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続 表参道が燃えた日 (抜粋) 23

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通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 23

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/9/5 6:43
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 羅災の記
 島野 敬一郎(しまの けいいちろう)その2

 一度空襲があると、一目おいて再び大挙来襲するというのが敵の常套戦法である。その二十五日の夜、十時ごろになって再度の空襲となった。戸外は真っ暗で強い風が吹いていたので、今夜の空襲では相当にひどい被害を蒙るかも知れぬという予感がした。とは言え、まさかあのような悲惨なことになるとは予想だにしなかったので、大切と思われた書籍を疎開させただけで、私の部屋は一切が平常の生活状態を維持させていた。即ち、机の上には学校で使用していたノート類の数々や、若干の書籍、机の中にはアルバムさえ入っていた。先の二十三日の夜の空襲以来、ラジオが通じなくなってしまったので、敵機の情報が一切入手できず、来襲の状況は専らわが眼と耳を頼りにするだけだった。

 はじめのうちは、敵機は東京湾の方角から侵入して下町方面に投弾しはじめたので、今夜の敵の目標は下町方面かと気を許していた。ただ三十分後、今度はそれとはまるで反対側の西の方から一機ずつ侵入しはじめ、しかもわが家からごく近いところへ投弾を開始したので、私は全く虚をつかれた恰好になった。敵機の飛来行動を見ていると、どうやら山の手方面に矛先を向けているようで、一列縦隊で一機ずつ飛来する敵機のすべてが投弾してゆく。間もなく近所の穏田あたりにも火の手が上がったので、少なからず身の危険を感じさせた。そのうち、B29一機が照空灯に照らされながら浮き出たかのように、なんと頭上にやってくるではないか。そしてこともあろうに、丁度頭の上でパッと焼夷弾が破裂してしまった。壕の中へ飛び込んで様子を伺っていたら、あの聞き慣れた落下音とともに一大音響がしたので、間髪を入れず壕から出てみると、あたり一帯は火で明るくなっている。それっーとばかり火の方角目指して走り出すと、丁度足もとに青い火がチョロチョロ燃えていた。そのすぐ傍らには炭などの燃料が貯蔵されている物置があったので、小屋に引火しては大変と、やっとのことでその青い火を消しとめた。

 全く予想外の瞬時の出来事だったので、大勢を判断する余裕などあるはずがなく、行き当たりばったりの焼夷弾を消すのに余分の時を費やしてしまった。気がついてみると玄関の天井から火が吹いていた。何気なしにエレクトロン焼夷弾にバケツの水を一杯かけてみたら、消火実験で経験した通り一層勢いよく火花がはね上がった。

 家の雨戸という雨戸はすべて閉めきっていたが、万一のことを想定して、たった一枚だけはあけておいた。庭から縁側にあがり、雨戸の閉めていないところから土足のままで家の中に入ってみると、応接間の方が明るい。行ってみると、玄関の天井の梁が二つに裂けており、その裂け目から猛火が天井裏を這っているのが見える。更にその下にある長い廊下には、数個の小さな焼夷弾がボヤボヤと突き刺さって並んで燃えていた。また便所の内部にも焼夷弾が落ちているらしく、ガラス越しに明るくなっていた。一瞬今夜は風呂に入ったことを思い出し、風呂からバケツに湯を汲んで、なかでも一番火勢が強い玄関の天井めがけて二、三回湯をかけてみたが、何の効果もない。廊下に並んでいる小さな焼夷弾は、バケツ二杯の湯で消すことができたが、あとはどうにもならない。数個所の火元に囲まれ、私は迷い、慌てた。広い平家の中で、私一人で数多くの落下している火と戦ってみたが、どうやら勝ち目はない。家の中は煙が充満し、息をつくのも容易でなくなってきた。「もはやこれまで」と観念し、蒲団を防空壕の中に突っこんでから蓋をし、その上に土をかけた。

 近隣の様子はといえば、向こう隣の家の物干場や、近所の二階屋根からも猛火が吹き出していた。
常々防火演習の場合では、「焼夷弾落下!」と叫ぶと、近所の人たちが集ってバケツ・リレーで水を運び消火することになっていたが、いざ本番で演習時通り叫び声をあげても、誰一人として応援にかけつけてくれる人はいなかった。

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