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続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録9

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通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録9

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/10/24 6:46
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 東京空襲のあらまし

 東京への米軍の初空襲は、昭和十七年四月十八日のドゥリットル爆撃隊長のB25中型爆撃機による空襲である。B25はミッドウェイ島沖の空母ホーネットから十六機が飛び立ち日本上空に侵入、東京のほか川崎、横須賀、名古屋、神戸を爆撃した。その後約二年半、米軍機は東京には姿を見せなかった。

 本格的に空襲が始まったのは昭和十九年十一月二十四日からである。米軍は十九年七月にサイパン島を占領すると、サイパン、テニヤン、グアム島の飛行場からB29が飛び立った。二十年二月までは主として軍需工場に対して、昼間、約一万メートルの高々度から、目視による精密爆撃であった。軍需工場の上空が雲に蔽われている目には、市街地に無差別爆撃を行った。焼夷弾爆撃も増えてきて、二月中旬には航空母艦からの艦上機が大量に襲来し、機銃掃射をした。三月から五月にかけては夜間超低空のB29よる焼夷弾無差別攻撃。終戦までの東京周辺のB29よる爆撃、艦上機、P51どによる機銃掃射による攻撃が特徴である。


 東京大空襲

 一般に「東京大空襲」というと、二十年三月十日の下町への空襲を指す場合が多い。被害の大きさが東京の空襲を代表しているという意味でもある。三月十日午前零時八分に始まったB29百三十四機による二時間半にわたる無差別絨毯爆撃(焼夷弾一六六五トン)で、下町全域は焦土と化し、死者は十万人を超えた。

 大戦中、二日の死者が十万人というのは広島に次ぐもので、世界にも例がない。

 世界の無差別爆撃による死者数(概算)を示すと、

 一九三七年四月           ドイツ軍によるスペイン・ゲルニカ空爆   二千人 
 一九三八年二月~四三年八月  日本軍による中国・重慶空爆        二万人
 一九四〇年九月~十一月     ドイツ軍によるイギリス・ロンドン空爆     四万人
 一九四五年二月           米英軍によるドイツ・ドレスデン空爆    三万五千人

 三月十日の空襲を指揮したカーチス・ルメイ司令官は、東京以外の都市にも、にも関与した。戦後日本の自衛隊の育成に尽力したという理由で、日本政府から勲一等旭日大綬章が授与された。
 二千人二万人四万人三万五千人また広島、長崎の原爆投下にも関与した。戦後日本の自衛隊の育成に尽力したという理由で、日本政府から勲一等旭日大綬章が授与された。

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