@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録8

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

編集者

通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録8

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/10/23 7:42
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 
 東京の空襲

 戦争への道

 日清(明治二十七、八年)、日露(明治三十七、八年) の戦争によって、日本はアジアへの侵出に大きく踏み出した。明治二十八(一八九五)年、台湾を清国より割譲、明治四十三(一九一〇)年、韓国を併合。日本は中国東北部(南満州)の利権をロシアから譲り受け、関東軍を配置した。

 第一次世界大戦(大正三~七(一九一四~一九一八)年)に、日本は連合国側として参戦し、対支二十一か条要求を出して、武力によって実現させようとしたのが満州事変(昭和六(一九三一)年)である。昭和七年、日本の傀儡(かいらい)国家満州国が成立。

 満州を足場にして領土拡大を図る日本は、十五年戦争の時代に入る。日本では二・二六事件(昭和十一年)が起こり、軍部の政治支配力は著しく強化された。昭和十二年七月七日、虚構橋事件が起き、日中戦争(当時日本側は支那事変といった。日支事変ともいう。「支那」という呼称を日本は第二次世界大戦末まで使う)が始まる。昭和十二年十二月、南京占領、蒋介石率いる国民政府は臨時首都を重慶に移し、中国共産党と抗日民族統一戦線を結成する。

 日中戦争が泥沼化すると、日本は豊富な資源をもつ南方進出を計画する。日独伊の三国同盟を結び、東南アジアの仏領、英領、蘭(オランダ)領の植民地への侵攻が始まる。日本の勢力圏拡張の構想はアメリカとも対立することになる。

 昭和十五(一九四〇)年九月、仏領インドシナ北部に進駐。十六年四月から日米交渉が始まり、アメリカは日本軍の中国からの撤退を要求、南方への進出を認めなかったが、日本はその年の七月に仏領インドシナ南部にも進駐、アメリカは日本への石油の輸出を禁止。十一月五日の御前会議で英米蘭との戦争を決意、その時期を十二月初頭と決めていた日本の陸海軍は、作戦準備に入っていた。十一月二十六日にアメリカ国務長官ハルが提示した「ハル・ノート」では日本側の拒否回答に対し新提案もしているが、日本側はアメリカの最後通牒とみなして太平洋戦争 (日本政府は大東亜戦争と呼び支那事変も含むとした)に突入した。

 十二月八日、日本時間午前二時、英領マレー半島侵攻、三時十九分真珠湾を奇襲、米・英・蘭に宣戦。

  条件検索へ