続 表参道が燃えた日 (抜粋) 54
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続 表参道が燃えた日 (抜粋) (編集者, 2011/8/14 16:11)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 2 (編集者, 2011/8/15 7:36)
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- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 10 (編集者, 2011/8/23 6:50)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 11 (編集者, 2011/8/24 8:50)
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- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 13 (編集者, 2011/8/26 6:43)
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- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 54 (編集者, 2011/10/8 7:38)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 55 (編集者, 2011/10/9 6:57)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 56 (編集者, 2011/10/10 7:13)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 57 (編集者, 2011/10/11 7:45)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 58 (編集者, 2011/10/12 6:42)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 59 (編集者, 2011/10/13 6:59)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 60 (編集者, 2011/10/14 6:38)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 61 (編集者, 2011/10/15 7:37)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録 1 (編集者, 2011/10/16 9:46)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録2 (編集者, 2011/10/17 7:28)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録3 (編集者, 2011/10/18 7:01)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録4 (編集者, 2011/10/19 6:34)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録5 (編集者, 2011/10/20 7:21)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録6 (編集者, 2011/10/21 11:32)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録7 (編集者, 2011/10/22 7:49)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録8 (編集者, 2011/10/23 7:42)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録9 (編集者, 2011/10/24 6:46)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録10 (編集者, 2011/10/25 6:43)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録11 (編集者, 2011/10/26 7:07)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録12 (編集者, 2011/10/27 7:55)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録13 (編集者, 2011/10/28 7:26)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録14 (編集者, 2011/10/29 6:57)
- 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 編集後記 (編集者, 2011/10/30 7:04)
編集者
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戦災の記録 YF その1
森 毅氏の人生二十年四回説によれば、二十年前の自分は赤の他人と言うくらいですから、六十五年も前の事は判然としない有様ですが、印象深かった事のみ書きますので順不同かもしれません。何かの参考になれば幸せです。
米軍の焼夷弾爆撃を受け、戦災にあったのは昭和二十年五月二十五日の夜から二十六日の朝にかけてです。実家は麻布山の中で一番表通りに近い光善寺(柳川)です。当時は山内に善福寺のほか八か寺ありました (略図参照)。家におりましたのは三歳年下の弟と、長年家におりましたお手伝いさんの「まつ」と私の三人だけでした。四月の空襲の後、祖母、下の姉、下の弟は富山県高岡市の従兄の寺(常念寺)に疎開していました。上の姉は疎開先へお米、調味料などを届けに行って留守でした。
「まつ」が生存しておりましたら周辺のことなど詳しく書けましたのに残念です。私たちは彼女は稗田阿礼(ひえだのあれ)の子孫などと言っていました。我が家の主のような人で、山元町で生まれ八十八歳で亡くなるまで山元町におりました。檀家のことは言うに及ばず、十番通り雑色(ぞうしき)通りの豆源や更科等の誰彼のことにも詳しく、政治家のことにも関心がありました。南山小学校高等科卒、母も私も弟も同窓です。元気なうちに聞いておけばよかったと思います。
焼夷弾が落とされた時、私は本堂の軒下で空を見上げていました。空中で油脂焼夷弾がいくつにも分かれて落ちてくる様は5cmX20cmくらいに見える真っ赤な火の棒が一斉に降ってくるようで、恐ろしいというよりも「なんときれいな」と思いました。門の所にも一つ落ち燃え始めました。弟は門の外の防空壕に入っていましたので、家の方には入れなかったようです。家はあちこちで燃え始め天井の途中で下まで届かないものもあり、火たたきなど何の役にもたちません。
「まつ」は二階に飾ってあった祖父の肖像画を持ち出そうとしていました。家の半分ほどは燃えている中、大声で「まつ」を呼び一緒に逃げました。火事場の馬鹿力とはよく言ったもので、私は当時十七歳、寝ていた布団を荒縄で縛って背負い、左手にラジオ、右手に番のちゃぼを入れた箱を持って逃げました。ちゃぼの箱は庭とは反対側の風呂場に置いてありましたので、庭から座敷、台所を抜け夢中で持ち出しました。もうその時は本堂の半分ほどは真っ赤になっていました。
庭から墓地を通り、裏の路地を抜けて仙台坂へ出ました。両側の家は焼け始めていました。ラジオは途中で裏の防空壕に入れましたが結局焼けてしまいました。坂を上り有栖川公園手前の塀の所で朝まで座っていました。周辺の様子など見ている余裕は全くありませんでした。