続 表参道が燃えた日 (抜粋) 42
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続 表参道が燃えた日 (抜粋) (編集者, 2011/8/14 16:11)
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- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 50 (編集者, 2011/10/2 9:50)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 51 (編集者, 2011/10/3 7:55)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 52 (編集者, 2011/10/4 7:48)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 53 (編集者, 2011/10/5 6:48)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 54 (編集者, 2011/10/8 7:38)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 55 (編集者, 2011/10/9 6:57)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 56 (編集者, 2011/10/10 7:13)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 57 (編集者, 2011/10/11 7:45)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 58 (編集者, 2011/10/12 6:42)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 59 (編集者, 2011/10/13 6:59)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 60 (編集者, 2011/10/14 6:38)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 61 (編集者, 2011/10/15 7:37)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録 1 (編集者, 2011/10/16 9:46)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録2 (編集者, 2011/10/17 7:28)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録3 (編集者, 2011/10/18 7:01)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録4 (編集者, 2011/10/19 6:34)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録5 (編集者, 2011/10/20 7:21)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録6 (編集者, 2011/10/21 11:32)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録7 (編集者, 2011/10/22 7:49)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録8 (編集者, 2011/10/23 7:42)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録9 (編集者, 2011/10/24 6:46)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録10 (編集者, 2011/10/25 6:43)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録11 (編集者, 2011/10/26 7:07)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録12 (編集者, 2011/10/27 7:55)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録13 (編集者, 2011/10/28 7:26)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録14 (編集者, 2011/10/29 6:57)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 編集後記 (編集者, 2011/10/30 7:04)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
赤坂区一ツ木町
新町三丁目
表町四丁目
赤坂の空襲
阿川 君子(あがわ きみこ)その1
浄土寺 昭和16年頃
阿川君子氏提供
私の家は太田道潅開基の浄土寺という寺院で、江戸初期から赤坂一ツ木に寺地を拝領していた空襲当時、父が住職であった。
昭和二十年三月十日の下町の大空襲から、これはいよいよ危険になって来たという感じで、わが家でも真剣に防空壕を作り始めた。庭の高くなっている所を掘って大きな甕をいれ、そこにお寺の過去帳や地図等、油紙に包んだ重要書類を入れて埋め込んだ。
三月十日は山の手の被害は少なかったが、下町の浅草、深川などは関東大震災をもしのぐ被害をうけ、死傷者数多数にのぼったという。赤坂から見るとはるか日枝神社から三宅坂方面の空が赤く、下町がやられているらしいという情報であった。サーチライトにとらえられたB29は、高射砲が炸裂する中を悠悠と飛んでいた。翌日から二、三日の間は、舞い上がった煙と塵で空はどんよりと曇り、太陽が赤い丸になって見えていた。
四月に入って東京は二度大きな空襲があり、連日連夜のラジオは「敵らしき数目標南方洋上を北上しつつあり」という東部軍管区情報を伝え、敵らしき数目標が伊豆半島を北上して右へ行くか左へ行くか、右へ来れば関東地区空襲警報発令となった。
五月二十三日深夜から二十四日早朝にかけて大規模な空襲があり、城南地区が大きな被害をうけた。この時、東の空に、丁度花火が破裂したように上空で割れた焼夷弾が無数の赤い点となって落ちて来るのがみえた。モロトフのパン籠という名称だったと覚えている。この空襲で私の通学していた六本木の都立第三高女(駒場高校)が焼けた。大空襲の後は都電が止まってしまうので青山一丁目から六本木へ歩いて行った。六本木から一の橋にかけて一望の焼野原の中に、芋洗坂を下りた所にそびえていた校舎は跡形もなく、グランドピアノの残骸だけが僅かに形を保っていた。
浄土寺の墓地が桐ケ谷にあり、そちらが焼けたらしいというので父が徒歩で見に行った。焼夷弾がたくさん落ちて墓石が多数倒れ、お堂も焼けて、本尊様だけは防空壕に入れてお守りしてあって無事だった。そこで父が赤坂にお連れしようといって持ち上げようとするといかにも重くてあがらなかったという。一メートル弱のほっそりした木像の仏様なのに不思議なこともあるものと思い、「自分も疲れているから又来ましょう」 と言って帰って来たという。その次の日に赤坂が焼けようとは人間にはわからなかったが、不思議なこともあるものだと父は後年までよく話していた。