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続 表参道が燃えた日 (抜粋) 49

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通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 49

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/10/1 7:36
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 大空襲で焼失した 「戸籍謄本」
 若宮 正子(わかみや まさこ)






 想像を絶する被害を与えた「大空襲」は、戦後六十年を過ぎた現在の生活にも、影響を与えています。亡父は、赤坂表町に住んでいた叔父(私から見れば大叔父)の養子となり、少年時代から青年時代を赤坂表町で過ごしたようです。そして、戸籍については、大叔父だけでなく、親族一同の戸籍が赤坂区役所(現在の港区赤坂地区総合支所)に置かれていました。

 一九六九年父が他界し、そのわずかな遺産相続手続きのため親族の戸籍謄本を取り寄せようとしたのですが、所管の区役所から送られてきたものは「消失につき謄本交付ができないことの告知書」 と称する書類だけでした。

 謄本類が、一九四五年五月二十六日の「山の手大空襲」ですべて焼失してしまったのです。なお、当時は「謄本などの副本(コピー)」は東京法務局で保管していたようですが、三月十日に、東京法務局も被災、ここにあった書類もすべて焼失したということなのです。

 戸籍謄本が焼失などで無くなってしまったときは、関連戸籍を調査して、それにより焼失した戸籍を再作成することが可能であるが、関連戸籍がすべて焼失した場合は、手間がかかる…との説明を受けました。

 このような場合、「一切の責任を持つ」旨の上申書をもって他に相続人がいないことの証明に代えれば、相続手続きは進められると聞きましたが、こちらに落ち度があったわけではない(戦災で謄本類が焼失したのは当時の区民の責任ではない)にも関わらず「一切の責任を持ち、何かもめごとが起きても、関係者ですべて解決し、オカミには何もご迷惑をおかけしません」などという上申書を書くのは気が進まず、そのままにしておきました。

 二〇〇五年、母が亡くなった時にも、亡父の戸籍謄本の交付を依頼しましたが、同じような「告知書」が送られてきました。
 しかし、その時期には、大叔父などは、死亡後八十年以上経っていましたので、父の相続も含めて手続きは何とか無事完了しました。

 こういう体験をされた方は、当時の赤坂区役所管内はもちろん、たぶん日本中に、大勢おられると思います。










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 二〇一〇年九月、法務省は戸籍上生存していながら現在不明の百歳以上の人が全国に二十三万四千人いると発表した。最も多いのは東京都の二二、八七七人、次いで大阪、兵庫、沖縄と続く。港区では一、三一七人、最高齢は百三十五歳だった。戸籍と住民登録のズレは戦災被害や戦後の混乱などが考えられるという。戸籍の管理は法務省で、その事務は自治体が行っている。戸籍と住民登録は連動しているが、自治体が居住を確認できず登録を抹消しても、死亡届を出していなければ戸籍は残るし、戸籍を職権で削除しても民法上は死亡と扱われないので、相続は開始されない。(編注)

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