。
編集に同席し、既刊を含め読み直しますと、空襲当時小学児童や中学生徒だった人が多く、次に成人女性に占められていました、男子大学生や成人男性は工場に動員され、また戦場に赴いていたのでしょう、寄稿が殆ど見られません。
空襲時に学童・学生・社会人・主婦・軍隊生活をしていた、それぞれの年代や立場で実体験の度合い、感じ方で微妙に異なるのを、本書を読み気が付かれると思います。
三月十日の本所・深川を中心とした下町大空襲と比べ、表参道を中心とした山の手の大空襲は余り人の口にのぼらないのは、現在若者達の憧れの地である表参道のイメージからでしょうか。むかし、明治神宮に向かって右側は、三階建て黄土色の同潤会アパートが長屋の様に軒を連ね、左側は坂の上から下まで石垣で、その上にお屋敷が立ち並び、夕暮れになるとケヤキ並木の梢の先に小さな蝙蝠が飛び交っていました。
その様な穏やかな住宅地であった青山や表参道に、空襲直後の参道の坂道に、多数の焼夷弾が刺さっていたり、黒焦げの遺体が横たわっていた状況などを、想像するのは難しいのでしょう。
それだからこそ、体験者である我々には、山の手大空襲で起きた表参道の悲惨な事実と歴史を伝え、戦争回避の声を語り継ぐ責務が有ると信じています。
このたび編集委員に加わりましたが、この「まえがき」は、「続 表参道が燃えた日」の発行を待たず亡くなられた、私と青南小学校の同期生で前任の編集委員児玉昭太郎さんに、捧げます。
児玉さんは同期生で唯一人広島原爆の体験者でした。
二〇一一年五月
泉 宏