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続 表参道が燃えた日 (抜粋) 32

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通常 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 32

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/9/14 6:43
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 
 故郷の空が燃えている
 千野 孝(ちの たかし)その2

 戦争未亡人となった姉Kは、子育てに精出す一方、糧を得るため、買出しにも行かねばならない。戦後の混乱から、やがて三越で働く幸運に遇う。Nの学友のお蔭である。だが母としてだけでなく、父の役も果たさねばならぬことに変わりはなかった。肩の荷は重く、精一杯の日々が続いていた。

 そんなある日のことである。老父母と三人暮らしだった私は、何かお惣菜を買って帰ろうと銀座三越に寄ってみた。地下の食料品売場に入り、遠くから姉の応対振りを眺める。出来るだけ客の居ないときを狙って近づき、声を掛ける。
 「あら、孝さん、みんな元気…」
 「父さんも母さんも元気だよ。今日は何がいいかな」
 「そうね、お母さんたちにはこれがいんじゃない」
 「うん、それにしよう」
 姉Kは美味そうなお惣菜を、手際よく竹の皮に盛り付けながら、目方を量り、包み紙にくるんでいく。私ががま口から小銭を出している間に、
 「この間、Yさんが来たわよ、あの子も可哀想ね」
 「うん、三共で頑張っているんだよ。…ありがとう、じゃ、またね」
 勤務中の私事は許されない。最低限の会話だけでその場を離れたが、その余韻は渋谷に向かう地下鉄の中まで続いていた。姉は父母のことをいつも気にしてくれている。だが、「あの子も可哀想ね…」とは。私の級友、Yにも、姉のような母のような気持ちで接しているのだ。その思い遣りが身に絡み、胸の中には暖かいものが流れ、熱いものがこみあげていた。

 Y家とは、二十年以上も近所付き合いしていた仲だ。表参道に震災後建てられた同潤会アパートがある。それに並ぶ伊藤病院の角を東北に入ると、青山師範学校の裏と平行して原宿二丁目の街が展開する。三河屋、日野屋を通り過ぎ、火の見櫓の前がMさん、その右隣がNさん、その前に我が伏屋があった。そこから数軒手前の乾物屋の路地を入った突き当たりにY家はある。長姉同士が同級、一番下の姉同士も同級で、家族ぐるみ知りあっている仲だ。故郷では近所付き合いは勿論、家族ぐるみで付き合う家庭も多い。

 あの五月二十五日、Y家は直撃でか、逃げ道でか、家族をすべて失う悲運に遭遇した。三共に勤めていた級友だけが、当直だったのかどうか、一人残り、孤独の悲哀に暮れていたのだった。みながまだ戦争を引き摺っていた。

 この時代、私は理科故に徴兵猶予、学徒動員となり、農村や海軍火薬廠で汗を流していた。一番下の姉は挺身隊で海軍省へ、過労と栄養失調で結核に罹り、戦後病没してしまった。
 農村といい工場といい、国民はみな、銃後を支える兵士でもあった。
 都会でも病院すらも、銃後の山野はみな、非情な戦場そのものであった。

 (世田谷区桜新町、元渋谷区原宿二丁目)


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