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続 表参道が燃えた日 (抜粋) 16

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通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 16

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/8/29 7:33
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 赤坂区青山北町
      六丁目












 恐ろしく悲しい大空襲の記憶
 平田 諦(ひらた てい)

 昭和二十年一月一目、それは大変寂しいそして静かなお正月でした。外には羽根つきの音もなく子供たちの遊び声も聞こえなかった。この年には子供達はみんな疎開していて、もう青山に子供達の姿はなかった。この日、この前年十一月より敵B29の来襲によって毎日必ず鳴っていた警戒警報の「ポー」が聞こえなかった静かな正月であったと記憶している。私は父と二人で塩の汁にうどん粉のダンゴの雑煮らしきもので正月のお祝いをした。餅は高嶺の花で手に入らなかった。
 母は弟二人を連れて埼玉の方に疎開、兄は旧制一高の寮に、妹は青南小五年で学童疎開、家には父と私しかいなかった。私は中学二年(正則中)でした。
 
 この年、戦局は益々悪化、二月には硫黄島が玉砕、敵機B29による空襲は毎日のように日本都市を襲った。「本土決戦」が叫ばれ国民は竹槍で敵を打つべく毎日必死に稽古していた。三月九日の夜、東の空が真っ赤に染まった。東京下町大空襲である、B29爆撃機三百機による焼夷弾の雨、死者八万人、家屋焼失二十七万戸、東京の下町は焦土と化した。この空襲で私は中学の友三人を失った。

 そして運命の日、五月二十五日、空襲を知らせるサイレン「ボー・ポー・ボーボー」が鳴り響いた。気のせいかいつもより重く感じた。父が起きて来て「いやな予感がする、今夜の空襲は危ない早く支度しろ」と言った。急いで仕度、荷物をいっぱい持って父と共に家を出た。

 私の家は青山北町六丁目五十一番地、地下鉄神宮前駅(今の表参道駅)近くの岡田薬局と木村タバコ店の間を入った路地の奥にあった。電車通り(今の青山通り。当時は都電二路線が走っていた)に出て左百メートル表参道の交差点に着いた。時間が早かったせいかあたりはまだ静かだったが風が強く、遠く明治神宮方面と渋谷方面の空が赤く染まって見えた。私は安田銀行(今のみずほ銀行)のそばで友達と話しながら情勢が静まるのを待っていた。

 空を睨んで情勢を見ていた父が急に「ここは危ない。逃げよう、荷物を捨てるんだ」と言った。
 急いで家にとって返し、荷物を捨てた。物資のない頃荷物は貴重品だったが、この荷物を捨てたのがこのあとの明暗を分けたのだ。父は後に「明治神宮の方に逃げるつもりだったがあの時青山墓地に変えたのだ」と述懐していた。再び表参道の交差点に来たとき、情勢は一変していた。四方の空は深紅に染まり、上空は黒雲が覆い、風がゴオーゴオーと吹き荒れた。

 私と父は一緒に居た私の友達二人と四人で青山墓地に向かって逃げた、途中ここかしこ燃えていたが、なんとか無事に青山墓地にたどり着いた。翌朝、明るくなって墓地を出て驚いた。家は一軒もない。一面焼け野原、我が愛する青山は焦土と化していた。青山通りに出て渋谷方面に向かった。遠くに東横デパート(今の東急)が見え、右に青山電話局、左に青山郵便局の焼けた残骸が見えた。その間はただ焼野原だった。現在のビル林立、広く美しい青山通りから誰が想像できようか。

 青山五丁目に差し掛かって世にも恐ろしい光景を見た。右に左に死体が散乱していた。そしてその死体は髪の毛も衣類も焼けて男女の区別もつかず見るも無残なものだった。表現が悪くて申し訳ないが丁度デパートのマネキン人形のようだった。この焼死体が延々と続いた。青山警察の前では多分御一家だろうか、円く抱き合って亡くなっていたのを見たとき涙が自然にこぼれ出てきた。

 そして表参道、そこで見た光景はなんとも恐ろしく悲しい姿、まさに地獄絵そのものだった。黒こげの死体、マネキン人形の死体、ミイラみたいな死体、百体ぐらいが重なり合って亡くなっていた。また石灯寵の周りには余程苦しかったのだろう、石灯龍にしがみついているいくつかの焼死体があり、石灯龍にはこの人達の涙と恨みの黒いしみがついていた。そして六十五年経った今もそのしみはかすかに残っている。また参道の中央で正座して両手を合わせ明治神宮を拝んでいた焼死体もあった。昨日まで元気にともに遊んでいた二人の友の亡き姿もあった。この恐ろしくあまりにも残酷な光景は今も私の脳裏に焼きついている。

 当時の表参道は入口左右に石灯籠があり、欅の並木がはるか明治 神宮まで続く静かな通りだった。表参道ヒルズをはじめ多くの商店が並ぶ現在の賑やかな表参道を美しく着飾った若者たちが歩く姿を見るとき、戦争の怖さと平和の有難さをしみじみ感じる今日である。

 平成二十二年十月記
 
 (赤坂区青山北町六丁目)

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