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続 表参道が燃えた日 (抜粋) 9

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通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 9

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/8/22 6:50
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 青山つれづれ
  まさか青山が燃えるなんて その1
 上野 正雄(うえの まさお)



 青山。私のふるさと青山、青山南町六丁目。我が家は、表参道と青山通りの交差点から目と鼻の先、縁の多い静かな住宅地だった。春は桜が咲き、秋はもみじの紅葉。落ち着いた美しい町であった。あちらこちらにゴマ柿が、枝もたわわに実っていた。イチジクも、ちょうど子どもの手の届く所に熟れていた。当時小学生だった私は、学校から帰ると、よく近所の家の塀を乗り越えてはカキ、イチジクを盗みに入った。家の奥から「コラー」という声が聞えて、一目散に塀をよじのぼり逃げた。近所の男の子と、両手にしっかり持っていた戦利品を、路上に座り込むなり噛り付いた。その美味しかったこと。今でも忘れられない良き思い出である。

 私の自宅から、明治神宮の鳥居まで約一キロの路。学校から帰ると、夕方まで代々木練兵場(今の代々木公園)の小高い山々を駆け巡った。長い竹竿の先にトリモチ(もちの木などの樹皮から作られるネバネバしたもの)を巻きつけるように付け、しなやかな竹竿を振り回しながらオニヤンマ捕りに夢中になった。帰りはトンボに糸をしばりつけて、得意げに何匹も家に持ち帰ったものだ。この辺りは天気の良い口、風の強い目などは砂ぼこりが舞上がり、空が黄色くなっていた。

 ある時は、都電青山車庫の裏側に池があり、ザリガニ、小鮒などを釣りに行ったりもした。家の近くの青山通り(今の246)に「青山日活館」(青山北町六丁目二二九番地)があって、「丹下左膳」が上映されていた。今はなき無声映画、弁士が画面を見ながら弁舌巧みに説明している風景が、子供心に焼き付いている。入場料は大人五十銭、子供二十銭だった。
 青南小学校の近くにある「大松稲荷」 の隣に、小さな駄菓子屋(安い材料で大衆的な菓子などを売っている店)があって、お婆さんが一人で店番をしていた。子供達がよくベーゴマ、ブロマイド、めんこなどを買いに来ていた。私はアンコ玉を一個五厘(厘は昭和二十八年十二月まで通貨として使用されていた。十厘で一銭)で買ったのを覚えている。

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