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続 表参道が燃えた日 (抜粋) 60

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通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 60

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/10/14 6:38
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 母親の悲しみ
 村井 恵以子(むらい けいこ)その2

 それから二十二年後のこと、私の四歳の息子が四階の窓から転落して生死の境をさまよった時、無事回復はしたのですが、私自身の不注意を責め落ち込んでいた私に、母は誰にも話せなかった空襲の時の話を初めて話してくれました。

 家が焼け始め、防空壕から妹の手を引いて飛び出し、そばにあった非常持ち出しのリュックを取ろうとして一瞬手が離れた時、火に追われて逃げて来る近所の人の波に飲み込まれた。名前を呼びながら追いかけ、見つからず、また戻ったりして探し回ったけれど、後ろから火に追われ、道ばたに掘ってある塹壕のような穴に飛び込んだとたん、火が上を這って蓋(ふた)をした状況になったそうです。母は子供もいなくなってしまったし、このまま死んでもよいとへたり込んでいました。

 その時、母と同時くらいに壕に飛び込んできた赤ちゃんを背負い、三歳ぐらいの男の子の手をひいた若いお母さんが大声で「助けて下さい!助けて下さい!」と叫び始め、その声を聞いた逃げる途中の兵隊さんが「水をかけるから飛び出せ!」と言ってバケツで水を頭から何杯もかけてもらって壕から飛び出し、近くの戸山ケ原へ皆逃げて行ったそうです。

 火も治まり子供を探しながら焼け跡にもどり、近所の方々にも子供を見かけなかったか聞き回り、小さな子供の遺体があると聞けば見に行き、新宿から四ッ谷の方まで迷子はいないか、孤児はいないかと何日も探し回ったそうです。母の黒々とした髪の毛は一夜にして真白になりました。ついに諦めた母は私たち姉妹に逢いたくて、上野まで歩いて運行している区間だけ汽車、または荷物列車に乗り、あとは線路を歩き、二目かけて群馬県安中にたどり着き、そこから二里、炎天下を私たちのいるお寺を目指して歩いて来たのです。

 あの時一緒に壕に飛び込み、大きな声で助けを呼んだ若いお母さん、そして小さな二人の子供は無事大きくなったかしら、あのお母さんがいなかったら、私はあの壕の中で蒸し焼きになって死んでいただろうと、つくづく話しました。

 行方不明になった章子は、近くの五日市街道の小滝橋には、東京湾にそそぐコンクリートで固められた下水道が流れていて、火に追われて多くの人が川に落ちたり、飛び込んだりしたそうですが、章子もその川に落ちて海に流されたのではないかと言っていました。

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