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続 表参道が燃えた日 (抜粋) 17

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通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 17

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/8/30 9:03
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 山陽堂さんに助けられて
 若林 加寿子(わかばやし かずこ)




 空襲のあった頃、私は善光寺さんの裏に住んでいました。
 五月二十五日の晩は具合が悪くて寝ていましたが、母が掻巻(かいまき)(綿入れの夜着)を掛けてくれてすぐ逃げるようにと言い、私は妹と二人で外へ出ました。母は隣組の仕事があるので見回りをしてから逃げるからと言って出て行きました。

 表参道に来たら風がひどく、掻巻があっという間にくるくると飛んで行き、球のように飛ばされ、電柱にぶつかりパッと燃えました。その時の光景が今でも目に浮かび忘れられません。

 山陽堂書店さんの戸をたたいて、何人か入れていただきました。周りを見渡しましたら姉がいましたので喜び、どんどん燃えている外を怖々見ながら、母がどうしているか心配で生きた心地がしませんでした。

 どのくらいの時間が経ったのかわからない時、ごめんなさい、ごめんなさいと二、三人の女性の声が聞こえ、中に入ってきました。その一人の声が母の声に似ているので見ると、母は両手と顔に大火傷をして入ってきました。びっくりしましたが、火傷の手当てをし、三人で母の傍にいました。父は青山墓地に逃げて助かりました。
 
 山陽堂さんには本当に、感謝しています。善光寺さんは実家の菩提寺で時々お参りにいきます。
                              
 (赤坂区青山北町六丁目)

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