続 表参道が燃えた日 (抜粋) 18
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続 表参道が燃えた日 (抜粋) (編集者, 2011/8/14 16:11)
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- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 61 (編集者, 2011/10/15 7:37)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録 1 (編集者, 2011/10/16 9:46)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録2 (編集者, 2011/10/17 7:28)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録3 (編集者, 2011/10/18 7:01)
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- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録11 (編集者, 2011/10/26 7:07)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録12 (編集者, 2011/10/27 7:55)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録13 (編集者, 2011/10/28 7:26)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録14 (編集者, 2011/10/29 6:57)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 編集後記 (編集者, 2011/10/30 7:04)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
創業一二〇周年の山陽堂書店
萬納 昭一郎(まんのう しょういちろう)
リニューアルされた山陽堂書店
平成23年5月
表参道と青山通りの交差点にある山陽堂書店は、空襲の時多くの人を店内に避難させ、その命を救いました。オリンピックのための道路拡幅で、建物は三分の一に削られましたが、同じ地で営業を続け、平成二十三年の三月、創業一二〇周年を迎えました。
その集いのときの萬納昭一郎さんの挨拶の一部を抜粋いたします。昭一郎さんは初代の孫に当たる方で、神奈川県生麦で山陽堂書店を開いておられます。(編者)
創業者である、萬納孫次郎は明治元年に岡山県で生まれました。
家業はかつて池田藩の御用商人をしており、「萬納屋善六郎」 を代々名乗っていました。祖父は幼児期に母親と死別し、その後父親は再婚しましたが、その父親も祖父も十五歳の頃他界しました。どのようないきさつからなのか、祖父は単身上京し新聞販売業などに従事し、明治二十四年頃青山で新聞販売と古書店を始めました。その後新刊書を扱うようになり、子・孫・ひ孫があとを継ぎ現在に至っております。
以上の経過から、名字を「萬納」、屋号を「山陽堂」としたと聞いております。
私は生まれてから中学二年の夏まで青山で暮らしておりました。(略)
東京府東京市赤坂区青山北町六丁目十四番地が私の最初の本籍地であり、今の山陽堂がある場所です。物ごころがついた頃は山陽堂は青山通りの筋向かいにあり、今の道路の中程に建っていました。古い感じの古書店だったのではないかと思います。(略)
山陽堂が今の場所に移転したのには事情がありました。かつて明治神宮の隣に代々木の練兵場があり、毎年、年の始め、陸軍の記念日や四月二十九日の天皇誕生日などに練兵場で観兵式が行われていました。
天皇が馬車に乗って通って行く道すじに市電のレールがあり、馬車が通るとすべる恐れがあったのか、天皇が往復する際には市電を一時停めて、レールの上に幅三メートル、厚さ十センチ位に砂を敷き詰め、その砂の上を馬車が通っていきました。砂の量や人力などは大変なものであったろうと思います。
そこで政府は市電の上を通らなくてもすむように新しく道路(行幸(みゆき)道路)を造ることにし、そのため山陽堂をはじめ多くの住宅が強制的に撤去されることになりました。
祖父萬納孫次郎は移転先として今の場所を選びましたが、この場所には以前豆腐屋があって水を使っていたため井戸がありました。
山陽堂は鉄筋コンクリート三階建てを造った際、井戸を潰さずに地下室に井戸の口をつけました。この井戸が戦災で青山一帯が火の海になったときに思わぬ威力を発揮したわけです。現在その井戸はありませんが、山陽堂の建物は今でも戦火をくぐりぬけてきた柱と壁が支えてくれています。
(赤坂区青山北町六丁目)