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続 表参道が燃えた日 (抜粋) 31

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通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 31

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/9/13 9:09
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 故郷の空が燃えている
 千野 孝(ちの たかし)その1







 この目のことは生涯忘れられない。
 「お父さん、伏せてっ…」
 一番上の姉、Kの悲痛な叫びが走った。それは昭和二十年五月二十五日の夜、世田谷大蔵にある陸軍病院でのことだった。防空壕に向かう途中で、動けなくなった夫、Nに寄り添い、上から覆うように庇っていた。爆音が行過ぎるたびに、生きる心地もなかったという。だがそのショックもあってか、翌々の二十七日、Nは静かに息を引き取ってしまったのである。内地での戦病死であった。慶応を出て、保険会社に勤めていたとき、応召して大陸に赴き、病に倒れてこの年の二月帰国したばかりであった。享年三十七歳の生涯だった。

 Nと姉Kが空襲に曝されていた、丁度同じ頃だった。私は世田谷桜新町で留守番を預っていたが、けたたましく鳴り響くサイレンで、とっさに庭に飛び出していた。数機のB29が、こちらに向かって来るではないか。
 「Kちゃーん、防空壕へすぐ入ってー。T子、Sちゃーん」
 庭は道路より少し高いところにあり、生垣に近く自家製の防空壕が造られている。一畳程度の狭壕だが、手伝いにきていた姉、Kの義妹K子が四歳のSちゃんを、私が五歳のT子を抱きかかえるようにして飛び込んだ。焼夷弾なら何とか防げるのではないか。私は蓋を開けて首を出し、東の空を眺める。時間は掛からなかった。麦畑の彼方、街の桜並木と空の接する彼方から、焼夷弾を落としながら、轟音と共にあっという間に、近づいてきたのだ。慌てて首を引っ込め、壕に潜り込む。耳だけが緊張している。轟音が行過ぎたと思った瞬間、
 「ドスンー…」
 なにやら鈍い音がした。あとは不気味な静かさの中で、微かな息遣いがするだけである。私はを少し押上げ、周囲を見渡す。暗闇の中、何事もなさそうだと確かめ、みなには「暫くそのままにしているように」と言って外に出た。門を出て小路に下り、鈍い音のした方に目を追っていく。するとどうだろう。五、六メートル先の麦畑がなんとはなしにバラけており、何やら突きささっているではないか。近づいて見ると、銀色っぽいかなり大きな金属体の胴体で、一部どす黒く焦げているものがある。隣の小父さんも出て来て、
 「あっ、これは殻だ。焼夷弾を包んでいる外枠だよ」と言う。幸運にもそれ以外は見当たらないのだった。麹町、牛込、赤坂、渋谷と、山の手を械毯爆撃してきた最後の印しだったのかも知れない。それにしても危ういところだった。直線距離にして僅か十メートル以内、この大きな焼夷弾の殻が直撃すれば、防空壕はひとたまりもなかったろう。

 「ありや何だ」
 大きな声がした。小父さんの指差す方を眺めると、東の空が赤っぽくピンク色に輝いているではないか。それも一様ではない。不規則に漣を打っているようだ。まさにB29がやって来た桜並木の彼方、渋谷方面だ。見れば見るほど、炎のように見える。私の胸は高鳴った。四年前まで住んでいた青山…故郷の光景が、脳裏を駆け巡った。穏原小学校や幼友達はどうしているだろう。
我が家は火の見櫓の傍にあったが、前のNさんはどうされたろう…。

 だがそのときは知る術もなかった。この目の絨毯爆撃で山の手は殆どが焼かれ、燃え盛る炎の中で二万人を超える死傷者が出たと、後に聞いた。家の消火に努めて逃げ遅れた方、代々木練兵場や神宮外苑、青山墓地など、避難場所への方向や道筋で命運の分かれた方、まさに阿鼻叫喚の世界であったと…。

 そのときは、あの燃えるような、炎のような故郷の空を、ただただ凝視めているだけだった。
 この日の空襲直後に、戦病死してしまったNの葬式は、戦時下のこともあり、病院に親戚数人が集まりささやかに行なわれた。姉Kは喪主として手が離せないので、学童疎開先の長男Jを迎えには私が行った。そして葬式をすませるや、長野県飯田郊外のお寺まで慌しく送り届けたのである。戦時中とはいえ、余りにも非情な成り行きであった。それなのにである。追い討ちをかけるように悪夢が突然襲ってきたのだ。
 病院から桜新町に戻った数日後のある日、姉Kの甲高い呼び声に全神経が反応した。奥の家に移っていた私は、咄嘆に駆けつけた。
 「孝、お医者さん呼んで、急いで」
 「えっ」
 「Sちゃんが、Sちゃんが」
 私はペダルの回転に全力を傾けていた。桜並木の原先生の扉を叩き、鞄を持って一緒に戻る。
 Sは虚ろな目を天井に向けていた。先生は聴診器をあて、喉や目を見やり注射を打つ。腕を握り脈拍を見たり、慌しい所作を繰り返す。
 「Sちゃん、しっかりして」
 張り裂けるような姉Kの声。引きつけていたようなSちゃんの動きが止まった。先生の顔が微かに横に動いた。
 「Sちゃん、Sちゃん」
 Sを包み込むように自分の顔を寄せ、姉の背は、声を殺すように波打っていた。私はかける言葉を失っていた。自家中毒による急逝であった。

 Nが戦病死して嘉月も経たない六月十三日、五歳に満たないSは、まるで父に連れて行かれるように、天に召されてしまったのである。

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